赤のユーリ

馬刺良悪

第1話「白のユーリ」

「12世紀末の源平合戦は1185年の壇ノ浦の戦いで――」


 午後の高校。カーテンの隙間から陽光が差し込む教室の窓際。


 窓から降り注ぐ太陽の祝福を全身に受ける席に、男が一人座っている。心地よくて仕方ないはずの場所だが、男はだらけた様子を一切見せず、真剣な眼差しで黒板を睨みつけている。教員の授業に軽く相槌を打ちながら、机上ではペンをノールックで走らせている。


 一見すると、生徒の鑑のような授業態度の男。そんな男の、心の声に耳を傾けてみよう。


 ――今、学校に不審者が侵入したら……まずは不審者の位置を把握するだろ? そんで、うちの校舎に入られたらすぐにショウゴとマコトを窓から逃がす。これは絶対だ。教室は二階だから怪我はしないはず。

 教室の扉は机やら何やら使って開けられないようにするけど、仮に開けられて不審者の侵入を許したら、椅子を武器兼盾として使うか。いやそれは不審者の武器に寄るか――。


 上辺と脳内のギャップも、ある意味では生徒の鑑であるようだ。なんて戯言はさておき、授業中に不審者侵入時の想定を妄想している男は、――俺だ。

 

「――紅白戦の元となったのが源平合戦です。平家が紅旗を――」


 窓際の席で日光を浴びて体温が上昇し、体がぽかぽかと感じてしまうと、頭までぽかぽかになってしまうのが俺の悪い癖だ。ぽかぽかの頭は無関心のものへの理解を拒否し、好奇心を燻る内容のもののみを思考の対象として認める。

 そのお陰で授業内容は全く頭に入ってこない。今日のように日差しが心地良い日は特に著しく、今日は殆どの授業を妄想で浪費してしまった。


「不審者に対抗するならナイフの一本くらいは肌身離さず持ってたほうがいいか……」


 俺は頭の中で脳内会議の結論を呟きつつ、教室に視線を巡らせる。教室では、制服の夏服と冬服を着用する生徒が入り交じり、欠席なく全員が自分の席に着いている。

 前方の教壇には教員が立っていて、歴史上の出来事を熱く語っているが、それを真剣に聞いている生徒は半数もいない。多くの生徒は他の教科の勉強をしたり、ボーっと授業を聞き流したり、果てには机の下のスマホと睨めっこしている生徒までいる。もっとも、この光景は普段どおりなのだが。


 少し普段と異なる点を挙げるとすれば、机に突っ伏している人数がやけに多いことか。きっと、秋の陽気に甘く誘われて、踏みとどまることができずに屈したのだろう。皆寝坊助だ。


「――対して、源氏の掲げた白旗の由来にも様々な諸説が――」


 授業中に寝ている奴らを揶揄しつつ、黒板に視線を戻す。その途中、斜め前の席に座る男子生徒が、机の下で読んでいた本を閉じて机の上に置いた。視界の端を通ったその本の表紙に馴染みのあった俺は、反射的にパッとその本に目を向けた。


 水色の空と海を背景に白い少年が描かれた表紙。その右上には本のタイトルである『白のユーリ』の文字が並んでいる。美しい自然の風景を背景に、主人公が佇むというありきたりな表紙だが、俺にとっては特別な一冊だ。


 小さい頃に読んで好きだった物語。否、それだけではない。高校生となった今でも最も好きな物語だ。

 平凡なとある少年が、恋人と愛する仲間たちを守るために奔走する物語――。


 


 ――少年、一人の少年がいた。


 国端の村で産まれた少年は、肉体的にも精神的にもひ弱で、いつも家族や友人に助けられて生きてきた。

 そうして平和に過ごしていたある夜、村が盗賊の襲撃に見舞われた。少年の友人の一人は、即座に少年を村から逃し、村に残って命懸けで盗賊と戦った。勇敢に立ち向かった。しかし、抵抗は虚しく、友人は盗賊に斬殺された。

 何をすることもできず、村からノコノコと逃げた少年は、友人の訃報を受け、自分の無力さを呪った。


 自分がもっと強ければ、もっと賢ければ……あの時、自分も戦っていれば――。


 ――友人は死ななかったかもしれない。


 少年は来る日も来る夜も、自室に籠もって懊悩し続けた。

 心に蘇るあの日を直視するのを恐れて、泣き喚き、暴れまわり、自分の体に傷をつけた。


 しかし、そんなことをしたとて、少年の心は晴れなかった。

 いかに現実から目を背けたとて、何も解決はしなかった。


 

