第6話



「ビギニング平原よ、私は帰ってきた!!」



 往年のネタを披露しながら、クラフは再びビギニング平原へと舞い戻ってきた。今回の目的は、新たに手に入れた魔法の試運転だ。近距離攻撃はからっきしだった彼だが、遠距離攻撃は果たしてどうなのだろう。



「ふるふる」


「お、さっそく出たな我がライバルよ。くらえ【フレア】!」



 ビギニング平原に入ってすぐにスライムと遭遇したクラフは、右手を突き出し【フレア】の魔法を使う。手から放たれた火が相手に向かって行くというだけの単純なものだが、火という自然界においてそれ自体が強力な武器となり得るため、決して侮れるものではない。



 FLOSの魔法は特に難しい詠唱はなく、呪文名のみを口にすることで発動が可能となる。詠唱自体のシステムが組み込まれていないのかといえばそうではなく、高ランクの魔法を扱う場合においてはある程度の短い詠唱を必要とするが、下位レベルの魔法であれば詠唱の必要はほとんどない。



 FLOSで最弱のモンスターであるスライムをライバル呼ばわりするクラフ。そして、続けて放った火魔法スキルの【フレア】がスライムに襲い掛か……るかと思ったが、スライムの数十センチ手前に着弾し、メラメラと炎が立ち込めている。それを不思議そうな様子でスライムがふるふると体を左へ右へと捻っていたが、その攻撃がクラフによるものだとわかった瞬間、彼を馬鹿にするかのようにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。



「こいつ馬鹿にして。ならこうだ! 【フレア】、【フレア】、【フレア】、【フレア】!!」



 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言わんばかりに、クラフはフレアの魔法を連打する。MP消費が1という火魔法最弱の攻撃だが、それでも今のクラフにとって1ポイントのMPは決して安くはない。それを湯水のごとく使っての攻撃は決して賢い選択ではなかったが、その攻撃が功を奏し、前回よりも短い時間でスライムを撃退することに成功する。



 ただし、前もって言っておくが今回の討伐時間と前回の討伐時間を比べてという意味での“短い時間”という表現であり、並のプレイヤーであれば十秒もかからず撃退できるということは一応だが言及しておく。そして、今回クラフがスライムを倒すまでにかかった時間は――。



「いいぞぉ。前回戦った時よりもだいぶ早い。二分もかかってないんじゃないか?」



 などと嬉しそうにしているクラフだが、一回の戦闘で二分もの時間がかかること自体がおかしいということに気付いていない。RPG終盤の雑魚モンスターであればそれくらいの時間がかかってもおかしくはないが、今彼が戦っているのは序盤も序盤であり、しかも相手は最弱のスライムときている。二分もかかっていないではなく二分が経ってしまったと表現すべきなのだ。



 それでも、木の棒で戦っていた時よりかは早く倒せているのはクラフの言うとおりであるため、そこについては否定しない。だが、それでももう少しどうにかならないのかというのが実際のところだろう。



『条件を満たしました。スキル【遠距離攻撃命中補正】と【知力強化】と【魔力強化】を習得しました』


「お、新スキルだ」



 戦闘が終了すると、新たに三つのスキルを習得した。【遠距離攻撃命中補正】は名前通り遠距離の攻撃を行った時の命中率に補正が掛かるスキルで、これで少しでもクラフの攻撃がまともに当たってくれることを祈りたいところだ。【知力強化】と【魔力強化】については、魔法に関連するパラメータであるINTとMPに補正が掛かるスキルで、魔法を使うことが習得の条件となっていたらしい。



 新たに手に入れたスキルの助けを借り、クラフはビギニング平原を駆け抜ける。時にはスライムに悪戦苦闘し、採取ポイントを見つけては確実に素材を回収する。前回よりも戦闘時間が短くなったことで素材回収の機会が増え、かなりの素材を手に入れることができた。そんな状況にほくほく顔のクラフだが、人生往々にして上手くいかないこともままあるということを彼は身をもって知ることになる。



