第19話 ダリア・インベック

「メスト様ぁ~!」



 自分の名前を呼ぶ声に気づいたメストは、その場に立ち止まって大きく手を広げた。

 すると、はしたなく走ってきた貴族令嬢が、何の躊躇いもなくメストの胸に飛び込んだ。



「こら、ダリア。いつも『転ぶから走って来なくて良い』って言っているじゃないか」

「だってぇ。鎧姿のカッコイイメスト様を一目見ただけで、勝手に足が動いちゃうんですよぉ」



 そう言って、胸の中に飛び込んできた貴族令嬢ダリア・インベックは、ルビーのような赤い瞳を潤ませて上目遣いで見上げると、可愛らしく頬を膨らませた。

 そんなダリアに苦笑を漏らしたメストは、王都で流行っている編み込みが施された彼女の黒髪を慎重に撫でた。

 随分前に、メストが綺麗に整えられた髪型を崩してしまい、ダリアからこっぴどく怒られたからだ。



「それはとても嬉しいことだが……やはり、婚約者としては心配だから走って来ないで欲しい。可愛くて美しいダリアが傷つくのは俺が嫌だから」

「はぁ~い♪ 分かりましたぁ~♪」



(とは言っても、また走って来るんだろうな。せっかく、ダリアのためにメイド達が完璧に仕上げただろうに)



 フリルがふんだんにあしらわれたピンクのドレスに、王都の流行っているアクセサリーを身につけているダリアの甘えるような返事に苦笑したメストは、主人の隣で複雑そうな顔をするメイドを一瞥すると、そっとダリアを引き離した。

 そのタイミングでシトリンがわざとらしく咳払いをした。



「コホン。それで、ダリア嬢は何をしにこちらへ?」



 メストから離されて不満げだったダリアは、紳士的な笑みを浮かべるシトリンとラピスを視界に入れると、貴族令嬢らしく淑やかに微笑んで綺麗なカーテシーした。



「これはこれは、シトリン様にラピス様ではありませんか。お2人がメスト様と一緒にお仕事なんて珍しいですね」

「うん、俺の場合はいつもメストと一緒に街の巡回をしているんだけど」



(本当、この子の目にはメストしか入っていないんだね。幼い頃は、今と同じく活発だったけど、周囲に気を使って堂々と婚約者に抱きつくようなはしたない真似はしなかったのに)


 相手のことや周りのことなんてお構いなしの振る舞いをする親友の婚約者であり自身の幼馴染でもある今のダリアに、シトリンは少しだけ苦手意識があった。

 そんな彼の心情など知る由も無いダリアは、メイドから渡された扇子を大きく広げると上品に口元を覆った。



「ウフフッ、そうでしたか。まぁ、私がわざわざこちらに参ったのは、単にメスト様を見つけただけですけども」



(やっぱり、そんなことだろうと思ったよ)



「それよりもメスト様! 今度、我が家でお茶会を開くのですけども、よろしければおいでになって下さいませんか!?」



((それ、今言うこと?))


 呆れているシトリンとメストを他所に、ダリアに詰め寄られた少しだけ慄いたメストは、婚約者から怪しまれない程の距離を取った。



「ですがこの前、お会いした時に俺のことをお茶会に誘いませんでした?」

「それは、身内だけのお茶会で今度はお友達とのお茶会です!」



((それとこれとは何が違うのだろうか?))


 ダリアの誘いに思わず敬語で聞くメストの傍で、呆れ顔のシトリンとラピスは互いに目を合わせると揃って小首を傾げた。

 すると、紳士の笑みを浮かべたメストが、扇子を持っていない方のダリアの手を握った。



「ダリア、毎回茶会に誘ってくれるのはとても嬉しい。だが、すまん。実はまだ、その類の招待状に目を通していないんだ。だから、返事は招待状に目を通してからでいいか?」

「もう! そうやってまた、手紙で断るんですよね!」



(それはそうでしょ。メストは、近衛騎士団の一部隊の隊長を任せられていて常に多忙。だから、安易に返事は出来ないんだよね)


 近衛騎士団での婚約者の評価など知らなさそうなダリアは、メストから思い切り手を離すと頬を膨らませて睨みつける。

 そんな彼女を見てシトリンが内心苦笑していると、ダリアの傍に控えていたメイドが主人の耳元で何かを囁いた。



「まぁ! もうそんな時間になのね!!」



 大声で返事をしたダリアは、貴族令嬢らしく優雅に3人に向き合うと再び綺麗なカーテシーをした。



「それでは、失礼させていただきます。メスト様、今度のお茶会、楽しみにしていますね!」



 淑やかに微笑んだダリアは、3人の騎士に背を向けるとゆっくりとした足取りでその場を後にした。





「相変わらずだね、ダリア嬢は」

「そうだな。だが、王都に来てから会う頻度が増えた気がする」

「当たり前でしょ。王都は彼女が住んでいるんだから」



(それでも、辺境にいた頃は月一で会いに来たけど)


 メストが第二騎士団にいた頃、ダリアは彼に会うためにわざわざ王都から1日かけて辺境にある騎士団の駐屯地に訪れていた。

 そして、門番役の騎士や案内役の騎士に何かと文句を言ったり、『わざわざ辺境まで来たのに、宰相家令嬢である私をこんな簡素な部屋に止まらせるの!?』と騎士団内に特別豪華な宿泊用の部屋を作らせたりと、訪れる度に何かと騎士達を困らせていた。


(まぁ、彼女が公爵家令嬢でペトロート王国の娘だから、騎士である俺たちは従うしかないんだけどね)



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