 少年が自室に籠もってから十日ほど経過したある日、少年の部屋に彼の父が訪れた。

 椅子に腰掛けた父は少年に一つだけ質問した。


「ユーリは、これからどうなりたい?」


 少年は瞠目した。きっと、部屋から出ずにいる現状を叱られるものかと思っていた。だから、少年の将来について尋ねられたとき、少年は思わず唖然としてしまった。

 しかし同時に、少年の開いた口からは、迷いない言葉が発せられていた。


「俺は、強くなりたい――」


 少年の意識より早く、口が動いていた。無意識のうちに、少年の口は逡巡する思考を追い越し、少年の本心を暴いた。そのことに驚くとともに、少年は気がついた。


 答えは初めからあったのだと。


「――俺は強くなって、家族を、友達を、俺の大切な人を……守りたい」


 答えは、あの日からずっと変わらないのだと。


---


 覚悟の決まったその日から、少年は肉体の鍛錬と、精神の強化に努め始めた。晴れの日も雨の日も、平日も休日も関係なく、毎日研鑽に励んだ。

 目的のある努力は実を結び、やがて少年は村一番の強さを誇る男となった。

 その間に、少年は村の少女と恋に落ち、彼女を一生守ると心に誓った。

 

 そうして村で幸せに暮らしていた折、愛するものと、それを守る力を得た少年に再び悪意の魔の手が伸びる。



 ある夜、少年の村が暴徒に襲われた。

 主都でクーデターが起き、その混乱に乗じて徒党を組んだ国の衛兵が暴乱を起こしたのだ。

 その暴徒達が村に迫っている知らせを受けた少年は即座に村の住民を避難させ、剣を片手に一人で暴徒へと立ち向かった。


 剣を振るう暴徒を薙ぎ払い、火を撒こうとする暴徒の横っ面を吹っ飛ばした。複数人に囲まれても突破口を開き、暴徒の体を肉壁として利用して同士討ちをさせた。

 利き腕を切られても、反対の腕で。片目を焼かれても、反対の目で。いかな傷を受けても死力を尽くして戦い続けた。


 決して綺麗な戦い方ではない。されど確実に、一人ずつ暴徒は倒れていった。無我夢中で剣と拳を振るい続け、二十人近く存在した暴徒は片手で数えられる程に減少した。

 そして、一人の首を刎ね飛ばし、一人の顔面を地面へと叩きつけた。最後の暴徒の心臓を剣で穿ち、少年は暴徒を全滅させた。


 少年は勝利したのだ。暴徒達全員を相手に、一人で。少年が戦士だったならば誉れなことだったろう。しかし、そんなことは少年にはどうだっていいことだった。


 少年が最も歓喜したことは――。


 

 ――初めて大切なものを守ったことだ。一つも失わずに守りきったことだ。


---


 暴徒と化した衛兵から村を救った少年は、村の英雄として祭り上げられた。しかし、地位も名誉も少年の欲するものではなかった。

 

 少年は村の英雄になりたいのではない――英雄になりたいのだ。


 少年は友人に感謝され、家族に無事を嬉し泣かれ、恋人と愛を確かめあえたことが何よりの喜びだった。

 誰一人欠けずに、こうしてお互いに顔を合わせる事ができたことが何よりの幸せだった。

 こうして守りきった仲間たちと、少年は楽しく平和に暮らしていく――。



 ――ことにはならない。物語はまだ終わらないのだ。



 村が少年を称えても、国は少年を許さなかった。

 暴徒化したとはいえ、衛兵は衛兵だ。いかに少年が正当防衛を訴えたとて、衛兵を複数人殺害したことには変わりない。

 衛兵殺害を理由に、国は少年を反逆者と見做し、少年に刺客を繰り返し送り、遂には軍隊を派遣して少年の排除に乗り出した。


 しかし、少年は立ちはだかる困難を全て乗り越え、迫り来る敵意を全て跳ね除けた。

 いかに珍妙で斬新な罠を張られても、持ち前の観察力で見抜き、いかに強い刺客を向けられても、磨かれた近接格闘力で返り討ちにした。

 いかな場面で、いかな強敵が、いくら現れたとて、一切の妥協を見せずに全てを討ち倒した。



 ――全ては、愛する人を守るために、愛する人の笑顔のために。

 


 仮に世界を敵に回しても、少年は愛する人を守り抜く。


 そう誓って戦った少年――ユーリは、最後まで愛する人を守り続けたのだった。




 ――キーンコーンカーンコーン!