「ん? またスライムか? でもなんか色が違うぞ」



 クラフの前に現れたのは、スライムであった。だが、いつものスライムとは異なり、その色は赤い色をしており、動き自体も早いように思える。その風格を敏感に感じ取ったクラフは、即座に鑑定を使った。






【名前】:レッドスライム


【性別】:♀


【職業】:なし


【ステータス】



 HP 15


 MP 5


 STR 7


 VIT 5


 AGI 6


 DEX 4


 INT 5


 MDN 6


 LUK 3



【スキル】


 初級物理耐性・下Lv2、体当たりLv2





 なんと、クラフの前に現れたのはビギニング平原に出現するスライムのユニーク個体【レッドスライム】だった。初めてクラフがスライムと戦った時、そのあまりの強敵ぶりに相手がユニーク個体ではないかと予想したが、実際はただ単純に彼が想像以上に戦闘下手なだけだったという一幕があった。だが、鑑定の情報から今回は間違いなくスライムのユニーク個体が相手だ。



 ユニーク個体とは通常種のモンスターよりも強敵で、部類としてはレアモンスター扱いとなっている。しかしながら、場合によってはフィールドボスと呼ばれる次のエリアに進むために倒さなければならないモンスターよりも強力な個体もいたりするため、決して侮ってはいけない存在だ。



 といっても、FLOSにおいて最初のフィールドであるビギニング平原にそんな強力なモンスターを配置する訳もなく、実際のところはスライムよりも少しだけ手強い相手ですよというのが運営側とプレイヤー側の総意見だ。ただし、そのプレイヤーは戦闘をまともにできるという最低条件を満たしている者ばかりという注釈が付くが……。



「相手にとって不足なし! いざ、尋常に勝負!! 【フレア】」



 ここでクラフが不運だったのは、魔法という力を手に入れ、最初に戦った時よりもスムーズな戦闘をこなせるようになったことで、自身の力を過信しすぎてしまっていたことだろう。忘れてはいけなかったのだ。自分が常人よりも戦闘が下手だということを……。



「ふるふるっ」


「げぼぉ」



 クラフの魔法を掻い潜りレッドスライムが彼に接近する。そのままの勢いで体当たりをお見舞いされたクラフは、後方に吹っ飛ばされる。そのダメージは通常のスライムとは比べ物にならず、たった一撃で10ポイントという驚異的な数値を叩き出した。その攻撃によって彼の残りHPは25となる。



 いきなりの衝撃に面を食らったクラフだが、まだHPに余裕があることからすぐさま態勢を立て直すと、もう一度レッドスライムに向けて攻撃を仕掛ける。



「当たれ! 【フレア】」


「ふるふるっ?」



 【遠距離攻撃命中補正】というスキルを手に入れたお陰もあって、クラフの放った攻撃は逸れることなくレッドスライムへと命中する。だが、その攻撃は相手のHPに対して貧弱そのものであり、15ある内のたった1削っただけに過ぎなかった。



 心なしかレッドスライムも、「今、何かしたか?」という雰囲気で体を捻るような仕草をした後、お返しとばかりにクラフに接近する。スライムよりも俊敏とはいえ、その動きは決して避けられないわけではないのだが、戦っている人間がクラフということを鑑みれば、避けることはまずできないだろう。そして、予想を裏切ることなくレッドスライムの体当たりをお腹にくらってしまう。



「うわっ! ま、まだだ。まだ終わらんよ!!」



 やはりユニーク個体だけあってその攻撃力はスライムの比ではなく、ゴリゴリとHPが削られていく。今回の攻撃でクラフが受けたダメージは7ポイントだった。これで残りHPは18となり、現在の最大HPの半分まで減少する。イエローゾーン突入である。



 現時点でまだHP回復は必要ないと判断したクラフだったが、相手がユニーク個体であることを彼は失念していた。その攻撃力は序盤に出てくるモンスターとしては高火力であるということを。



