玉響

万寿実

第1話 赤い少年


 空の青は吸い込まれるほど美しく、浮かぶ白い雲は漂いながら進んでいく。秋口の風は火照った体を程よく撫で、ユラは穏やかな空気に一息つく。


 ユラは今、イーロ共和国の最南端の町・ロコに来ていた。隣国のトルベリア国との国境線があり、関所もあることから人が多い。また、トルベリア国から数多く鉱石が搬入されており、それらを扱う職人が多い。彼らの技巧は非常に卓越しており、イーロ共和国では宝石や装飾品が有名となっている。


 ユラはヒナヤ国の商人で、在籍しているミント宝石店では宝石や時計、装飾品全般などを取り扱っている。普段は店舗での接客などをしているが、年に数回は新たな取引先の開発や買い付けに駆り出される。


 ロコの町に来るまでにいくつかの国と街を訪れ、良さそうな職人や商品を見繕ってきた。どこの国や街でも、自分の住んでいる場所とは異なる風土や風習は新鮮で、こうして出張に出るのも悪くないと思える。



「待てっ!!クソガキっ!!」



 出店が並ぶ市場を散策していたユラの耳に怒号が届くと同時に、何かが人混みをすり抜けていく。

 小柄な少年が人の間をすり抜け、あっという間に人混みに混じっていく。一瞬しか見えなかったが、鮮やかな赤い髪と、身長の割にやせ細った体とボロボロの衣服だけが目に入った。


 ロコの町は栄えているとはいえ、どこにも格差や貧困はある。町外れには貧しい人間が住んでおり、治安も悪いと聞く。

 盗みをしなければ食事にすらありつけない──そんな追い込まれた人間がいることに、ユラはなんとも言えない思いになる。


「捕まえた!この盗人が!!」


 少年が逃げていった先で怒号と大きな物音が響く。明らかに折檻されているであろう音に、ユラは思わずそちらに足を運ぶ。周囲の人間は見て見ぬふりをして去っていく。


 たどり着いた先では出店の主人のひとりが、地面に倒れている赤髪の少年に罵声をあびせながら何度も何度も蹴りをいれ続けている。砂埃が舞い、どこかケガをしているのか少年の体からは赤い血が流れる。蹴られ続けても何も言わず、何も反撃せず、逃げようともしない少年は耐えるようにその場にうずくまる。


 骨格がわかるまでやせ細った体に、身に纏う衣服はボロボロでかろうじて形を保っているように見える。ずっと風呂にも入っていないのか、肌も髪もくすんで見えるが、不思議と少年の赤い髪は鮮やかに見える。


「兄ちゃん、さすがにその辺で勘弁してやったらどうだ」


 堪らずユラは出店の主人のもとに歩み寄り話しかける。その言葉に出店の主人は怪訝そうな表情を浮かべるも、少年に「次はねぇからな!」と吐き捨て去っていく。


 周囲の人間は腫れ物を見るかのように少年を見て、誰も近寄ろうとはしない。そんな視線を感じながらも少年はゆっくりと立ち上がり、よろよろと歩き始める。



「少年、大丈夫か?」



 堪らなくユラはボロボロの少年に話しかける。痩せ細り、全てがボロボロの少年は一瞬だけユラを見やるがすぐに無言で歩みを再開する。一瞬だけ向けられた視線は驚くほど無機質で、ただユラの存在を反射するかのように映すだけだった。


「まあ、待て。手当てだけでも・・・」


 無視されながらもユラは再度少年に話しかける。しかし、少年はユラなど存在しないかのように無視をして歩みを止める気配がない。

 苦笑いを浮かべたままユラは少年の数歩後ろを着いていく。少年は徐々にその速度をあげるが、大人のユラ相手にそんな方法が適うわけがなく、すぐに小柄な少年の体力が尽きる。


 傷が痛むのか時折言葉にならない苦痛の声が漏れ出ており、息遣いも荒い。何日もろくに食べられていないのだろう、身体中の骨が浮き出ており痩せ細っている。そのからだをよく見れば傷跡が数多く見受けられ、古傷から最近できたであろう傷もあり、少年の生活がいかに逼迫したものなのか容易に想像が着く。


 痛々しいまでの姿にユラの胸は痛む。裕福とは言えずとも、食うには困らない程度の収入があるユラの生活とはかけ離れた世界にまだ小さい少年は身を置いている。養ってくれる人も、庇護してくれる大人も、救済してくれる制度もなく少年は明日さえも分からないなか生きているようだった。


「少年、待て」


 堪らなくなり、ユラは少年の腕を掴む。息をのむほど細い腕は掴んだだけで折れてしまうのではないかと思えてしまう。


 突然のユラの行動に少年は驚くがすぐに敵意に満ちた瞳でユラを睨み、その赤い瞳が業火のように燃え盛る。痛々しいほどの敵意に身の毛がよだつが、ユラはその殺意のような敵意を困ったような笑顔で受け入れる。


「その傷だけでも手当てさせてくれ」


 出店の主人に折檻された時に着いたであろう両腕と右頬の真新しい傷をユラは指さす。まだ少し血がにじみでており、傷ついてから洗うことすらしていない。


「離せよ、おっさん」


 初めて聞いた少年の声はまだ幼く、敵意だらけのその言葉が強くユラに突き刺さる。



「いいや、手当するまで離さん」



 だが、ユラも強く言い返す。

 今まで不憫だと思う境遇の人間は見てきたし、そういう子供たちもいた。その度に国や大人は何をしているのだろうとは思ったが、彼らに手を差し伸べることはしてはこなかった。手を伸ばせばキリがなく、ユラに彼ら全員を助けられる術や資金はない。


 しかし、なぜか今回は赤髪の少年がに気になってしまった。特にこれという理由がある訳ではなく、不思議と声をかけ手を掴んでいた。


 赤髪、赤い瞳の少年は変わらず敵意を向けたままユラを睨む。だが、自分の力では敵わないと観念したのか、その足の歩みは止まる。むき出しの敵意を浴びることは一般人のユラにとって経験したことはなく、痛いまでの視線や感情が突き刺さるかのようだった。



 2人は少し進んだ先の道の端に座り込む。市場の喧騒からかけ離れた長閑な住居が立ち並ぶエリアには、質素な家々が立ち並ぶ。街の中心部とは異なり、道の整備もされていない。同じ町でも経済格差を感じずにはいられない。


 もっと町のハズレに行けば貧困が目立ち、治安も悪くなる。恐らく少年はそんな町ハズレのさらに端で暮らしているのだろう。


 手持ちの水で少年の傷口を洗い、衣服の端を割いて包帯の代用を作る。ユラは手当をしながら少年に話しかけ質問をするが一切の返答はない。



 名前はなんなのか。

 家族はいるのか。

 食事や生活はどうなっているのか。

 自分に助けられることはあるか。



 そんな質問に少年は答えることはなく、ただただ敵意に満ちた空気を醸し出す。ユラは困ったように微笑みながらも、丁寧に祈るように少年の傷を手当する。


 しかし、少年はそんなユラの思いなど微塵も気にしていないのか、手当が済むとさっさと歩き始める。街の中心から離れる方向に歩みを進める少年を、ユラはどこか心が引っかかるような気持ちで見送るのだった。



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