ラーメン屋

あの話をする時機をうかがいながらも、ほかの人がいる前で言うのは佐々木に可哀そうかなと思い、結局まだ話せず店まで来てしまった。

ガラス扉を開けて僕らは入る。


——カラン、カラン、コロン


店内は湯気が立ち込め、そのあまりの蒸気に、店内に入った一瞬だけ息が止まりそうになった。

醤油たれの深みのある香りが鼻の奥まで届く。


「ああーいい匂い!」


軽音男子が小さくジャンプし心躍らせた様子で声を出す。



右にある四人用のボックス席に座った。

バスケ男子と軽音男子が先に壁側を取り、僕と佐々木が向かい合う形で通路側に座る。

この店に来るのは初めてだった。


店内をきょろきょろ見回して僕は店奥に設置してあるセルフサービスっぽい給水機を見つけ、水を取ってくる。

そこはさらに湯気の量が増して目がぱちぱちしそうなほどだった。

三人分しか持てなかったから、みんなのを配って再び自分のを取りに行くことにする。三人とも軽くありがとと声を揃えて述べた。

もう一度湯気に満ちみちた給水機のところへ行って水を汲んだ。


わずかに脂っぽい机の上に水を入れたコップを滑らせて、自分も流れるように着席する。

佐々木の隣に座る軽音男子が立てかけられたメニューを取り、机中央に広げる。


「俺は醤油って決めてる!」

「じゃ俺も」


軽音男子が醤油ラーメンを指さして言い、つづけて佐々木もそれにする。

僕とバスケ男子が悩んでいるあいだ、後ろからぞろぞろ人がやってきた。


——カラン、カラン、コロン


「おお!ささーき」

「おー」


誰かと思って振り返ったら別クラスの男子たちだった。

メニューに視線を戻そうとしたそのとき、入り口から結城が入ってきた。結城は僕たちグループを一瞥して、そのときにほんの一瞬目が合い、僕はただちに身体を戻しメニューに視線を落とす。


心臓がドラムを叩くかのように尖鋭にビートを刻む。

結城が僕の隣を通る。


「よお」


佐々木が呼びかけて結城はいま気づいたような声を出す。


「おっ」


そして立ち止まることなく結城は、先に奥の席へ向かったクラスメイトたちのほうへ歩いていく。

僕は結城を見ることはせず、メニューから眼を離さないようにする。


もわもわとした湯気がこっちの席にも充満してきて、喉を蒸気でいっぱいにされる気持ち悪さと頭にまとわりつくような蒸し暑さに襲われる。背中に汗が流れる。


「はいよお!醤油ラーメンおまち!」


カウンター席の客に怒鳴り上げるぐらい元気いっぱい張り上げる店員の声が、充満した湯気を押しわけて店内に響き渡る。


僕は優柔不断にもまだメニューを決めきれなかったが、さっぱりとしたものが欲しくなって塩ラーメンにした。もう一人のバスケ部男子も同じタイミングで豚骨ラーメンに決めたようだ。

佐々木が手を挙げて店員を呼ぶ。




ラーメンが来るのを待っている間、左奥の席に座った一行をちらちらと盗み見していた。三人でボックス席に座り、ちょうど結城が通路側でこちら向きに座っていた。


この店はかなり繁盛しているようで、次から次へと客が入ってくる。そのたびに扉のベルがカランコロンと鳴り、それに反応した結城が何度も入り口に眼を向ける。

僕は結城が入り口に視線を向けるたびに、右前に座る軽音男子に視線を移す。

……相変わらず忙しそうに僕の心臓は跳ね続けている。


麺を茹でる大釜の湯が湯けむりを上げて、どくどくどくっと沸騰する。



自分以外の三人は、国語の課題の話をしている——。


別クラス一行の一人がこちらに歩いてきた。佐々木の隣に無理やり座ろうとして、軽音男子と佐々木がそれにあわせて右に寄る。佐々木と同じバドミントン部の生徒だ。

第二ボタンまで開けてだらっとシャツを着ている。

軽音男子がやや遠慮気味に微笑を浮かべて挨拶する。


「……お、おいっす、レオ君」

「おーっす!」


陽気に——はじめて名前を知ったが——レオが応える。


「何しに来たんだよっ」


佐々木がやわらかく眼を細めて文句を垂らす。


「ささーきたちも体育祭の準備してたん?」

「そう」

「うちのクラスの女子こわいわー」

「知るか」


相手にされなくて、わざとらしく頬を膨らませたレオが佐々木の脇をくすぐる。


「ひゃはっはっ!おいやめろ!ひゃっはっ」


上下左右に身を崩す佐々木を眺めて僕たちは笑う。佐々木が本当に苦しそうに身体をじたばたさせる。

なにごともクールにこなしてしまう佐々木だから、こういう本気でもがく姿は新鮮でどうしてもおかしく映ってしまう。




厨房のタイマーが鳴るタイミングで湯煙がぼうっと噴き出す——

立ち込めた湯気が再び顔を襲い、水蒸気で思わず閉じた眼をこする。

何回もこすった眼をひらき、さっきまで何も感じなかった店のギラギラと眩しい照明が眼球に刺さると突然——、胃が体から盗み取られたような感覚に陥る。


——思わず笑ったあの瞬間——この高校生活のワンカットはいつまで続くのか。

いま身体を密着させてこんなに仲良くしている佐々木とレオ、それを笑って眺める僕たちの関係が揺るぎなく確かなままであるのはいつまでか。高校を卒業したらすっかり消えてしまうのか。


あまりに突然にそんな疑問が思い起こり、身体が風船みたいに空気ばかり詰まって心が宙に浮く。


佐々木やレオはどういうつもりで今の交友を楽しんでいるのだろうか。彼らにとってはそんなこと気にすることでなく、本心から屈託なく笑いあっているのだろうか。



僕は四人が人目をはばからずげらげら笑うなか、立ち上がってトイレへ行く。

店内と対照的にトイレの蛍光灯は古く暗い。

個室に入って力なく身体を落とす。


こんなことを考えているのは自分だけなのだろうかとも思う。卒業したら仲良かった友達とも疎遠になって、しだいに互いのことなど忘れてしまうと、そんなことは自分以外にとっては当たり前なのかもしれない。


便座がギリギリと割れそうな音を立てる。


うなだれて、じっと眼を閉じて考え込んでみる。

……だがなにもそれ以上思いつくことはなかった。


トイレを出て席に戻った時にはレオはいなくなって、三人は既に届けられたラーメンを黙々と食べていた。


何も言わずただ真剣に食べる様子を見ていると、考えていた将来の姿は案外こんななのかもしれない気がしてきた。


手を伸ばし橋を持って、僕も目の前のラーメンを思いっきりすする。

あまり遠くの未来を気にしてもしょうがない。まずは眼前に湯気を沸き上げ食欲をそそるこのラーメンをたらふく食べることにした。

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