ロングホームルームでの役職決め

五限が終わり次が最後の授業でロングホームルームがある。勉強の時間でないというだけでクラスの空気は浮かれだす。

授業中は息をひそめていた生徒たちが……おもむろに声を出し始めた。


——誰かが話せばまた別の誰かも誰かと話しだし、それが伝播して誰もかれもが発する声が、ゴムボールのように教室中を跳ねまわる。


一分後には喧噪という言葉がふさわしい状態になった。



まわりがうるさくても、僕は小休憩の十分間を過ごす自分なりの習慣がないので、手持ち無沙汰に机に肘をついて中空を眺める。……しかし他の生徒がわなわな会話しているなかでは耐えられなくなり、自分も誰かと話さなければいけない気がしてしまう。


静岡に話しかけようとしたが席にはおらず、どこかへ行っているようだった。


相手がいないのならどうしようもないということで、仕方なくしばらく机に突っ伏していたらチャイムがなり、孤独を嗜む思索家高校生を振る舞う必要もなくなった。

チャイムと同時に佐渡島が教室に入る。

廊下にいたクラスメイトたちも佐渡島に続けて教室に戻る。


ロングホームルームは授業ではないので決められた席にいなくても注意されることはなく、仲のいいグループで集まるものもいれば、他の人に自分の席を取られて仕方なく適当な場所に座るものもいて、そして——僕のように——そのまま自分の席に居続ける人もおり、それぞれが思いおもいのところにいる。


「朝言ったように体育祭の役職決めね。みんな去年もやってるからわかると思うけど、必ずいるのが団長、副団長、実行委員の三つ。あとは必要に応じてクラスごとに決めればいいから。じゃ、あとはみんなで」


それだけ言って佐渡島は職員室に戻っていった。

ロングホームルームでは教師のかわりに生徒が進行を務める慣習があり、うちのクラスでは毎回組長の侘実が仕切っている。


長めのスカートを揺らし侘実が教壇まで進む。

やや厚ぶちで黄緑色に塗られたセンスのいいセルフレーム眼鏡をかけ、長い睫に飾られた眼からは自信に満ちた眼差しがクラスメイトへ放たれる。

すらっとした細身のシルエットに女子にしては高めの背丈で、いつでも冷静さを失わないその顔つきは、同じ生徒の立場ではありながらどこか大人びた風貌を感じさせる。


浮ついていた教室の空気も侘実が前に立つと、外の涼しい春の風とともにどこかへ流れていく。


「えーじゃあ、先生が言ってたとおり体育祭にむけて役職を決めたいと思います。まずは団長から決めてしまうのがいいと思いますが、やりたい人いますか?」


すぐに反応する人はいない。

高校生に限らず日本人はシャイだから、こういう場で自ら手を挙げる人はなかなかいないものだ。

それでも自分はやらないが他人にやらせたがる面倒な人種というのはいるもので、推薦とも押し付けともとれる声は上がる。


「佐々木はどうなん?」

「佐々木がいいよー」


こういうときはきまって、男女どちらからも人気の高い佐々木が犠牲になる。


「部活で忙しいからなあ……」


イベントの準備はどうしても放課後にやらざるを得ないから、部活を理由にやりたがらない人は多く、佐々木もそれは同じだろう。

ちなみに佐々木はバドミントン部に所属している。


「そんな忙しいん?」

「いけるよ佐々木なら」


半ば無責任に背中を押す声援が教室にこだまする。


当然のごとく外野にまわろうとする生徒たちに対しても、ひとの良い佐々木はバツが悪そうに微笑を返して、断り切れず悩んでいる。


「うーん……」

「去年やってなかったなら今年やった方がいいんじゃない?」

「みんな期待してるよたぶん」


どんどん圧を増す外野に佐々木の歯切れは悪くなってゆく。

組長はというと佐々木の意思を尊重しようとしてか、黙ってみている。


そんないまいち嚙み合いきらないやり取りも、クラスで目立たない僕には空気が煌めく青春の眩しいワンシーンに思える。

開いた窓から木々のみずみずしい緑葉がさざなみを立てるように揺れて教室の中へ心地よい音がとどけられる。



「……じゃあ組長は?」


誰かが言った。

侘実は申し訳なさそうに答える。


「私は去年副団長やらせてもらったから……」


それを聞いて生徒たちの視線は佐々木に戻ってしまった。

佐々木には申し訳ないがこういう場で手を貸してあげられることはない。

正直僕としてはだれが団長になってもいいけど、少なくとも佐々木なら大きなトラブルなく本番までみんなを引っ張っていけそうだなとは思う。



こういうとき三分の一くらいの生徒は真面目に議論に取り組むが、三分の二ほどの——例えばグループでかたまった——生徒たちは役職決めそっちのけで会話に夢中になっている。


自分の場合はどうせ関わらなくて済むことなので


——僕も喋る相手


と思い誰かいないか探しだす。

斜め前の静岡は黙って前を向き考え事をしているようで、話しかけても生返事しか返してくれなさそうだ。かといって近くには他に、駄弁るぐらいカジュアルな付き合いの人もいない。


なんとなく振り返ってみると、三鍋があくせくとゲームしていた。


——困ったときの三鍋だからな。


立ち上がって空いている隣の席に腰を下ろす。

三鍋は朝使っていたコンシューマー機ではなく、スマホでRPGものをやっている。


「てらきんぐじゃん」

「FPSのじゃないの?」

「いまやってもポイント盛れない気がする」


いま三鍋がしているのは、牧歌的な世界で水や火などの属性に応じたキャラを育てて各国をまわり、その国で問題となっている課題を解決していくというストーリーのRPGだ。


三鍋がつぶやく。


「ささきんぐも大変だねー」


僕はズボンに手をすりすりこすらせながら答える。


「人気者は責任を押し付けられるからね」


団長をしたくない佐々木と団長にさせたい外野軍団はまだ駆け引きを続けているようだ。


「てらきんぐあっち行って助けてきてあげなよ」


——三鍋にはこういうところがある。


ゲームおたくでまわりに興味なさそうな風をしているが、案外他人の行動をよく観察していて、三鍋なりに気をつかおうとする。


僕はそんな三鍋に暖かみを感じつつも、あの輪の中に入っていけない自分と向かい合いたくなかった。


さっきまで陽気な日差しに包まれていた外が、空には雲が立ち込め、鋭い音をたてて風が吹く。


——別に自分は人とワイワイするのが好きなわけじゃないし。


これまでそう思い込むことで、だんだん大きくなってくる自我の軋みを無理やり腹の底に沈みこめてきた。


三鍋にうながされても足が動かない。

そしてこのことは——三鍋は勘づいていないと思うが——悟られたくもない。


三鍋はそれ以上何か言ってくることなく黙ってゲームを続けている。


僕はゲームを持たない。話す話題もない。ただ日差しが遮られて暗くなるばかりの外を眺めるしかできなかった。

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