第38話 男が惚れる、男 2


 遥か彼方に、砂塵が見えた。

 味方の歩兵軍が、ゆっくりと後退してくる。指令通り、一切、反撃はしない。

 そして、彼らを追いかけ、間をぐんぐん縮めてくる敵の騎兵隊。


「よし」


 歩兵たちは、ロンウィの背後に組んだ、アバティス(逆茂木さかもぎ)の間を縫って、川の中へ逃げ込むはずだ。敵の騎馬兵は、先のとがった木に阻まれ、先に進めない。迂回しても、川の中へ騎馬で進むのは、躊躇があるだろう。


 そのためらいを、砲兵が狙う。

 騎兵が奇襲する。



 ロンウィは、丘の上の師団に向けて、出撃合図の狼煙を上げさせる時間を計っていた。

 早すぎず遅すぎず。

 時期を十分、見定めなければならない。

 合図を出したら、即座に、味方の歩兵達を援護する為、敵に切り込む。


 だが……。


「様子が変です!」

 傍らで双眼鏡を覗いていた副官、レイが叫んだ。

「敵は、わが歩兵軍から、東にそれました!」


 肉眼でも、はっきりわかった。

 敵方、ローゼトゥール軍は、歩兵の後を追ってこなかった。馬に乗ったまま、彼らは、キフル川東寄りの浅瀬を渡河し始めた。


「ロンウィ将軍! やつらは、エスターシュタットに帰るつもりです!」


 川を渡らず、東へ進めば、ブランデン王国の領土にぶち当たる。ブランデンはすでに、対リュティス同盟を、離脱している。

 エスターシュタット軍は、ブランデン国内を通行できない。

 ブランデンを通らないで帰還するには、今ここで、キフル川を渡るしかない。


 レイは歯噛みした。

「丘から騎兵を呼びましょう。今からでも間に合う。急いで敵を追撃しなければ」

「いや。そのままにしておけ」

「えっ!」

「戦わずして逃げるのだ。ローゼトゥール元帥には、何らかの考えがあるのだろう」

「しかし!」

「無駄に兵士を死なせてはならない。今の2000を温存するのだ。シャルマイユ王子が参戦してきた。次の戦いは、より過酷なものになるだろう」

「将軍……」


 配下の兵士の安全を願う将軍の心に、副官は打たれた。

 自分はなんと、公明正大な人の元で戦っているのだろうと、感激した。


 「やっぱり俺は、股の間にいるグルノイユに、知られたくない」

副官には聞こえなかった。近づいてくる歩兵隊に気を取られている。

「歩兵たちの先頭で、銃剣を振り回し、敵を惨殺する、残忍な俺の姿を、彼にだけは、知られたくない」


「何か仰いましたか?」

 ひとり言を繰り返す代わりに、ロンウィは答えた。


「なあ、レイ。戦争とはなんと、野蛮で残酷なものだろうな。時々、ただの殺し合いじゃないかと思う時があるよ」


 何をいまさら、と、レイは思った。





 「ローゼトゥール元帥。敵は追撃してきません!」

偵察に出ていた兵士から、報告が来た。

「ロンウィ軍に、動きなし!」


「そうか……」

ローゼトゥール元帥は、ため息を吐いた。


 彼の軍は、無事に、キフル渡河を終えたところだった。

 このまま東へ進めば、彼の領土、ローゼトゥール公国に辿り着く。


 ……シャルマイユ王子には、停戦を進言した。

 ……エスターシュタットの宰相にも。


 着任したばかりにも関わらず、シャルマイユ王子は、彼の進言を受け容れようとした。

 長くゴドウィ河沿いで戦ってきた元帥に、敬意を示したのだ。


 王子もまた、傭兵頼みの軍の在り方に疑問を抱いていた。彼は、敵国リュティスを見習い、徴兵制への模索を始めていた。

 軍の再編が終わらぬうちは、戦争は避けたいというのが、若きプリンスの本音だった。


 だが、エスターシュタットの宰相が、停戦を拒否した。

 年寄りの宰相は、古い考えに凝り固まっていた。悪いことに、エスターシュタットの皇帝、即ち、プリンスの兄も、また。


 ……俺の離脱は、シャルマイユ王子が認めてくれる。


 軍法会議にかけられることはないと、ローゼトゥールには、わかっていた。

 もし、宰相から横槍が入ったら?


 ……ローゼトゥール公国もまた、リュティス帝国と、同盟を結ぶまでだ。


 その際は、ぜひ、ロンウィ・ヴォルムス将軍と会ってみたいと、元帥は思った。彼をじかに見て、直接交渉はなしをしたい。


 理想の将校イケメンアイドルに憧れる、少女の気分だった。







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逆茂木アバティス作戦の地図です。


https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330650670939835







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