好きになれたら

蘭野 裕

 好きになれたら

「人を好きになれたら、恋が始まる。

 恋してくれる人を好きになれたら、ロマンティックな恋ができる。

 生活するのにちょうど良い人を好きになれたら、結婚できる。

 自分を好きになれたら、幸せになれる。

 これ、私の持論ね。

 もちろん、片思いだって恋のうちよ」


 一人暮らしの私の引っ越しを手伝いに来てくれた親戚のお姉さんと、ひと段落して夕食を食べている。コンビニで買ってきたお酒の回るころ、婚活が上手くいかないと打ち明けたら、こんな話をしてくれた。

 私も独身だから参考になるか怪しいけど、と前置きしていたが、そんなお姉さんだから話す気になれた。

 それと関係あるのかないのか、思い出話も始まった。



  *  *  *



「私が小学生だった頃、意地悪な男子がいて、大っ嫌いだったの。

 やれ私と同じ名前のおじさんがいるだの、走り方が変だの、しまいには目を合わせたくなくて不自然な動きをしたからってそのことでも揶揄われたし、本当にイヤな奴だった!

 そいつは足が早くて体育が得意だったからクラスで人気はあったわ。でも嫌いは嫌い。

 周りの人は、あんたを好きなんだよ、許してあげなよ……なんていうのがまた腹立たしかったな」


 ああ、いるいる。そんな悪ガキ。

 お姉さんの子供のころは世の中のいろんな物事が今より猥雑だったらしいから、私と同級生だったそのタイプの子よりひどかったかもしれない。


 好きな人にイジワルしたくなる気持ちは分からない。許せという人のことは尚更わからない。自分が同じことをされても平気なわけでもあるまいし。


「あるとき、私は日直で帰りが遅くなって、誰もいない校庭で逆上がりの練習をしてみたの。誰も見ていないと思っていたのに、何故か校舎の窓辺にあいつがいた。気づいて帰るとき、囃し立てられたのよ。

『おい、もう終わりか。そんなんだからいつまでも出来ないんだよ』

 誰のせいだっつーの!


 しばらくして、図工の課題で絵を描いていたの。黄昏時の薄紅色と紫の空を描こうとして、なかなか納得のいく色にならなくて苦心したわ。

 図工はお昼休みの直後だったから、授業が始まる前から画用紙を広げて絵の具を重ねていたの。

 あいつが見にきたけど、何か言われようと構うもんか! やってやる! と思って塗り続けたわ。


 じつを言うとね、そのころ好きな人がいたの。無口で物静かで、接点はなかったけど、とにかく綺麗な顔をしてたわ。


 完成した絵は廊下の壁に貼り出されたの。全員分。だから当然、私の描いた絵もみんなに見られたわ。

 ある日の放課後、廊下を歩いていると曲がり角の向こうからこんな声が聞こえたの。


『空がピンク色なんて、変なの』


 男子だという以外に誰の声か分からなかったけど、私の絵のことだって気づいたわ。


『そこが良いんじゃねえか。……そりゃあオレだって上手いとは思わんけど、すげえ頑張って描いてたんだよ。自分が理解できないからって馬鹿にするもんじゃねえよ』


 かばってくれたのは、よりによってあいつだった……!


 私は教室に置いた荷物を取りに戻るはずが、足がすくんでしまった。けど、帰る人と必ずすれ違う所にいたから、声の主と鉢合わせするしかなかった。


 私の絵をけなしたのはなんと、綺麗な顔の、無口な、あの男の子だったのよ。初めて好きになった人に初めて言われた言葉があれなんて……小学生女子にはちょっとキツイでしょ。向こうは私に聞かせる気はなかったにしてもね。


 男子二人も、好き放題言った絵の主にすっかり聞かれていたと知って気まずそうだったわ。

 私は……悔しさも悲しみも、あいつにぶつけてしまった。


『何よ! 頑張ったから馬鹿にするななんてよく言えるよね! 鉄棒のときは笑ったくせに!』


『あれは……悪かったよ』


 あいつにしおらしく謝られたのも意外だったけど、続く言葉が妙に頭に残っているのよ……。


『でも……おまえ、鉄棒はイヤイヤやってたけど、絵のときは本気だったじゃんか』」



  *  *  *



 ここまで話すとお姉さんはテーブルに突っ伏してしまった。続きを再開する気配はない。疲れて眠ってしまったのだろうか。

 

 明日が休日とはいえ、お姉さんは泊まるつもりではなかったはずだ。帰るときは駅まで送ってあげなくちゃ。電車の時間によっては、駅近のカフェでお茶しながらもう少しおしゃべりするのも良さそうだ。


 声を掛けようとしたら、起きた。


「ねえ、ごめん。いまの話、ひとつ大きな嘘があるの」

 酔っ払いの話し方になっている。

 いいよ、昔話をつい盛るのはよくあることだよ、と答えた。


「いまの話ね、私のことじゃないの。私は、紫とピンクの空を描いた子と一緒にいた友達。逆上がりが出来ないのは同じでも、何の取り柄もないモブみたいな女子。

 願望で、自分がその子になったつもりで話してみたくなったのよ」


 おっと、第二部開始か。


「横で見ていたからわかったの。綺麗な静かな男の子は、本当はあの絵を悪く言いたかったんじゃない。みんなが青空や紺色の夜空を描くなかで、一人だけピンクと紫の黄昏を描いてしまうあの子の性格が羨ましかったのよ」

  

 続きは長いかもしれない。お姉さんが泊まることにしてくれたら、パジャマパーティだ。布団はどこに敷けばいいかしら。


「癪だから言わなかったの。だって私は……足が早くて格好良いあいつを……好きだったの」


 そう来たか。これはこれで興味深い。

 ところでお姉さんはいつも夜何時ごろ寝るんだろう。動画を見るときも音量を小さくしよう。泊まるなら、だけど。


「ちょっかいかけられてる友達がイヤがってたのも分かるけど、そんな形でも構われるのが羨ましかった。友達目当てでもそばに来てほしかった……」


 気づけば熱かった紅茶も冷えていたお酒もぬるく、ケーキの生クリームもだれていた。

 素面なら駅まで一人で帰れるだろうけど、お姉さんは少し酔っている。何より今日はいろいろ手伝ってもらったのだから送ってあげなければ失礼だ。

「ねえ、帰りの電車だいじょうぶ?」

「あら、もうこんな時間」


 駅までの道すがら、お姉さんは思い出したように言った。

「紫の空の子ね、あなたに少し似てた」

 その口調の明るさに私はホッとした。


 お姉さんを改札で見送って帰宅してから、私はふと思った。

 酔った頭で、思い出話の友達と自分を入れ替えて話すなどということがあるなら……黄昏の空を描いた女の子の友達という話も、本当とは限らないのではないか。


 お姉さんの話はどの部分が本当で、どこで嘘をついて、あれに近い出来事があったとしても、誰のような位置にいたのだろう……?




(了)



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