 俺を叩き起こすアラーム……ではなく、終業のチャイムが耳に入り、俺は慌てて立ち上がる。どうやら俺は瞑目しながら物語の回想に耽っていたらしい。眩しさを我慢して瞼を開けると、視界が霞んで見えづらいが、クラスメイトたちも起立している。


「気をつけぇ……礼」


 委員長の気怠そうな号令とともに、クラスメイトたちはバラバラに頭を下げた。ずれて起伏する頭が海に立つ波のようだ、なんて場違いな感慨を覚えつつ、俺は瞬きを繰り返して教室の明るさに目を慣らす。数秒で視界が明瞭になった俺は、再び斜め前の机に乗っている『白のユーリ』へと目を向けた。


「いつになっても、あの物語大好きなんだよなぁ――」


 俺が初めて『白のユーリ』を読んだのは11歳の時だ。母は昔から読書が趣味であったため、普段から新しい本を購入しては、リビングのソファに座って読書していた。それを見て育った俺は、母を模倣して、母の本を借りて読むのが習慣だった。しかし、母の所有する本はどれも小学生には表現も内容も難解なものであったため、俺に理解可能な本は殆ど無かった。


 だからといって、読書を嫌いになった訳では無い。なぜならそもそも、本の良し悪しや、読書の好き嫌いを評価できる段階に、俺の読書力が達していなかったからだ。

 読書が好きか否かを知るためには、まず本を読むことを通じて内容を正しく理解する能力が必要だ。そして、本を読み解くためには、語彙力や表現力など、最低限の一般知識が必要だ。裏を返せば、それらが不足していて、本の内容を全て理解できていない人間は、その本が面白いか否かは分からない。

 つまり、当時の俺のように、読書に必要な知識が揃っていない人は、読書が好きか否かを考えるスタートラインにすら立っていないのだ。


 そのため、俺は本に対して明確な好悪の意識があった訳ではない。ただ読書をするのが習慣だったから、当然のことだったから読んでいただけであって……。



 ――だからこそ、『白のユーリ』は俺に鮮烈な印象を与えた。



 若年層向けに書かれた『白のユーリ』は、回りくどい言い回しや難解な語彙は使わず、されど一般小説顔負けのストーリーを実現した作品である。そのため、小学5年生であった俺でも難なく読むことができたのだ。


 母の所持本の内、初めて内容が理解できた本。それから先に読む全ての本の基準となる本。そんな本が、俺に深い印象を刻まないはずがない。


 案の定、俺は『白のユーリ』に大きく影響を受けた。最も深い影響は、主人公『ユーリ』の在り方に感化され、彼に強い憧れを抱いたことだ。『ユーリ』の、最大多数より自分の愛する少数を選択する思想を憧憬した俺には、高校生になった今でもその考え方が色濃く残っている。

 

 今でも、身の回りの『大切な』人は俺にとって特別な存在で、彼らには常に笑顔でいてほしい。他の誰よりも、世界の何よりも、だ。

 そして、彼らに害をなす存在は絶対に許さない。俺がこの手で叩きのめす。そのために体も鍛えてきたし、訓練も欠かさず行っている――。



「――おい……おい、ヤマト! 聞いてんのか?」


「ん? あ、悪ぃ悪ぃ。」


 俺はずいぶんと思考の世界に浸っていたようで、大声で名前を呼ばれるまで呼び掛けに気が付かなかった。現実に意識を戻した俺は、机を挟んで正面から俺に話しかけた黒髪イケメンに軽い謝罪をしつつ、顎をしゃくって話の先を促す。


 ちなみに、この黒髪イケメンは級友の一人であるショウゴだ。凛々しい顔立ちにさっぱりとした黒髪、細身で高身長。爽やかさと清潔感で彼の右に出るのもはいない、正真正銘のイケてるメンズだ。

