第18話 受付嬢ちゃんと報酬の意味
人が死にたくない、生きたいと願うのは生きている以上当然のことだ。そのために死を遠ざけるのもまた当然のことだ。
家も衣服も道具も、生存に有利だから発展した。
より楽に、よりストレスなく。
シオリから冒険者の講義を受けた際、無理だと思った。
生死を賭けて魔物と戦うなど無理だ。
戦えるだけの力と勇気のある者が前に出ればいい。
勇気のない者はどうしようもなく死ぬのが怖いのだ。
だいたい、自分はこの世界のヒトではない。
人類の存亡などどうでもいい。
帰りたい、と、素直に思った。
仕事はしないといけないとギルドには何度も足を運んだが、魔物の討伐依頼が視界に入る度に帰りたい欲求が湧き出て、しかし帰る方法など見当もつかず、結局なにもせずに去っていた。
軟弱者だ臆病者だと言いたくば言えばいい。
事実、軟弱者で臆病者なのが自分だ。
ニーベルというお人好しの好意に甘えて生き延びる卑怯者だ。
でも――皆、生きるのに必死だ。
自分が何もせずふらふらしている間、皆は今日を生き延び、明日を生き延びる準備をし、未来の生存競争に備えている。この町ですら、年に数回は魔物の大群が押し寄せて迎撃の為に総力を挙げて戦うのだという。
ヒトが同じ考えの下に一致団結して戦う……冒険譚であれば盛り上がる話なのだろうが、今の自分には嫌なことを思い起こさせてどうしようもなく吐き気がする。
しかし、気付いたこともある。
激しい生存競争の中、それについていけない者もいる。
優劣の概念がある以上は当然のことだ。
自分だけが弱いのではない。
この世界にも弱い者がいるのだ。
セツナはどうだ。
記憶も家族も何もないこの少女は、誰かが面倒を見てあげないとどうなることか。世界があれば、善人と悪人とその狭間の者が存在する。誰もが子供に善意を向ける訳ではない。
まだ言葉すら拙いセツナの小さな手は、いつもぬくもりを求めるように自分を抱きしめる。雪兎のような白い君。生きる為に誰かを必要とする無垢で穢れなき者。
彼女を
雪は一粒ではすぐに融けて消えるが、降り積もり、折り重なればより白く美しくなる。彼女の手を離せば消えてしまいそうな儚さと、銀世界の言葉にならない美しさを重ね、雪という字をどうしても入れたくて、
セツナは自分の前に現れた。
ニーベルやシオリにもなつく素振りを見せるが、彼女はいつも最後には自分の元に駆け寄ってくる。家族を求める無垢な
同じように、縋ることでしか生きていけない女が町にいる。
自分と何一つ関わりの無い、名前しか知らない女だ。
ポケットから取り出した指触りのいい板きれをなぞる。
周囲には教えていない、魔法の板きれだ。
道具は使う者の心次第だというが、無思慮な力の行使が行き着く先を見たことがある。だからこの板きれの魔法を、自分は自分のためだけに使ってきた。
「……こんなことしたって何にもなんないんだよ」
言い聞かせるように、口に出す。
煙管から肺一杯にハーブの煙を吸い込む。
最初はあの洗練された紙煙草が恋しかったが、今は少しこちらもいいと思っている。少なくとも前の煙草よりは健康にいいし、ニコチンが切れて苛々することも少なくなってきた。
ハーブは広い目で見れば薬だ。
しかし、ドラッグストアのないこの世界で薬は貴重だ。
市販薬で治る病気も、その市販薬の値段の高さのせいで誰でも買えるものではなくなっている。海外では難病を治す薬を製薬会社が法外な値段で売っているというドキュメンタリーを思い出し、ため息が出た。
異世界に来ても、こういうところは変わらないのだな、と。
「俺には関係ないよ」
入念な準備だけはして、森へと向かう。
明日を生きる糧を手に入れるために。
◆ ◇
サクマさんが依頼に出発してから1日が経過して――提出期限の時間ギリギリで戻ってきました。
「ひぃ、ひぃ……汚れた肺が憎い……こんなことなら禁煙早めに初めとくんだった……」
時間こそ危うかったですが、採集された薬草は数も揃い、なによりとても綺麗に保存されています。回数をこなせば速度は上がるでしょうし、これは今後にも期待できるかもしれません。
ただ、元々不人気依頼だっただけあって、まとめて達成しても報奨金はそれほど高くありません。
