第65話 vs深淵の想魚Ⅰ

 遠方に出た討伐隊は既に粗方の討伐を終え、見落としがないか周囲を偵察しながらの撤退を始めていた。


 その部隊の一つ――若人実力者組のニーベルが異変を察知したのは、町でサクマがセツナの異変に気付いて間もなくのことだった。

 サーヤ、ニーベル、グラキオの三人は、今現在空を飛んでいた。

 具体的にはサーヤの二槍の端から炎を凄まじい勢いで噴出させ、その推進力で飛んでいる。


「ああチクショー!! 町に着いた頃には神秘スッカラケッチだぞ、アタシ!!」

「世話になった町とシオリがどうなってもいいってのか君は! 見下げ果てた下衆だな!」

「シオリの犠牲の下に成り立つ平穏など要らぬわ! もっと早う飛べ!!」

「分かった分かってるよクソッ!! 金より手間より人命優先してやるよぉっ!!」


 ニーベルとグラキオはそれぞれ槍にしがみ付いているのだが、サーヤは何故か腕を組んで仁王立ちの構えで二本の空を飛ぶ槍に乗っている。当人曰くこれが一番安定するのだそうだ。


 きっかけは、ニーベルがサクマから渡されていた連絡用神秘道具――とサクマが言い張ったが周囲には唯の用途不明の箱にしか見えなかったものに、文字が浮かび上がったからだ。


 ――魔物が空から町に侵入。

 ――セツナが避難所を抜け出した。

 ――シオリがそれを追いかけた。

 ――急いで戻ってこい。


 極めて簡潔にデンジャーな事が告げられ、ニーベルはサーヤをほぼ脅しに近いレベルの懇願で空を飛ばさせたのだ。グラキオもシオリの名を聞くや否や強引に槍に捕まり、サーヤは普段一人分の出力で飛行する術に三倍以上の力を籠めていた。


 言葉にすれば簡単だが、ウーヌスの神秘術を用いて空を飛ぶなど通常ならば考えられないほどの高等技術だ。それを二人分の荷物を抱えて安定して飛行出来るサーヤの技量とバランス感覚は尋常なものではない。


 と、グラキオが何かに気づいて叫んだ。


「何ぞ!? 町の近くの川に巨大な水塊が浮いておる!! 中心にいるのは魔物か!?」


 遅れてそれを確認したサーヤとニーベルは絶句する。


 川に沿った場所に合計で三つ、巨大な水の塊が川から水を吸い上げて浮いているのである。ニーベルが双眼鏡を取り出してよく見ると、水塊の中心に十数マトレはあろうかという魚とも竜とも知れない生物が胎児のように体を丸めている。


 空中に浮かぶ水塊とその中で瞳を閉じる魔物。

 その威容は見る者の心を不安にさせるほど現実感が欠如している。

 まるで想像の中に登場する怪物のようだ。

 もしも纏う水が術として押し寄せてくるなら、その大質量は瞬く間に地表に存在するあらゆる物と建築物を薙ぎ倒して廃墟を生み出すだろう。


「中心の魔物が神秘術を使って水をかき集めてんの!? あんなのが町に入れば一巻の終わりなんですけど!?」

「ええい、この忙しい時に! 【万魔侵攻】とは斯様な敵までおびき寄せるのか!?」


 グラキオの言葉をニーベルが即座に否定する。


「違う、明らかにおかしい! そう大きな水場でもないのにあんな危険な大物がいて、しかも取り巻きの群れがいないだなんて道理が合わない! 何か……!」


 【万魔侵攻】は地上の超巨大迷宮から発生する関係上、基本的に水棲魔物は発生しない。水場が近い場合は例外的に発生することもあるが、水棲魔物は自らのテリトリーである水場から自ら出てくることはない。しかも、あれほど大型の魔物が複数で襲ってくることも稀だ。

 その稀が、余りにも揃いすぎている。

 だからニーベルは「おかしなことが起きている」と表現した。

 更に、ニーベルは周囲を見回して厄介な事実ことに気付く。


「一匹はフェルシュトナーダさんのチームの撤収ルート、もう一匹はカナリアさんの部隊の撤収ルートに重なってる……俺は頭がおかしくなったのか!? こいつら【万魔侵攻】を利用して計画的に町を潰す気としか思えない!!」

「ちょっと、これもう町に行ってもムリじゃない!? あんな規模の水がぶちこまれるかもしれない町に入っても死ぬだけよ!?」

「ならばあの化物を殺せばよいだけのこと!!」

「バッ、本当に本気なの!? その辺のザコと違うんだよ!? 本気で死ぬよ!? あんた英雄気取りで自分は絶対死なないとか馬鹿考えてないでしょうね!?」


 思わずサーヤが声を荒げた。

 身の丈に合わない冒険はしない――全ての冒険者の生き残る鉄則だ。

 敵の魔物は未確認の存在だが、明らかにこの場の三人では実績が伴わないと感じる程の存在感を放っている。あれは間違いなく討伐部隊を組むか最上位冒険者に依頼する規模の魔物だ。