「ふるふる……ふるふる!」


「ぶべらほぉー。 ま、まずい!!」



 レッドスライムの攻撃が痛恨の一撃となり、ここで不運にもクリティカルヒットが出てしまう。そのダメージは序盤ではかなりの痛手で16ポイントの大ダメージを負ってしまう。この攻撃でクラフの残りHPが2となり、一気にレッドゾーンへと突入である。



 さすがにこのままでは死んでしまうことを悟ったクラフが、回復のため生産工房で作った下級ポーション++を使い、回復を試みようとするも、その行動が大きな隙を生んでしまう。



「か、回復を……。こ、このままではし、死んでしま――」


「ふるふる~」



 レッドスライムが不意に形を変え、人の手のようなものに変化する。そして、その手がまるで別れを告げるかのように左右にひらひらと動いた。すぐにそれが“バイバイ”を意味している行動だということを理解したクラフだったが、それを理解した瞬間には時すでに遅しであり、そのままレッドスライムの止めの攻撃を受け、彼はもろくも死んでしまった。



「……死んだか。以外に呆気なかったな」



 クラフが気付いた時には、彼が最初にやってきたファスタードの広場に戻ってきており、どうやらそこが復活地点となっているようだ。



 FLOSでは前作も含めて死に戻ったプレイヤーは、最後に立ち寄った拠点の広場に戻ることになっているため、そのシステムに則り、クラフもまた広場で復活した。ちなみに、前作FLOでは、拠点として活用できるホームが街の特定の場所に設置可能だったため、ホームがあればそちらに死に戻ることも可能だった。だが、現在ホームを解禁しているプレイヤーがいないため、まだホームによる死に戻りはできない。



「デスペナは……ああ、やっぱパラメータがダウンしてるな」



 死に戻ったことにそれほどショックを受けていないクラフは、死に戻りに対する罰則……デスペナルティ略してデスペナによる影響を確認する。すると、パラメータが目算で三割ほど減少しており、満腹度もレッドスライムとの戦闘前は70ほどだったが、半分の35程度に減少している。



「パラメータダウンに満腹度半減か。げ、俺の素材が減っている……だと!?」



 FLOSのデスペナはゲーム内時間で二時間継続し、パラメータ三割減少と満腹度の半減に加え、一部素材のロストに所持金の二割も消失するというなかなかに大盤振る舞いな仕様となっている。尤も、こういったオンラインゲームにおけるデスペナルティとしては軽い部類であり、鬼畜仕様のオンラインゲームではレベルがいくつかダウンしたり、所持金がゼロになったり、持っていた素材がすべてロストしたりなどという素敵な目に遭うため、そういう意味ではFLOSのデスペナは良心的なものと言えるだろう。



 それでも、運営に対し“少々デスペナがきついのではないか?”という怨嗟の声が鳴り止むことはなく、一日に何百件という問い合わせをしてきた猛者もいる始末だ。余談だが、その猛者は運営の迷惑行為のガイドラインに触れたため、二週間のアカウント停止処分を受けている。度重なる運営の警告を無視して強硬手段を取った結果なため、自業自得という意見がプレイヤーたちの見解だ。



 死に戻りをすることよりも、素材を失ってしまったという事実の方がクラフにとってはダメージが大きかったようで、その場に両手両膝を付きORZ状態となる。かつて、クラフが一人用のクラフト系ゲームプレイしていたゲームの中に、戦闘寄りのゲームが存在した。そして、その戦闘をクリアしなければいつまで経っても次のステージに行くことはできないばかりか、死に戻りによるデスペナで持っていた素材すべてを失うという経験をしたのだ。一回の死に戻りで失う素材の量は大したことはなかったが、それが十や二十ともなってくれば話は別である。