 ショウゴはこの容姿で、なんと運動も勉強もできるという、一見するとスーパーハイスペックヒューマンなのだが……。


「いや、いいんだけどさ、ヤマトって急に耳遠くなることあるよな」


「そんなことねぇって。ただマイワールドにダイブインしてただけ」


「何て? ただマイワイフとベッドインしてたって?」


「そうそう……ってちげーよ! それにショウゴだけには耳悪いって言われたくねぇ!」


 ――当たり外れの差が激しい空耳ネタを特技としているところが玉に瑕だ。ともあれ、ショウゴが俺の席に来たということは……。

 そう思って教室に視線を巡らすと、ちょうどこちらに向かって来る美少年と視線が交わった。


 肩まで伸ばしたサラサラの茶髪に、中性的で端正な顔立ち。そこに浮かぶ満開の花のような可憐な笑顔に、俺が仮に男だったら一瞬で惚れてしまうだろう。いや待て、俺男だった。

 冗談はともかく、少女のような可愛らしさを持っているが、この人――マコトは紛うことなき男だ。何度もトイレで例のブツの顕在は確認した。


「6限終わったんだから、早く帰ろぉよー!」


「そうか、さっきの授業6限だったんか。荷物纏めるからちょい待ち」


 マコトは席の横までやってきて、俺の首を絞めるような位置に腕を回しながら、俺とショウゴにねだるように帰宅を促した。先程の授業が本日最後の授業だったことを思い出した俺は答えつつ、慌てて荷物を纏め始める。

 

 俺たち三人は揃って帰宅部であるため、この三人で帰宅することが慣例だ。例に漏れず、特に約束などを交わした訳では無いが、今日も三人で帰宅する予定だ。現に、俺以外の二人は既にカバンを背負って待っている。

 

 俺は荷物を纏めたカバンを背負いつつ席を立って、二人に声をかける。


「よし、帰るか!」


「「おう!」」


 こうして俺は、数少ない『大切な』友達二人と帰路についた。



---



 学校と最寄り駅の間にある裏路地。

 その薄汚く細い道は、両側が複数階建ての建物に挟まれている所為で、日光が十分に届かない。そのため、日中でも薄暗く、人を寄せ付けないどんよりとした空気が立ち込めている。

 

 今日も、空を仰げば快晴であるにも関わらず、路地裏の息苦しい雰囲気が晴天の匂いを完全に掻き消している。恒常的に日陰であるために気温も他の場所より低下しており、吹き抜ける微風はやけに肌寒い。粘着質に感じる冷たい空気が全身に纏わりついて来るこの路地裏は、不気味という単語がよく似合う場所だ。


「ここの道は何回通ってもやな雰囲気だよねぇ。なんというか、不吉?な感じぃ」


「分かる。人通りが少なすぎて、逆に通りかかる人が怪しい人なんじゃないかって思っちゃうよな」


 そんな道を歩きながら口を開いたのは、俺の右隣で髪を人差し指でくるくると弄っているマコトだ。マコトの言葉に同意したショウゴは、更にマコトの右でポケットに手を突っ込んで歩いている。

 三人で並んで目指す先は電車の最寄り駅だ。大抵の生徒は、回り道ではあるが、人と車通りの多い大通りを通って下校する。一方で俺たち三人は、裏路地を経由する、学校と最寄り駅を繋ぐ最短ルートを通って下校するのが習慣となっている。


 ただ、この辺りの路地裏は通学者にはもちろん、地元民でも通行を避ける傾向にある場所なのだ。理由の一つはもちろん、薄気味悪い雰囲気が漂っているから、というものだ。しかし、もう一つ人通りが減少する原因があり、実はそちらのほうが深刻なのだが――。


「今日はいないといいなぁ」


「おいおい、フラグ立てんなよ?」


 意味有りげに呟くマコトに、俺は冗談っぽく諌めつつ周りをキョロキョロと見回す。特に異常は見られないことを確認してから、俺は大仰に胸を撫で下ろした。

 そのまま、学校での出来事を話題として提供しようとしたその時。



「――来たぜ、ピンク髪の野郎!」


 がなるような荒い声と同時に、前方斜めの路地から三人組の男が現れた。

 全員が、革ジャンにピチピチのズボンという、いかにもな服装で登場した三人組。三人揃ってポケットに手を入れつつ、不敵な笑みを浮かべて闊歩してくる体たらくはなかなかに滑稽だ。しかし、彼らの髪色が左から青色、黄色、赤色であることのほうがインパクトが強かったため、第一印象は完全に信号機である。