「塩漬け依頼を片付けてくれたボーナスとか……ない?」
ギルドの内申で稼いだと考えて満足してください。
「ええ~……まぁ、内申は大事か。ちゃんと仕事したってことをギルドが認めてくれてるって証だもんな。これで今までサボってたから今回の働きも低く見積もるなんて言われたら嫌になるし……」
その通り、サクマさんもたまにはいいことを言います。
(俺が普段変なことしか言ってないかのような言い方ッ)
ギルドの評価システムは完璧ではありませんが、仕事の一つ一つをきちんと評価することで普段の行いの悪さをある程度は帳消しにすることが出来ます。
開き直って素行を正さず仕事でだけ結果を出されると少し困りますが、今まで問題のあった人が己を改めた際に挽回できるというメリットは大きいとシオリは思っています。
ただし、サクマさん。
今までサボった分が埋め合わされたとしても未来にサボれば同じ事の繰り返しです。そのことをよく肝に銘じて……お疲れ様でした。今日はゆっくり休んでくださいね。
「えっ、うん……いや、何急に照れてんだ俺は。年下の女の子に飴と鞭使い分けられただけで動揺すんな、恥じろ恥じろ! あー、ともかくなんだ。もう少し顔出すよう努力するわ。シオリちゃんにこれ以上駄目人間だと思われるのも悲しいしな!」
変なサクマさんです。
いつものことですが。
あと、冒険者さんたちがこちらに聞こえない声でなにかひそひそ話しています。
(シオリちゃんってああいうときサクッとねぎらいの言葉差し込んでくるよな)
(ファンがまた増えたかもしれんな。次の人気受付嬢ランキングは揺れるぞ)
慣れない作業の疲れかそれとも寝不足なのか、サクマさんは依頼料金をポーチに乱雑に押し込むと大あくびをして「言われたとおり今日は帰って寝るよ」と言い残してフラフラとギルドを後にしました。
今更ですが、もしかしたら彼なりに赤篭草を見つけられないか探していたのかもしれません。しかし、仮にそうならば成果は芳しくなかったようです。
シオリが無意識に視線を向けた先には、昨日から手つかずのまま放置されている赤篭草の採集依頼がかかったままでした。
ここで依頼分の薬草を持ってきて「これでその依頼は終わりだ」なんて格好いいことを出来たら凄いし格好いいですが、そんな理想は実現しがたいものです。
せめて今日こそあの依頼を受ける人が来ますように。そう願っていると、町医者さんが今日もギルドにやってきました。依頼が受注・達成されないのか確認しに来たのかと思っていると、町医者さんが頭を下げます。
「すみません。赤篭草の依頼ですが、達成期間を長めに変更してください」
「……もしや、買ったのですか? 歴王国の薬草を!?」
全ては遅きに失したか。
周囲が息を呑むなか、町医者さんは苦笑いして首を横に振りました。
「いえ、昨日ですね。突然ローゼさんの部屋に薬師を名乗る謎の男性が現れて、見たこともない調合の薬を無理やり飲ませて去っていったそうなんです」
ヒトはそれを事件と言います。
不法侵入者に謎の薬を飲まされるなど恐怖でしかありません。
「そしたらその薬がなんと病気の特効薬だったらしく、すっかりローゼさんは健康になって……ああ、それと依頼を追加で。ローゼさんが『薬が死ぬほど苦かったので文句と、あとお礼を言わせてほしい』ということで、その謎の薬師さんの捜索依頼を。というか私もその薬師さんからぜひ薬の詳細を聞きたいのですが……」
「えっと……その不法侵入者さんを特定する情報なしには難しいですよ? 何かありますか?」
「手がかりですか? 背丈は平均的な成人男性くらいで、ハーブの香りを身に纏っていたそうですが……」
まさかまさかの奇蹟の大逆転に周囲がほっと胸をなで下ろします。
シオリは、たまには神様にも祈りが通じるものだなと思いつつ、先ほどのサクマさんの事を思い出し、まさかね、と首を横に振りました。
確かに煙草代わりにハーブをくゆらせていますが、彼がそんな天才的薬師ならばギルドで冒険なんてせずとも生計を立てる手段がいくらでもある筈なのですから。
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