 そういった過去を持つクラフは、いつの間にか素材に対する執着心が芽生えてしまい、ちょっとしたきっかけで素材を失うと過剰に反応を示すようになったのだ。



「お、おのれレッドスライムめ! ……いいだろう。素材の恨みは恐ろしいということをその身にたっぷりとわからせてやる」



 本来は食べ物の恨みなのだが、クラフの素材に対する執着心はそれ以上であるため、彼に至っては妥当な表現と言えなくもない。普通はレッドスライムに負けた悔しさからリベンジを決意するのだが、素材を奪われた恨みから彼はレッドスライムとの再戦を心に誓うのであった。



「奴に再挑戦するにしてやるとは言ったものの、デスペナの効果が切れるまで何もできないなこりゃ。二時間もボーっとする訳にもいかないし、何よりそろそろ家の仕事をしなければ」



 クラフがログインしてから大体四時間ほどが経過しており、そろそろ一旦ログアウトをしてトイレ休憩などを挟みたいところだ。それに加え、時間的には夕方が迫ってきており、夕飯の支度と、食材など含めた数日分の買い出しをしなければならない。それが済めば風呂の掃除と残っている家事をこなさなければならず、ゲームの状況的にもリアルの事情的にもこれ以上の続行は困難だという結論が出た。



「くぅ、仕方ない。今日はこのくらいで勘弁しておいてやるか」



 何故だか上から目線なクラフだったが、そんなことを気にした様子もなくメニュー画面からログアウトを選択し、一度現実世界へと戻るのだった。











「いただきます。はむっ、もぐもぐ」



 FLOSの世界から戻ってきた彰は、すぐに買い出しへと出掛けた。数日分の家の食材を買い込み、残っていた家事をこなした。なんやかんやで時刻は夕方となり、夕飯の支度をして今ようやく一息つけたのである。



 今日の夕飯はお昼に素麵を食べたので、腹に溜まる丼にご飯を入れ、その上から八宝菜を入れた八宝菜丼と鶏ガラをメインに使った中華スープという組み合わせだ。



 野菜たっぷり栄養満点の八宝菜と日本人のソウルフードというべき米との相性は最高で、彰はついつい食べ過ぎてしまいそうになる。未だ育ち盛りとはいえ、食べ過ぎは体に毒であるため、彰は“腹八分目を目安に”を常に心がけている。



「やっほぉー、アッくん。美少女幼馴染の保奈美が遊びに来てあげたぞ~」


「もぐもぐ……」



 楽しい食事のひと時を邪魔するかのように保奈美が現れる。意気揚々としたその姿は、今朝の出来事がまるで嘘のような雰囲気を醸し出している。そんな彼女に対し、彰は八宝菜丼を咀嚼しながら冷ややかな目で見つめている。



 そんな彰の様子などお構いなしとばかりに、遠慮なしに近くに歩み寄ると彼が食べている食事を見て口を開いた。



「今日のアッくんの夕飯は八宝菜丼ですかー。いいなぁー。でも、もう夕ご飯食べちゃったし、これ以上食べると太っちゃうかもー」


「……」



 保奈美の言葉に反応することなく、彰は食事の手を動かす。ここで「そうだな」などと同意の言葉を口にするほど彼は命知らずではない。女性という生き物は、年齢・体重・胸などの容姿という話題に対して敏感に反応するということを理解しているからだ。ここで彰が何かを言えば、いろいろな意味で時間を取られることになるのだから。



 自分の話にまったく興味を示さない彰に対し、頬を膨らませながらもそんな彼の態度に何かを感じ取ったのか、唐突に保奈美がこんなことを口にする。



「アッくん……あたしに何か隠し事してない?」


(出た。保奈美のエスパー。これがあるから、こいつは厄介なんだ)



 彰の態度に変わった様子はない。だが、保奈美にとっては何か目には見えないセンサーのようなものがあるのか、鋭敏に彼の心境の変化を感じ取っているらしい。だがしかし、敵もさるもの。彰もそんな保奈美と何年も一緒にいるのだ。その程度の揺さぶりで動じることはない。



