目覚めたら14時(抄)

伴美砂都

水銀灯の夢

 子どものころ、小学校の体育館の照明は、「水銀灯」だった。

 その言葉をいつ知ったのか、おぼえていない。本当にそれが水銀灯というものだったのかも、実は定かではない。大人になってから特徴をしらべて、やっぱりそうだったかもしれない、と思ったぐらいで、いまでも確証はない。

 水銀灯は、すぐ灯らない。スイッチを入れてからしばらく経たないと、明るくならない。集会が終わって、体育座りから起立したり、うるさいからやり直しと担任に命じられてまた座らされたりしているうち、少しずつ明るくなっていく。

 灯ってしまえば、しっかりと明るかったはずだ。けれどしばらく見つめていて視線を戻すと黒や緑色の残像が、先生たちの顔やクラスメイトのうしろあたまや舞台上の旗などを隠し、視界はやはり明瞭でないままだった。


 あのころ見た夢は、水銀灯の夢だった。体育館の夢というわけではなく、明るさのこと。水銀灯のすぐ灯らない時間のように、なかなか明るくならない景色がずっと続く。夢だから本当にそうなのだけれど、目を閉じながらものを見ているような感覚。何度瞬きをしても、見たいものがうまく見えない、もどかしい照度。どの夢も、そんな薄暗さだった。


 夢は、でも、ずっとカラーで見た。いい夢より、悪夢のほうが多い。いちばんむかしの、おぼえている夢は、家に青色のゴブリンが出た夢だ。戦うために、階下の台所に果物ナイフを取りに行こうとした。戦うところまでは、見なかった。そのときゴブリンは襲ってきたりはせず、どっしりとしていた。それもまた、水銀灯の夢だった。


 子どものころのことを思うと、眠っているあいだの夢だけではなく、なにもかもが水銀灯の夢であったと思うことがある。なにか見なければならないものがあるのにうまく見えず、暗い体育館で苛立ちながら瞬きを繰り返すように、周りのことも自分のことも、うまく把握することができなかった。

 周りから見れば、私が水銀灯のようなものだったかもしれない。遅くて、薄ぼんやりとしていて、腹立たしい。まあ、でも、そんなふうでも、なんとか大人にはなれた。


 本当に?


 今でも夢はよく見る。けれどそれらは、水銀灯というほど暗くはない。悪夢もだいぶ減った。しかし、それが大人なのだといって納得した顔をするには、ずいぶん心もとない。起きているときだって、なにかをただしく把握することは苦手なままだ。水銀灯というほどでは、ないのかもしれないけれど。あるいは、その「ないのかもしれない」の部分が、大人だろうか。首を傾げながら頷く。


 季節はめぐり、時は経ち、今は学校の体育館でも、水銀灯というものは使っていないかもしれない。あの時分はまだ、水銀の温度計というのもあったように思うのだが、今はもうないだろう。すぐ明るくなる照明の下で体育座りをする子どもたちは、もし薄暗い夢を見たとき、それをどんなふうに例えるだろうか。

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