第68話 弟子入り初日

 トン! トン! トン!



「ん? んんんっ……ん?」



 一日の始まりを告げる朝日が薄暗い森の中に光を入れようとしている中、カーテンの隙間から差し込んだ陽光で……ではなく、何かが窓を叩きつけている音で目が覚めた木こりは、眠気まなこで窓の方を見ると、そこには鼻先で器用に窓を叩いているステインがいた。



「ん? ステイン?」



 夜はもう明けたから魔物が出てくることはないと思うけど……


 覚醒していない頭のまま起き出した木こりは、いつもの木こりの格好ではなくシンプルな寝間着姿で窓に近づくとそっと開けた。



「おはよう、ステイン。珍しいね、こっちに来るなんて」



 いつもはお行儀よく馬小屋に戻っているはずなのに。


 窓から入ってきた新鮮な空気を頬に感じて少しだけ目が覚めた木こりが優しく微笑むと、窓から離れたステインが小さく嘶きながら明後日の方向に首を何回も横に振った。


 ん? ステインが首を振っている方向って確か……



『それでしたら……朝でお願いします。それでしたら時間が作れますから』

『分かりました』



「っ!?」



 昨日、メストと交わした約束を思い出した木こりは思わず目を見張ってステインの方を見た。



「まさか、あの場所に彼が来ているの!?」



 嘘でしょ!? 本当に!?


 再び小さく嘶いたステインに顔を真っ青にした木こりは、急いで軽めの朝食と身支度を済ませた。

 そして、慌ただしく外に出てステインに馬具をつけると、そのまま飛び乗って薄暗い森の中を駆けた。





「あっ、本当にいる!」



 あの約束、嘘じゃなかったのね。


 木こりを乗せたステインが全力疾走で森の中を駆けていくと、眼前に紺色の髪を短く切り揃えた長身で細身の人物が、目を閉じて木に背を預けている姿が見えた。


 へぇ~、遠くからでも案外さまになっているのね……って、そうじゃなくて!


 目の前の人物に思わず見惚れてしまった木こりが慌てて首を横に降ると、木に凭れ掛かっていた人物がステインの足音に気づいた。

 そして、ゆっくりと木から離れると姿勢を正して嬉しそうに笑みで迎えてくれた。



「っ!? 心臓に悪いわよ」



 婚約者に見せるような嬉しそうな顔、ただの平民でしかない私にしないでよ。


 ようやく見慣れた凛々しい表情とは正反対の柔らかな笑みを浮かべるメストに、胸が高鳴った木こりは思わず愚痴を零すと、こみ上げてきたそっと気持ちを押し殺して足を止めたステインから颯爽と降りた。



「おはようございます。すみません、お待たせしてしました」



 彼に向かって深々と頭を下げた木こりに、メストは笑みを崩さなかった。



「おはようございます。大丈夫ですよ。俺の方がほんの少しだけ早く着いてしまっただけです。それに……」

「それに?」



 そっと頭を上げた木こりの淡い緑色の瞳に、紳士らしい穏やかな笑みを浮かべたメストが映った。



「こうして、あなた様と一緒に鍛錬出来ることが嬉しすぎて、いつもより少しだけ早く目が覚めてしまったのです。我ながらガキっぽい理由ですよね?」



 そう言って悪戯っぽく笑いながらウインクするメストに、一瞬目を見張った木こりはすぐに無表情に戻すと小さく息を吐いた。


 どうして、そんなに優しい笑顔を私に向けるの? よりにもよって、誰もいない森の中で。


 こみあげてきた複雑な気持ちを強引に無表情の裏に隠した木こりは、そっと後ろに回した拳に力を入れて再び押し殺した。



「それなら良かったです。それなら早速、鍛錬を始めましょう。私も騎士様も時間がありませんし」

「そうですね。ですが、その前にお互いに自己紹介をしませんか?」

「自己紹介ですか?」



 不思議そうに首を傾げる木こりに、表情を引き締めたメストが静かに頷いた。



「はい、これから鍛錬をつけていただきますので、出来ればあなた様を名前で呼びたいのです。そして、私のことも『騎士様』ではなく名前で呼んで欲しいのです」

「それは……」



 紳士らしく胸に手を当てながら話すメストに、木こりは思わず口を噤んだ。


 そんなもの、出来るわけ……



「まずは俺から。俺……私の名前はメスト・ヴィルマン。既にご存知のことだと思いますが、私は現在、王国騎士団に所属している騎士です。現在は近衛騎士団の一部隊の隊長を任されております」



 そんなの……教えてもらわなくても知っているわよ。あなたが、剣術に秀でたヴィルマン侯爵家の長男であることも。あなたが、私の……


 一瞬顔を歪ませて目を逸らした木こりに、メストは思わず眉を顰めると一歩近づいた。



「あの、どうなさいましたか? やはり、騎士は嫌だったでしょうか?」

「っ!?」



 しまった、表情かおを見られてしまった!


 心配そうな顔で見つめるメストのアイスブルーの瞳とかち合った木こりは、慌てて表情を戻すと小さく咳払いをした。



「コホン。いえ、何でもありません。それに、私が本当に騎士様のことを嫌いでしたら、今この場にいません」

「そうですよね。それなら良かった」



 てっきり、気分を害してしまったかと思った。


 安堵の表情で溜息をついたメストは、そのまま木こりに名前を聞いた。



「では、あなた様の名前を……」



 すると、木こりは僅かに視線を落として静かに口を開いた。



「実は私、んです」

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