「うーん……いや、特に思いつかないな」


「ほんとにぃー? 怪しいなぁー」


「お前こそ、俺に何か隠し事してるんじゃないのか? スリーサイズとかよ」


「えぇー、あたしのスリーサイズ言ってなかったっけ? ええと、うえから八十――ひぎゃっ」


「言わんでよろしい。さして興味もない」



 これが彰が保奈美とのやり取りにおいて数年に渡って編み出した技【話題逸らし】である。もともと、ポーカーフェイスが得意だった彰は、周囲の人間から何を考えているのかわからないという印象を持たれることが多かった。それは、今こうして会話をしている保奈美も感じているところであり、彼の本心は彼にしかわからないところがある。



 そして、意外にも彰は口下手ではなく、言葉巧みに相手を意のままに操る技術に長けており、その能力はエスパーな保奈美に対しても何度か出し抜いているほど卓越したものなのだ。まさにその口は、詐欺師のそれと比較しても遜色はない。ただし、お金は騙し取らない詐欺師だ。



 エスパーVS詐欺師というB級映画に出てきそうな陳腐なタイトルだが、今の二人にこれ以上合ったものはない。それは、二人をよく知る友人たちの間で、度々口に出るほど聞き慣れたワードとなってしまうほどだ。



「ああ、そうだ。言い忘れてたんだけど、明日からあたしアッくんと同棲するから」


「……さっきの脳天チョップ。当たり所が悪かったか」


「あたしは至って正常だわい! 実はね、パパとママが三十八回目のラブラブ旅行がしたいって急に言い出して。ちょうど、あたしも夏休みに入ったし夫婦水入らずで過ごしたいって言ってきたの。近所にはアッくんもいるし、しばらく娘の面倒を見てくれないかって言ってたわよ。もちろん、雅人おじさんと静子おばさんにも許可は取ってあるみたい」


「マジか」



 保奈美の両親といえば、彰たちが住んでいる地域でも有名なおしどり夫婦であり、度々こうして旅行に出掛けたりするのだ。結婚して十五年以上が経過しているにも関わらず、その熱愛ぶりは未だ衰えておらず、娘である保奈美自身も呆れるほどだった。



 そんなわけで、今年も夫婦で旅行に行く計画を立て、彰たちの夏休みにぶつける形で計画を実行に移したのだ。といっても、年頃の娘を放っておくのは忍びないと思ったのか、何かと頼りになる彰に娘の面倒を見てほしいと本人である保奈美に言伝を頼んだのである。



 もともと、子供の頃から知っている親戚のようなものだし、保奈美の両親も彼女が彰に並々ならぬ思いを抱いていることを知っており、この機会に二人の仲が進展してくれればめっけものであると、彰の両親とも事前に相談した結果によるものだ。この一件、彼の両親も一枚噛んでいるのである。



 近所同士の付き合いをしてきたということもあり、彰の両親と保奈美の両親の仲は良好で、夫婦仲もお互い似たり寄ったりな関係であるため、自分たちの子供同士も同じようになってくれればとすら考えているのだが、彰にとっては迷惑千万な話である。



 レールを敷かれた人生ほど退屈なものはなく、自分の道は自分で見つけて進んでいくという考えを持っている彰にとって、両親の考えは彼と真っ向から対立するものだった。彰自身両親のことは嫌いではないが、時折こういった意見の食い違いが起こるため、彼としては付かず離れずな関係を築いている。



 そんな訳だが、ここにきてその関係が仇となってしまった。保奈美には内緒でやっているFLOSだが、自分の家に四六時中居座られるとなると彼が保奈美の誘いを断ってFLOSをプレイしていたことがバレてしまう。別段保奈美にバレること自体に問題はない。では、何が問題かといえば、自分が嵌っているゲームを彰がやっていると知られれば、彼と一緒にFLOSをプレイしたいと考えるのはごく自然の流れだ。



