第75話 受付嬢ちゃんでも察する
ブラッドリーさんはショックを受けていましたが、同時にどこかで納得したかのように静かにネスさんと、そして自分の事を語り始めます。
「俺には……ネスに拾われるより以前の記憶が、殆どない。拾われてから今まで、外見年齢も変わらない。髪も爪も伸びないんだ。怪我も……たちどころに治ってしまう」
「そして、大戦以来年齢を取らず髪も爪も伸びていない女が、ここにいます」
ブラッドリーさんの告白も衝撃でしたが、確かにエルディーネさんが女神の祝福によって年を取らなくなったというのは余りにも有名な話です。
現に彼女はもう50歳近い筈なのに、その姿は受付嬢をやれそうなほど若々しい。
同じく英傑となったシグルが何かしらの祝福を受けているのはあり得ないとは言い切れません。
「ネスは、俺が歳を取らないことも怪我のことも、何一つ言及しなかった。俺を気遣っていたのだと思っていたが……もう、そう思えない。あいつは、何か知っている」
シグル=ブラッドリーというあり得ない筈の仮説が、急に現実味を帯びてきたのを感じます。
もしこれが真実であるならば、ネスさんは公文書だけでなく軍役時代の虚偽報告疑惑まで浮上します。こっそりエルディーネさんの方を見るとばっちり目が合いました。真意は見抜かれていたのか、優しく微笑みかけてきます。
「もう30年も前の罪を今更ほじくり返して王家に告発する気はありません。ただ、真実が知りたい……私には、ブラッドリーと名乗るこのヒトはシグルにしか思えません」
エルディーネさんは静かに立ち上がり――隠し持っていた小刀で流れるようにブラッドリーさんに斬りかかりました。ブラッドリーさんは座ったまま大剣を納刀したまま突き出して平然と応戦し、刃と鞘や鍔が一瞬のうちに幾度となく激突します。
ブラッドリーさんは一歩間違えれば自分の指が切り裂かれるような僅かなミスも許されない攻防を平然と続け、一瞬の隙に小刀を弾くと剣を抜きました。
突然の凶行に唖然とする中、エルディーネさんは息一つ乱さず小刀を仕舞います。
「使い手の少ないアーリアルの納剣式格闘術、それも免許皆伝クラス。こんな芸当を私相手にこなせるのはシグルしかいません。抜刀の癖まで瓜二つです」
「……そのためだけに斬りかかったのか」
「慈愛の聖女などと呼ばれていますが、所詮は戦で名を挙げた女。剣は嘘をつけませんから」
一切悪びれないエルディーネさんですが、逆を言えばシグルならこの程度は造作も無く防ぐという確信があってこその行動でしょう。そして、彼女の予想は結果としてブラッドリーさんがシグルだという可能性をより深める結果になりました。
しばしの沈黙の後、ブラッドリーさんが重苦しく口を開きます。
「とんだ話に巻き込んでしまってすまない、シオリ」
とんだ話、ということは重要なお話でしょう。
巻き込まれただなんて思っていません。
ここまで来れば真相を突き止めるべきです。
シオリも可能な限り協力します。
「しかし……君を巻き込みたくない。サナ神殿のときも言ったが、見逃してくれればそれで……だいたい、自分探しは受付嬢の仕事ではないだろう」
確かに、自分探しは受付嬢の仕事ではありません。
しかし、担当冒険者の経歴に偽装疑惑があることは関係なくありません。
「それは、そうだが……」
正論に言い返せずブラッドリーさんが言葉に詰まります。
確かにシオリはサナ神殿でブラッドリーさんが個人的に負うリスクにとやかく言わないことは頷きました。
でも、それ以前に「自分でよければ受付嬢としていつでも力になる」とも明言した筈です。
本当にブラッドリーさんの正体がシグルであればギルド的にも大問題です。真相が明らかになるまでは、それは唯の自分探しではなく受付嬢の仕事の範疇です。
もちろん越権行為は無理ですが、少しくらいは頼ってくれてもいいと思いませんか、ブラッドリーさん?
