第2話 道連れ
赤い少年を手当した翌日、ユラは何気なしにロコの町ハズレへと足を運ぶ。昨日、赤い少年は礼を言う訳でもなくユラのもとを去り、いつもならさほど気にもとめない。けれど、不思議とユラは少年が気になり放っておくことが出来なかった。
ユラは小さな子供が傷ついたり、不憫な環境にいるとすぐに居た堪れなくなり心が痛くなる。幼いながらに飢餓と貧困に喘ぐ子供や、親や大人の暴力に怯える子供、さらには戦争に駆り出されたり大人に利用される子供がいる。
(世知辛い世の中だなぁ)
しみじみとそう感じながら、進む度に廃れていく景色を見つめる。家屋は小さく簡素になり、やがて緑の方が多くなる。ユラがたどり着いた町の端には、なんとか形を留めているのだろうという家とも呼べないようなものが羅列している。
荒廃したそこには言いようのない緊張感が漂い、人影を見ることは出来ないが視線と殺気が溢れている。背筋が凍るような空気を感じながら、ユラは最新の注意を払って荒廃した街中を歩く。どこを見てもボロボロで、空気自体がもう澱んでいる。
何気なしに来たため、貴重品なども持ってきてしまっている。ここでは誰に何をされてもおかしくは無く、宝石商のユラなど格好の獲物でしかない。
緊張感に胸が張り裂けそうになりながらも、ユラは堂々と町中を歩く。体格がよく、髭が濃いユラは昔から容姿だけは「熊のようだ」と言われ続けており、その見た目ゆえ山賊などに襲われることは少なかった。当の本人は小心者ゆえ喧嘩など出来る性格ではないが、堂々と胸を張っているだけで下手な賊が絡んでくることはなかった。
村のハズレのさらに外れに足を運んだユラは目当ての人物を見つける。
「少年、あれから大丈夫だったか?」
僅かな天井と壁が残るだけの最低限の雨風さえ凌げるかどうかも分からない東屋のような場所に、鮮やかな赤髪の少年が
変わらず痩せこけた体は痛々しいまでの傷を抱え、ボロボロの家屋でひとりで闇夜を凌いでいると思うと何とも言えない気持ちになる。
少年は変わらず何も答えることなどせず、鬱陶しそうにユラを睨む。ユラはそんな反応にいつの間にか慣れ、笑って少年の腕を掴む。
「なっ──!」
「朝飯でも食べに行こう、少年。なんでも美味いパン屋があるらしいんだ」
少年の激しい抵抗と罵声など物ともせず、ユラは小柄な少年をつれて町の中心へと戻る。傍から見ればユラは人さらいのようなものだが、荒廃した場所では良くあることで誰も少年を助けようともしないし、ユラに声をかけることもない。
しばらく抵抗をしていた少年だが、力尽きたのか大人しくなる。ユラが力を緩めてもユラの腕を振りほどく素振りもないため、ユラは少年の腕から手を離す。少年は逃げ出すこともせず、静かにユラの後ろを着いてくる。
下手に抵抗することに疲れたのか、食事にありつけるからあえて逃走していないのか。
少年の考えは分からないが、ユラは静かに着いてきてくれることに安堵していた。
とがった空気は変わらないまま、二人は沈黙のまま歩き続ける。
街の中心は活気に溢れ、町外れとは全く異なる世界となっている。市場や店に商品は溢れ、街ゆく人々の身なりは整い表情も明るく、漂う空気も澄み切っている。同じ町の中とは思えないほどの世界の差をユラは感じながらも、赤髪の少年と共に目的地にたどり着く。
焼きたてパンの良い匂いが店から溢れ、人気店なのか客がひっきりなしにやってきてはパンを買っていく。
ユラは少年に何を食べるか聞くが案の定、少年は答えることもなければ視線を合わせることもない。ユラは適当にパンを買い店を出て、市場のハズレにある広場で少年と共にベンチに腰かける。
ユラが手渡したパンを遠慮気味に受け取り、少年はパンを口にする。ひと口かじれば香ばしい小麦の香りが広がり、少年の赤い瞳が一瞬輝く。
「美味いか、少年」
その表情の変化を見れてユラは思わず笑顔になる。赤い瞳はユラを垣間見て、少年はそのまま遠慮気味に少し頷く。初めて殺意や敵意以外の感情を顕にした少年に、ユラは変わらずの笑顔でうなずき返す。
痩せ細った少年は久しぶりの食事だろうと言うのに、ゆっくりと味わうようにユラから受け取ったパンを食べる。貧困に喘ぐ若者を間近で見た事があるユラは、少年のその姿に少し驚く。いつ食事にありつけるかも分からず、手にしたものさえいつ奪われるかも分からない状況のもの達はこぞって手に入れた食料を貪り食う。
しかし、今目の前の少年はそういう空気とは違うものをまとう。確かに貧困と飢餓にあえいでいる状況にもかかわらず、少年はユラから受け取った何かを確かめるかのようにゆっくりと味わっている。
食事を終えた少年は無言でユラに軽く会釈して立ち去る。
「しょ──・・・」
呼び止めようとしたユラは口を閉じる。
(どこまで何が出来るんだ)
見ず知らずの少年に対し具体的にどうしてやるのが良いかも分からず、見切り発進で行動したユラは自分の行動を立ち返る。今助けたとしても、これから先ずっと助けてやれるだけの覚悟があるのか・・・無意識にそう考えたユラは、それ以上何も言えず何も出来ずに消えゆく赤い少年を見送るだけだった。