 だが、その流れに乗った結果どうなったのかは以前説明したように、彼にトラウマを植え付けるだけに終わってしまったのだ。そんなことがあって、保奈美と一緒にゲームをしたいかと問われれば、誰だってNOと言わざるを得ない。例え、美人で巨乳な幼馴染だったとしてもだ。



「そういうわけで、今日からお世話になりま――」


「ちょっと待て。お前はいくつか隠していることがある」


「な、なんのこと? あたし馬鹿だからわからないなー」



 彰の指摘に途端にしどろもどろになる保奈美。保奈美にとって誤算だったのは、彼女が彰のことに関してエスパーの如き勘の良さを働かせるのと同じく、彰もまた保奈美の嘘に対して敏感に察知する能力を保持していた。彼の勘が言っている“奴は重要な何かを隠している”と……。



「まず、第一にお前の口から聞かされた冬也おじさんと茜おばさんの伝言は“しばらく娘の面倒を見てくれないか?”であって、同じ屋根の下で暮らせとは言っていない。第一おじさんたちがいない間の家の防犯のことを考えれば、おじさんたちが知った仲とはいえ、お前を他の家に何日も滞在させるようなことは言わないはずだ」


「……ち、バレたか」



 彰の指摘に、両手を頭の上で組んだ状態で口を窄めながら保奈美が白状する。彼の思惑通り、彰の家で滞在するというのは保奈美が両親から伝言を預かった際に思いついた彼女の策略であり、あくまでも留守にするからある程度は気にかけておいてほしいという意味で言った言葉だったのだ。



 彰と保奈美の両親とも、自分たちの子供同士で結婚してくれたらもっと楽しいことになるだろうとは思っているものの、さすがに年頃の男女を同じ家に住まわせるほど保護者として監督不行き届きな不義理をするほど落ちぶれてはいない。尤も、娘を放っておいて夫婦二人で旅行に出掛けてしまうというチョンボを犯している以上、親としての責任云々を語れるのかは甚だ疑問だ。



「それに、お前の言葉が嘘だという根拠はもう一つある。お前の言っていることが本当なら、うちの両親からそのことについて俺の耳に入るはずだ。うちの親は俺に胃袋を握られているからな。俺の機嫌を損ねれば、二度と俺の手料理が食べられないと知っている」


「かぁーしまったぁー! そんな落とし穴がぁー!」



 情けないことだが、彰の言っていることは事実だ。日々仕事に追われる彰の両親は、家の家事全般を息子の彰に頼っていた。そして、そんな二人が日々楽しみにしているのが、最愛の息子が作った手料理なのである。愛妻料理ならぬ愛息料理に日々の活力を得ている彼の両親にとって、息子の手料理が食べられなくなることは何よりの痛手であった。



 そんな完全に胃袋を掴まれている彰の両親が、彼にとって不利益になるような情報を伝え忘れるはずもなく、両親から何も聞かされていないということは、保奈美の言っていることに矛盾が生じているということを彼は見抜いたのである。



 そもそも、いくら保奈美が彰に対しエスパー並みの勘を働かせることができるといっても、その精度は絶対という訳ではない。今回は彼女の策略を押し通すためのポーズであり、彰が本当に何かを隠しているから言ったことではなかったということだ。



「参った降参だ。パパとママからの本当の伝言は“しばらく留守にするから、娘のことをそれとなく気にかけておいてくれ”だよ」


「まったく、実の親からの言葉を偽って伝えるとは、お前には人の心というものがないのか? この親不孝者め!」


「ぐっ、今回は非があるのは完全にこっちだから反論の余地がないぜ……」



 保奈美が両手を上げながら降参のポーズを取る。そして、両親からの本当の伝言を伝えてきたので、彰は彼女の言動に対して非難する言葉を浴びせかけた。保奈美も自身の行動に思うところがあったのか、彼の非難を真摯に受け止めていた……かに見えた。



