第10話 イケメン大天使

 何もしないでテントに籠っているのは穀潰しみたいで、いやだ。水回りの仕事でも手伝おうと、俺は、川へ向かった。


 要塞の外の川では、当番兵が、野菜を洗っていた。泥付きの新鮮な野菜だ。

「よう、カエルの王子様か」

俺に気がつくと、当番兵は言った。

 彼に俺の言葉はわからないが、俺は、彼の言うことを理解できる。彼も、そのことを知っているようだ。


 野菜を洗いながら、当番兵は、浮かない顔だった。

「本国からの補給が滞り気味でな。今、軍は、食糧不足なんだ」

深いため息を吐いた。

「……俺達、皇帝から切り捨てられたわけじゃないよね?」


 いかに冷酷なナタナエレ・フォンツェルといえど、危険な国境地帯に派遣した軍を、切り捨てたりしないよ。

 きっと。

 たぶん。

 よくわからないけど。


 そういえば、父さんが、この頃、ロンウィ将軍は、皇帝の覚えが悪いようだと言っていた。何かやらかしたのだとしたら、それは、確実に、ロンウィ・ヴォルムス将軍だ。


 川べりで屈んでいた当番兵は、腰を伸ばした。

「でもまあ、君の国から、野菜や果物の献上品があるから、我々も飢えずにやっていける」


 そりゃ、バーバリアンは、博愛の国だからね! 小さいけど、礼儀正しい、いい国なんだよ!

 思わず俺は、ぴょんぴょんと、彼の周りを跳ねまわった。


 手伝いたいという俺の意思は、どうにか伝わったようだ。彼は、バーバリアン特産の白大根を洗うよう、指示して、立ち去っていった。


 バーバリアンの大根は、ラディッシュと違い、女性の足のように白いのが自慢である。ゴドウィ河の水で育った瑞々しさが売りだ。煮てよし、焼いてよし、もちろんサラダにしてもおいしい。また、どんな食材と一緒に調理しても、素晴らしく調和するという、優れた逸品だ。


 当番兵が川に沈めた大根の上を、すーい、すーいと泳ぐ。肌がこすれて、泥がみるみる落ちていく。特に、腹でこすると、泥が取れやすく、楽しい。時には背中でこするのも、変化があっていい。


 夢中になって、大根を洗っていると、俺の上に、影が落ちた。腰の曲がったおばあさんが、川の中を覗き込んでいる。


 「あー、ちょっと。食堂はどこだね?」

俺が川から上がると、婆さんは尋ねた。

「食堂?」

思わずオウム返すと、婆さんは頷いた。

「ごはんを貰いにきたんだよ」


 どうやら、この婆さんは、バーバリアン人のようだ。人型になる前の俺の言葉がわかる。


「なんで、ごはんを食べに来るんだよ? ここは、軍の要塞だぞ?」


 食堂かなんかと勘違いしてるのか。

 ボケているんじゃなかろうな?


「ここは、リュティス軍の要塞だろ? だったら、ごはんを食べさせてくれるはずだ」


 婆さんの言うことは、支離滅裂だった。

 なんで、リュティス軍が、敗戦国のバーバリアンの婆さんに食事をさせるんだ?

 それも、普通の婆さんに。

 ただでさえ、食糧不足なのに。

 婆さんは、普段着のままで、小さな巾着以外、荷物も持っていなかった。

 徘徊?

 徘徊老人か?


「国が負けては、娘の家へ行く途中でな」

不審顔の俺に、婆さんは説明を始めた。

「そしたら、道に迷ってしまって。暗くなるし腹は減るしで、途方に暮れていたら、馬車がやってきてな。中の人が、親切に、道を教えてくれたんだ」

「良かったじゃん」

とりあえず、相槌を打った。満足そうに、婆さんは頷く。

「うんにゃ。そいでな。途中に、リュティス軍の基地があるから、食事をしていくといい、と、こういう豪儀なお申し出じゃ」


 申し出?