 ニーベルも戦いたい気持ちはありながら、理性ではそのことを分かっている。

 勝ち筋のない戦いに挑めば周囲まで巻き添えにしてしまう。

 ましてこれは退魔戦役の始まりという訳ではないのだ。

 仮に町が壊滅したとして、生き延びた冒険者は隣町に状況を知らせる義務が生まれるし、避難シェルターはもしかすれば無事で済むかもしれない。


 葛藤するニーベルより先に、グラキオが覚悟の怒声を上げる。


無礼なめるな!! そもそもここまでの移動に貴様の槍を使ったのは、妾の移動法より少しばかり速かったからに過ぎぬ!! 刮目するがいい、エドマの盟主に連なる力に……!!」


 言うが早いか、グラキオは槍から手を放すと落下しながら全身に膨大な神秘を纏う。

 マイナスの値によって全てが反転した神秘は冷気へと変わり、空気中の水分がダイヤモンドダストへと変化して彼女の周囲を美しく舞う。

 膨張するように広まった冷気は、次の瞬間にはグラキオの身体の中へ一瞬で収縮すると目を覆う光を放った。


「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 ニーベルとサーヤはその光景に視線を奪われた。


 グラキオの狼の耳が、大型化する。

 普段は動物のそれと変わらない尾が一マトレ近く肥大化し、しなる。

 メキメキと音を立てて爪と犬歯が反り出す。

 皮膚がどこか神秘的な白を纏い、浮世から遠のく神々しい姿へと変化していく。


 ――噂には聞いたことがある、とニーベルは息を呑む。


 氷国連合の戦士たちは、通常では取り込めない程の大量の神秘を御することで、戦闘時に【変身】すると。


「エドマ氷国連合が第二十八皇女、白狼皇女ネスキオッ!! いざ、参るッ!!」


 閉じていた目を見開いた彼女の両眼は、黄金色の燐光を放っていた。


「グラキオが……皇女ぉッ!?」

「【】の一族……ッ! 道理で尊大な!」


 神秘的な形態へと変化したグラキオは神秘をクィンクェの術を応用して推進力にしているのか、足の裏から白い霧のようなものを噴出して空を飛んだ。瞬間的にはサーヤを上回る程の速度で飛来した彼女の右腕の爪に、嘗てニーベルとの組手で披露した『氷燕斬』の数倍はあろうかという冷気が凝縮される。


「飛燕斬・五爪裂華ァッ!!」


 ギュバァッ!! と大気を切り裂き、五本の冷気の刃が敵の魔物に飛来した。


『――ァァァ』


 ぎょろり、と宙に浮かぶ魔物の瞳が見開かれ、纏う水からいくつもの水柱が発射されていく。

 水柱は冷気の刃と衝突し次々に凍り付く。直撃すればあの巨大な水塊さえ全て凍り付く勢いに、ニーベルはもしかしたらと期待した。

 しかし、氷が魔物に近い場所から水に変換され、再びグラキオを襲う。


「ム!」


 白狼皇女が両手を掬い上げるように振ると、冷気の突風が舞い起こり、無数に枝分かれして迫った水が一瞬で凍り付く。魔物のやり方を真似るように氷を利用して反射させ、魔物に殺到させる。

 これもしかし、魔物に近づいた途端に水に戻る。

 魔物の神秘術が属性や数列を上書きしているのだ。


「ムム……相性が悪い! 負けはせぬが、勝てもせぬ。どうすればよいのじゃ?」


 あのサイズの魔物相手に互角とは、組手の時に「本気を出していない」と言った意味が嫌というほど理解できる。本気になった彼女相手にニーベルが挑めば、剣の間合いに入る前に一方的に氷漬けだ。


 その力が規格外すぎるが故、

 故にエドマ氷国連合の皇家は【国潰し】と呼ばれている。

 その【国潰し】の一族である彼女を以てして勝てないと言わしめる怪物に、何の対策があるというのだろう。ふと、サーヤが考え込んでいるのに気づいたニーベルは声をかける。


「……」

「サーヤ、きみ、なんか考えがあるのかい?」

「ないこたぁ、ないけどさ。しょーじき思い付きっちゅーか、確たるものはないっちゅーか」

「聞こえておるぞサーヤ。何でもよい、聞くだけ聞かせよ」


 地表100マトレの空中に瞬時に氷の足場を構築したグラキオが苛立たしげに急かす。

 プライドの高い彼女が意見を聞こうとしているのは、シオリたち町のことを思ってだろう。

 サーヤはニーベルと共にいったんその足場に乗り、自信なさげに推測を述べる。


「あのさ。水を操る魔物だったら水の中に居た方が安全でしょ? なのに今は川の上に浮いて、川から水を集めて、しかもグラ……皇女様が距離を取ると手も出してこないし。あいつさ、現状結構ムリしてるんじゃないかな?」

「グラキオのままでよい。しかし、そうさな。町を潰すのが目的ならばとっくに動いている頃合いであるのに、連中は動かぬ。足止めと威容による戦意の低下でも狙っておるのか? なれば魔物に指示を下す頭がいても可笑しくないが……」

「それこそないって。魔物の頭、魔将 ハロルドだったら容赦なく町を滅ぼしてる。ともかく、あいつらは自分の土俵ではない場所に居させられてるんだ。だったらここの三人でもやりようはあるのかなー……などと」


 実に歯切れが悪いが、理には適っている。

 グラキオとニーベルは目を合わせ、互いに頷く。


 ここは彼女の策に乗るべきだ、と。

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