第74話 人類みな兄弟

 私が、グリコ・森永事件の最重要参考人、作家の宮崎先生を知ったのは、もちろん著作を通じてだが、1998年にアメリカのネバダ州ラスベガスでカレッジに留学しながら、ツアーガイドをしてグリーンカードと呼ばれる永住権の獲得を目指していた時に日本人のルームメイトが、先生のデビュー作、「突破者」を持っており、借りてむさぼるように読んだ。私は、かねがね、日本は面白くないと思っており、アメリカ、それはそれでバーで酔って女性に無理やりキスをして、あんた分かってんの?私のお父さんマフィアなどと怖いこともあったが、先生のように日本でこんなに面白く生きてきた人もいるんや!と思った。


 先生は、もう一昨年(2022年)に亡くなったが、1945(昭和20)年に京都の伏見区で、ヤクザの組長の家に生まれた。ただ、ヤクザと言ってもお父さんは正業に解体屋を持っており、毎朝五時から仕事を始めていた。仕事の内容は、大工さんと逆の工程で建造物を解体し、まだ使える釘や木材などは、丁寧に扱ってリサイクルに回すなど、今のように産業廃棄物を無造作に出してしまうようなことはなかったようだ。そんな中、先生は幼い頃から喧嘩に明け暮れ、早稲田大学の法学部に入学し、共産党の秘密ゲバルト部隊を率いて活躍し、中退後は、週刊現代の記者として突撃記者になる。


 その後、自転車操業の実家の解体屋を立て直すために京都に舞い戻り、業界の慣例を破る無茶の限りを尽くす。また、ゼネコン疑惑で全国指名手配となったがえん罪として放免となる。しかし、先生が警察を揶揄やゆする記事が読売新聞に連載されて、警察と事を構える会社として金融機関に信用不安が起こり、会社は倒産。東京に戻り、愚連隊の神様と呼ばれる万年東一の世話になる。この万年東一のシノギなのだが、主に東京の裏社会に生きる人物から集金するというもの。集金と言っても、要は恐喝である。そんな中で、先生が笹川良一のところに集金に行った時の話を引用してみよう。


 突破者、宮崎学著、下巻、幻冬舎アウトロー文庫、124ページより


 笹川良一のところにも二度ほど集金に行ったことがある。笹川は例のギョロ目をむいて実に嫌そうな顔をした。「この笹川のところに予約もなしにいきなり現れて集金とは何事だ、無礼千万」と思っていたのだろう。それでも、「万年の金まわりはどうなんだ?」と訊く。


 「ああいう人だから、相変わらず苦しいですよ」


 「相変わらずか………」


 「人類みな兄弟と主張されているんだから、困っている兄弟がいたら、それを助けるのが兄貴の役目でしょうが」


 「わかった。わかった」


 こんな調子で、笹川はその都度渋い顔をしながら大金を出した。笹川と万年の関係についてはつまびらかではないが、万年を軽くは扱えない過去のゆきゆきがかりがあったことは間違いない。


。。。。。


 人類みな兄弟って、笹川良一がテレビのCMで言ってたんだよね。それで、主張っていうのがおかしくて、俺笑っているんだけど。みんなは、どうかな?

 


 





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る