 そいつ、いったい、なんの権限で……。


「偉大なお方じゃ。あんたはがボケていると思っているようじゃが」

「いやだって、お婆さん、なんで、手ぶらなんだよ?」


 占領された母国を出て、他国に嫁いだ娘の元へ逃げていくというなら、普通は、大荷物のはずだ。それなのに、旅行鞄のひとつも、持っていない。

 婆さんは、ぎろりと俺を見下ろした。


「それもじゃ。重い荷物を持って難儀しとったら、親切なそのお方が、後から届けて下さると、こう、おっしゃったのじゃ」

「婆ちゃん、それ、ダマされたんじゃ?」


 こんな年寄りをだまして、身ぐるみ剥ぐなんて、……服はみすぼらしいから、荷物だけをだまし取ったのだろうが……、なんてむごいやつだと、俺は憤った。


「神の遣わされた大天使様に向かって、何を言う!」

大声で、婆さんが叫んだ。

「あの方こそ、神の御使い。正直で働き者のに遣わされた、この世の奇跡じゃ! 光放つイケメン様、それに比べ、バーバリアン公爵の息子の、なんとイケスカナイことか!」


 げ。

 この婆さん、俺の正体、見抜いていやがる。

 いや、じゃない。この婆さん、詐欺師にいいように騙されているじゃん。


 俺のことをイケスカナイと言うからには、放っておいてもよかったが、そこは、バーバリアンの領民だ。バーバリアン公の息子として、俺には、婆さんを救済する義務がある。


「お婆ちゃん。世の中には悪い人がたくさんいるんだよ。詐欺師に騙し取られた荷物は戻ってこないかもしれないけど、これも授業料だと思って、ね? 残された人生を、強く生きていこう」


「だまらっしゃい!」

再び、婆さんが叫ぶ。あろうことか、仁王立ちの片足を上げ、俺を踏みつけようとする。

「悪い人? 詐欺師? なんてことを! まばゆいイケメンに向かって!」

どすどすと、地面を踏みしだく。


 「どうしたんだ?」

 騒ぎを聞きつけて、当番兵が駆けてきた。俺に大根洗いを命じて、竈の番に回っていたのだ。

 婆さんが、かっと目を見開いた。

「このカエルが、イケメン様の悪口を言ったのじゃ」

「はあ?」


 もちろん、当番兵には、何のことかわからない。彼にはカエルの言葉は通じないから、俺から説明してやることもできない。


は、ただ、ご飯をいただきにあがっただけなのじゃ。親切なイケメンさまの、お指図に従って」

 なおも婆さんは、足を上げ、俺を踏みつけようとする。年寄りなのに、えらい迫力だ。踏みおろすたびに、足は、柔らかい泥深く、めり込む。


 もちろん、こんな婆さんにやられるなんて、ありえない。足元をちょろちょろしてやれば、あっけなく転ぶことは間違いない。だが、年寄りを転がして何になろうか。

 つか、転んだら、危ない、寝たきりになる危険性、大である。俺が、家族に恨まれる。

 繰り返すが、彼女は、大事なバーバリアンの領民なのだ。

 ほうほうのていで、当番兵の足元に逃げ込んだ。後ろに回り、彼の踵にしがみつく。


「待て! 逃げるとは卑怯だぞ!」

「お婆さん、ちょっと! 俺は関係ないだろ?」


 焦った当番兵が、逃げようとする。置いていかれたらたまらないので、俺は、むきだしの彼のふくらはぎをよじ登った。


「うぎゃ。ぬるぬるべちゃべちゃ……」


 当番兵が悲鳴を上げた。

 その首根っこを、ばあさんが捕まえようとする。


「うぬ。カエルを匿うとは、おのれも同罪」

「ちょっと、」

「イケメン様を侮辱した罰じゃ。天誅!」

「いや、お婆さん待って? つか、イケメンって誰?」

「輝くイケメン!」

「だから、誰!」

「美少女のケンタウロスを従えた、大天使のことじゃ」


 俺をふくらはぎに張り付けたまま逃げまどっていた当番兵の足が、ぴたりと止まった。


「それ、うちの大将のことだね?」

「イケメン大天使じゃ」

「大将があんたに、ここで飯を食ってけと?」

「徳高き聖人様じゃ!」

「間違いない。うちのロンウィ将軍だ」


 当番兵は、婆さんを、要塞の中に入れた。

 食堂に招き、乏しい軍の食事を分け与えた。







 その後も、何人かの領民が、リュティス軍の要塞に逃げ込んできた。正規軍についていけず、落ちぶれた兵士たちは、山賊となって、集落を襲うことがある。

 そうした、戦争の二次被害者たちが、「ケンタウロスを連れた聖人(イケメンと言ったのは、最初の婆さんだけだった)」に助けられ、命からがら、要塞に逃げ込んできたのだ。


 要塞では、逃げてきた人々に、食事を与え、怪我の手当てをした。傷が癒え、心が落ち着くと、ロンウィ軍に入隊したいと申し出る者が大勢出た。要塞近くに、畑を開墾してもいいかと、言い出す者もいた。

 来る者は拒まず。

 留守を任されたレイ大尉は、ためらいなく許可した。

 ただでさえ、軍は、人手不足なのだ。


 それはそうと、ロンウィ将軍は、何やってんだ? 「休養の遠足」に出掛けたんじゃなかったのか? ケンタウロスの美少女を連れて。

 それなのに、あちこちで、盗賊たちと戦っているなんて。

 本当に、戦うことが好きなんだな……。







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