「……わ、分かった」
勢いに押されて素直に頷くブラッドリーさんを見て、エルディーネさんがくすくす笑います。
「ふふっ、逆らえないんだ。シオリちゃんに」
「……逆らう理由もないから」
「婚約者の妹さんと、昔に似たようなやり取りして圧し負けてたわね。貴方がシオリちゃんを気に掛ける本当の理由って……いえ、こんな物言いは今の貴方には困るだけかしら?」
可笑しそうなエルディーネさんの表情は、美しさの中に可愛らしさや愛おしさが混ざり合って、なんというか、尊みを感じました。
ですが、シオリははたと気付きます。
自分は受付嬢であるにも関わらず、いつのまにか婚約者の妹クラスにブラッドリーさんと距離感が近いように周囲には見えていたのでしょうか。これでは周囲からブラッドリーさんにホレてるとからかわれても文句が言えないと、場違いにも恥ずかしい気分になりました。
――結局、ここでどんなに話し合ってもネス・アイウィッツさんに真相を確かめないことには何も判明しないということで、ブラッドリーさんとエルディーネさんの話は終わりました。
その後、エルディーネさんは翌日にまたファンサービスに応えたり、セツナちゃんたち子供と遊んであげたりと、死んだ筈の戦友の面影を感じさせない態度でした。推しと可愛い子供が遊んでいる様は眼福でしたが、シオリにはどこか彼女が戦友のことを考えないようにしている風にも見えました。
翌日の別れ際、ブラッドリーさんはエルディーネさんに最後の質問を投げかけていました。声は小さく、近くにいたシオリくらいにしか聞こえないものでした。
「俺をシグルと呼んだのは、貴方とクロエとジンオウと……もう一人いた。【遷音速流】と呼ばれる男だ。あいつは、何者だ」
「【遷音速流】……そうですか。なら、私の口からは何も言えません」
「……」
それは、知っていると宣言したようなもので、言えない理由は恐らくアーリアル歴王国側の都合ではないかとシオリは推測しました。
ですが、と、エルディーネさんは言葉を続けます。
「シグルが戦役末期に辿った道を
「……そうか」
「またお会いしましょう、シ……いえ、ブラッドリーさん。そのときに貴方が自らをどう名乗っていたとしても、私は気にしないつもりです」
少しだけ寂しそうに笑い、エルディーネさんは去って行きました。エルディーネさんはよく微笑みますが、その笑みは彼女の感情が強く籠もっている気がしました。
それが亡き戦友を想ってのことなのか、或いはそれ以上に深い感情であったのかは分かりませんが、シオリはなんとなく後者ではないかと感じました。
◇ ◆
ギルドの人々が織りなす人間模様は複雑で、故に面白い。
それは、いつもそう感じていた。
誰にも見つからない遙か遠くからあらゆるものを観測する存在――それは常に傍観者だった。そうあれかしと創造された。虚ろな存在意義の中にあるのは、ほんのちっぽけで些細な夢だけだった。
しかし、観測する対象はいつも大きな運命を背負った存在ばかりだった。
世界に影響を及ぼす存在が含有する運命の力を、悲しいかな群衆の一部に過ぎない存在は持っていない。何か関わりを持ったとしても、それ自体が運命を動かすことはない。それが個としての限界だからだ。
『そう思っていましたが、しかし……興味深い』
あらゆる視点から見てもちっぽけな小石に過ぎない存在。
しかし、同胞たちからの話を耳にしていざ注視してみると、なんと不思議な存在か。力を持たない筈の小石のような運命は、世界と深く関わるあらゆる運命とどこかで微かに結びついていた。
それは、小石ではあるが、驚くほど特異な小石だった。
『彼女が引き起こす
それはひとりでうんうんと頷き、決断した。
『好ましい相手には自分を知ってもらうためにアピールをするのがヒトの基本。ここは基本に倣って近々貴方の元を尋ねさせて貰いますよ、シオリさん』
ほんのちっぽけな夢に到達するために。
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