理科の授業
——佐々木視点——
理科の授業中考える。
俺は昔から男女分け隔てなく、誰とでも仲良くたくさんの友達と交流してきた。それは無理してやっていることではなく、自分自身楽しくやっているし、勉強でも部活でもイベントでも誰かから頼られたらそれに応えてきたし、自分が困っていれば誰かが手を貸してくれた。
あたたかい友達に囲まれて自分は幸せだと思う。そしてなにより、彼女に困ることはなかった。
女子好きな俺にとってこれは、人を区別せずみんなと仲良くしてきたことの最大の成果だった。
なのにだ。
なのに最近おかしい。
表面的には女子に愛想よく——バレていないと思う——接しているが、前みたいにワクワクすることも、女子からの視線を感じて承認欲が満たされることも以前のようには感じられなくなった。
かわりにあいつが気になって仕方ない。
顔を前に向けたまま、目線だけゆっくり右にうつしてみる——
「……」
他の授業では黙々とノートを写すのに、この授業だけは頭をブンブン揺らして、息苦しそうに黒板とノートに視線を行き来させている。
やっとノートになにか書き写し始めたと思ったら、書くのをやめてシャーペンをグリグリ机に押し付けだした。
かと思うと今度は肘をついて両手で頭を抱え込み、体が唸るかのように左右に歪み始めた。
——なにやってんだあいつ。
理科苦手なのは知っているけど、授業中あんなつらそうにするやつがあるかよ。
あれじゃ集中できないし、先生の説明も聞き逃してわかるものもわからなくなるだろうが。
「まずは、授業中先生の話を理解しようとするのが大事だよ」って静岡が普段言ってることじゃないか。
——キョロキョロしてないでとりあえず黒板向けよ。
——あぁじれったい。俺が前向けってひとこと言ってやれば……
「——サキ、これわかる?」
「ひぇ?!」
「だから、この硫酸亜鉛水溶液に銅板入れたらどうなるかわかる?」
急に自分の名前を呼ばれて思わず身体が飛び上がった。
すっとんきょうな声を発した佐々木にクラスのみんなはわらわらしている。
「んんっ。えー、亜鉛のほうがイオン化傾向が高いから変化は起こらない......かな?」
「おー、正解ね。じゃあ実際に先生が前でやってみるからそれ————」
綿貫は俺にわざと質問したわけではなかったようで、目の前の実験器具を太い脂肪のたまった腕であくせく動かして説明を続けた。
クラスのみんなが一瞬の戸惑いの後、他人の恥を餌にけらけら愉しんでいたが、なにより一番びっくりしたのは俺自身だ。まさかあんな声でるとは思わなかった。
ちょっとかっこ悪かったな。考え事してる最中に質問してくんなよな。
クラスのやつらもやつらで、一瞬まぬけ声出たぐらいで大げさに反応すんなよ。
………俺らしくもなく、なに他人にいらだってんだ。
そうだ静岡のせいだ。静岡が気にさせるような動きしてるから。いや、あいつなんか俺が気にする相手じゃない。……でも静岡に視線がいってなきゃ、質問されて飛び上がることなんてなかった。まてまて、そもそもなんで俺があいつのこと凝視してんだ。……いまも静岡にばっか意識とんでるじゃないか。
…………。
……そういえば、さっきのHR終わりもあいつに変なことしてしまった。
…………しっかりしろ俺。
綿貫が、その脂塊のような体にとても似つかわしくない滑稽なステップを踏んで、静岡の真ん前まで移動する。
「はーい、はーーい。静岡くーん。アルミ板溶けるかなー?溶けないかなあーー??」
綿貫が奇妙なほど皺ついた笑みを浮かべて静岡に問うた。
引き攣ったように口先をピクピクさせる静岡。
——またこの時間がはじまった。
「どお~~静岡く~ん」
顔を近づけ、不自然に語尾を高くして再度尋ねる綿貫。妙に馴れ馴れしい。
ここから直接見えなくても、静岡は息苦しそうに眼をぐるぐるさせているのがわかる。
「…………ハアッ……ハアッ……」
あいつ呼吸まで苦しそうにして、倒れるんじゃないか。
いくらなんでも流石に大げさすぎる。
どっちのイオン化傾向高いか考えれば一瞬じゃないか。そしてその傾向表は黒板に書いてある。
じれったさに、胃がじりじり焦げ付くようで落ち着かない。
黙り込む静岡に、綿貫がでたらめな不協和音のような調子でさらに追い打ちをかける。
「し~ずお~かく~~ん!」
自分に言われているわけじゃないのに、不快な声が佐々木の耳の中で反響する。
禿頭もはげあたまで、教師のくせに生徒に一定以上近づくな。
「ねえぇ~、しずおかく~~んってばっ!!」
佐々木の堪忍袋の緒がビリビリちぎれそうになる。
「……えー、アルミニウムは……十三族なので…溶けません……」
「…………」
「…………」
クラスがシーンと静まった。
阿保すぎる。目の前に答えが書いてあるのに……。
綿貫は満足そうに、ぶよぶよの太い両手で大きくバッテンを作り静岡に押し付ける。
静岡は眼と口をギュッと閉じて、身体を引く。
俺は茫然とそれを眺めて、腹の底に熱い火花が散っているのを感じながらも、胸上に溜まった空気がすっと抜けていくのをじゅんぶん時間をかけて味わった。
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