* * *
宝石商のユラがロコの町で赤い少年に出会ってから数日後、ユラはロコから数キロ離れた鉱山都市・リンドにやって来ていた。ロコが宝石やそれを扱う技巧職が集まる場所だが、リンドは金が多く採れる場所で有名だった。リンドの町には懇意にしている職人や取引先があり、近くに来たついでに挨拶に来たのだった。
年に1度ほどの訪問であるが、街に大きく様変わりした様子はなくどこかユラは懐かしさと安堵を感じる。記憶を頼りに取引先に向かっていたユラは視界の端に映った人物に思わず目を疑う。
ユラの存在に気づく様子もなく、とぼとぼと歩くのは鮮やかな赤い髪と瞳の小柄な少年だった。
思わずユラは走り出し、すぐに目的の人物のところへとたどり着く。
「少年、こんなところでどうした?」
思わず逃げられないようにその腕を掴む。急に話しかけられ腕を捕まれ、赤い少年は敵意を向けてくるが、すぐにユラに気づき驚いた表情をうかべる。
「あの時のおっさん・・・」
よほど驚いていたのだろう、ユラに対し口をきかないという態度を一貫してきた少年の口から、ぽろりと言葉が漏れ出る。
「ここに住んでるのか?」
「んなもんねぇよ」
ユラの問いに珍しく返答し、少年は腕を振り払う。そしてそのまま立ち去るように歩き始めるが、ユラは少年の隣を歩く。
「行く宛てあるのか?」
思わぬ再会にユラの気持ちがはやる。少年は歩く速度をあげるが、大人のユラからすれば大した速度では無い。しつこくついてくるユラを睨みはするが、それ以上何かを言うことも立ち止まることもせず少年は歩き続ける。
特に目的地などはないようで、少年の歩く速度は速いものの足取りは迷いがある。同じようなところをぐるぐる回っており、街に詳しい様子はないようだった。
「少年、しばらく俺の旅に付き合ってくれよ」
ユラは再び少年の腕を掴む。振りほどこうと少年は暴れるが、小柄な少年の細腕で大柄な大人のユラの力には適うことはなかった。
ロコの町では少年に何をどこまでしてやれるのか悩んだユラは、未だにその答えは出せていない。それでもあのとき気になった少年と再び会うことが出来た──それだけで、悩みも不安も何もかもを払拭する希望のようなものが生まれる。
「何が目的なんだよ」
敵意をむき出しの少年はユラに噛み付くような視線を向ける。
「あんたみたいな大人は散々みてきた」
鋭い瞳の奥にあるのは強い警戒心で、それだけのことを少年は経験してきたのだろう。人の親切心を受け取れず、その厚意を疑わざるを得ない心情の奥にはユラの想像など及ばない少年の人生が詰まっている。
少年のように親がいない孤児は人攫いにあうことも、どこかで奴隷のように扱われることも多い。おそらくユラに出会う前に、親切を装い少年を売り飛ばそうとした大人が何人もいたのだろう。
(詳しいことは知らんが、少年の容姿だと尚更だろうな)
人身売買やその手のことに疎いユラだが、今まで出会ったなかで少年ほど鮮やかな赤い髪と瞳の人間を見た事がない。幼い子供は単純に労働力と見なされることも多いが、少年のように珍しかったり美しい容姿の場合は付加価値がつくことはユラでも単純に想像が着く。
「俺は少年を売り飛ばさなきゃ生きていけんほど金には困ってない。旅は道ずれ世は情けっていうだろ。ほら、こっちだ」
強引にユラは少年の腕を引っ張って歩く。抗議の声をあげ抵抗する少年だが、熊のようなユラ相手にはどうしても意味がなかった。しばらく抵抗していたが無駄な体力を消耗しても意味が無いとでも思ったのか、少年は諦めて着いてくる。
それからユラは少年が大人しく着いてくるのを確認し腕を離す。少年はユラの隣を渋々ながら歩く。そのままユラは馴染みの取引先や職人に挨拶をして回る。その度に少年のことを聞かれたが、笑って「弟子だ」と冗談をかましていた。
ユラはそのまま少年を連れて仕事の旅路を続ける。リンドの町に1泊したあと、また新たな仕入先や新たな鉱石や宝石を探すために鉱山や功績の搬入で有名な町を巡っていく。
少年は基本的に話すことも視線を合わすこともしない。ただ、静かにユラについてくる。そして、時に逃げ出す。
しかし、その度にユラは必ず少年を見つけて捕まえる。
夜中にこっそり宿を出ても、商談中に姿を消しても、ユラが用を足している間に逃げ出しても、どんな時のどんな時間に逃げ出しても必ずユラは少年を見つけ出した。どんなに早く遠くへ行こうとも、あえての近場で時間を潰して隠れていようとも、ユラは少年を見つけ笑顔でいつも迎えに来た。
そんな追いかけっこをしたからか、共に旅をして10日ほどで少年が姿を消すことはなくなった。ユラ相手に逃げ出しても無駄だと思ったのか、大人しくついてきて、自然と目も合わせるようになっていた。言葉数は変わらず少ないが、出会った当初のような視線の鋭さも和らいでいる。
大柄なユラと小柄な少年の凸凹2人組は無言で隣あって歩き、旅を進めていく。
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