「くそぉー! んぐんぐんぐんぐ」


「あぁ! 俺の中華スープが!!」



 彰に負けたことで自棄になったのか、最後の抵抗として彼が楽しみにとっておいた中華スープを一気に飲み干してしまった。それをただ呆然と見つめる彼に向かって保奈美は高らかに言い放つ。



「ぷはぁー、美味かった。なぁーはっはっはっはっ! さすがはアッくん。あたしの未来の旦那様になる男なだけはある。だが、覚えておくといい。あたしのファーストキス諸々の初めては、必ずアッくんに奪ってもらうということをな! なぁーはっはっはっはっはっはっ! なぁーはっはっはっはっはっはっ!!」


「……俺の中華スープ」



 彰との駆け引きに負けておきながら、ここまでの開き直った態度を取れることに呆れていいのやら感心していいのやらといったところだが、未だ中華スープを飲まれたことにショックを受けている彰を残し、威風堂々といったデカい態度でキッチンから玄関へと歩いて行った。



 一方、そのまま取り残された彰はといえば、未だ思考が停止した状態で動かなかったが、保奈美に中華スープを飲まれてしまったという事実を理解した瞬間、止まっていた思考が加速していく。



「おのれ……許さん……許さんぞぉぉぉぉおおおおおおおおお!」



 次の瞬間、まるで某エヴァなゲリオンに登場する弐号機のような野獣モードへと突入する。目のハイライトは消え、その息遣いは荒々しく、その両手は爪を立てたビーストそのものだ。



 彰の理性のタガが外れてしまい、本能に従って疾走する。その目的は、理不尽にも自分の中華スープに手を出した不届き者に裁きの鉄槌を下すためだ。



「ふんふんふーん。ふんふん――ぎゃぁー」



 圧倒的疾走は瞬く間に保奈美との距離を詰め、鼻歌交じりで歩いている彼女を射程圏内に捕らえた次の瞬間、両膝を折りたたむようにジャンプし、鋭く突き出した両足の裏で彼女の背中を力一杯蹴り飛す。所謂ドロップキックである。



 完全に無防備な状態からの奇襲であったため、その衝撃を受け流せるはずもなく、保奈美の体が宙へと舞い上がる。ここで幸いだったのが、玄関の扉が開けっ放しであったということだろう。それは保奈美自身が彰の家を訪れた際、うっかり閉め忘れていたものだったのだが、今回の場合は彼女のズボラさが功を奏し、玄関の扉に激突するという事態を回避することができたのだ。



「う、うぅ……な、何をするんだアッくん!?」


「どうだ! これでお前の“生まれて初めて背中にドロップキックをかまされた”という初めてを奪ってやったぞ! よーし、次はヘッドロックだ!!」


「そ、そういう初めては求めてなーい!!」



 などと保奈美が叫ぶも、怒り狂った彰が止まるわけもなく、そこからヘッドロックからのチョークスリーパーからのスリーパーホールドの顔面三連固めに続いて、ラリアットからの足四の字固めを繰り出し、最終的にアイアンクローからの顔面に張り手をかましたのち、大技のDDTでフィニッシュとなった。



 後に残されたのは、煙を立ち上らせながらボロボロの状態でうつ伏せに倒れる悲惨な姿の保奈美だけであり、そんな彼女に吐き捨てるように彰は言い放った。



「食べ物の恨みは恐い。次また同じことをしてみろ。その時は、死よりも恐ろしい究極のパワーというものを見せてやる。わかったな。返事はどうした?」


「ふぁい、しゅびばしぇんでじだ」



 自業自得とはいえ、これはあまりにも保奈美が報われない。だが、そもそも彼女が彰の中華スープを飲まなければこんなことにはなっていないため、同情する余地があるかどうかは甚だ疑問である。



 彰の家にやって来たときよりも明らかなダメージを負った保奈美は、ボロボロになった体を引き摺りながら家へと戻って行ったのであった。



 余談だが、保奈美が帰った後で彰はもう一度中華スープを作り直し、楽しい夕食のひと時を過ごした。

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