 話は戻るが、このような荒くれ者が多いことこそが、この道を忌避する人が多い最大の原因だ。路地裏は昼夜を問わず常にヤンキーやらチンピラやらが跋扈していて、いわば、ごろつきの巣窟のような場所なのだ。ここを歩くということは、信号機三人組もその類の人間だろう。

 

 そして信号機三人組、改め『信号~ズ』の誰かが言った『ピンク髪の野郎』とはおそらく、いやほぼ確定で俺だ。

 実際、俺の髪色はピンク色に近い。実を言うと白髪を希望したのだが、俺の髪質上、どうしても髪に赤みが残ってしまうとかで白髪は実現できなかった。そのため、妥協して赤みがかった薄い金髪にしてもらったのだ。そして、その髪が色落ちした結果、今では見事サーモンピンクのような絶妙に微妙な髪色となってしまったのだ。


 肩を揺らして歩く『信号~ズ』は少し離れた位置で足を止めると、まず黄色髪の男が口を開いた。


「おい、ピンク野郎。俺らのダチやってくれたみたいじゃねーか。どう責任取るつもりだ?」


「何のことでしょう。きっと、人違いですよ」


 俺は黄色髪の高圧的な詰問を軽くあしらいながら、手を振って何も知らないアピールをする。しかし、その仕草が気に入らなかったのか、黄色髪は不機嫌に眉を寄せて質問を続ける。


「誤魔化してんじゃねえ。南高でこの道を通るピンク髪の奴が、お前以外にいるか?」


「どうでしょう、そんな奴は俺しかいないと思いますけど」


「じゃあてめえだ。俺らのダチを殴っておきながら、タダで済むとは思うなよ!」

 

 早速痺れを切らした黄色髪は啖呵を切って、問答無用と言わんばかりに拳を固めつつ、俺に向かって歩き出す。こうなっては、おそらく喧嘩は避けられまい。俺は黄色髪に視線と警戒を向けつつ、右に並んでいるマコトとショウゴに声をかける。


「ふたりとも、危ないからちょっと下がってて」


「えぇ? またやるのぉ?」


「うん、やることになりそう」


 そう質問するマコトの声には、呆れたような、一種の諦めのような色が含まれていた。というのも、俺がこのように道端のヤンキーに絡まれるのは日常茶飯事なのだ。俺が下品に鮮やかな髪色であるうえ、身長が180cmもあるため、傍から見るとかなり目立つ容姿をしている。というのは完全な建前で、本当は別の理由があるが、数年前から知らないヤンキーに言いがかりを付けられては喧嘩を売られるようになった。

 普通の人なら逃げるのだろうが、腕っぷしには自信があった俺は、片っ端から喧嘩を買ってやって、その相手をぶっ飛ばして回った。そうしていると、今度はぶっ飛ばした奴の仲間たちが因縁を晴らしに来るのだ。そいつらをぶっ飛ばすと、また次のやつが来て、またぶっ飛ばして、また来て。

 繰り返しているうちに、誰が何の用で俺と喧嘩をしに来るのか覚えられなくなった。もっとも、初めの方から既に記憶する気は無かったのだが。

 そのため、今回の『信号~ズ』のダチとやらを俺が殴ったかは記憶にない。こんな俺だ、有る事無い事噂されたり、捏造された情報も多いため、その類のものに騙されて来た可能性も否めない。


 ともあれ、ショウゴとマコトはそれぞれ二様に呆れながらも、静かに後ろに下がってくれた。


 下がったことを横目で確認した俺は、先行して向かってくる黄色髪に意識を集中させる。彼は敵愾心を貼り付けたような表情でこちらを睨みつけており、いつ飛び込んで殴りかかってきてもおかしくない。

 だが、実のところ、そのほうが都合良かったりする。なぜなら複数人を相手するときは、リーダー格を優先的に倒すのがセオリーであるからだ。黄色髪は見た限りではリーダー格らしいため、彼自らから死地に飛び込んでくれるのはむしろ好都合だ。


「――――」


 俺に十分な思案タイムを与えてから、黄色男が遂にアクションを起こした。


「うらぁ!!」


 黄色髪は声を出しながら踏み込み、右手を俺の顔面目掛けてまっすぐに突き出す。拳の筋はなかなかだ。しかし、大した速さはない。俺は右足を下げて身を右に向けることで、顔を拳の射線上から外して躱し、そのまま顔の前を通過する黄色髪の腕をつかんだ。突っ込んできた勢いを利用して彼を背負い、グルンと弧を描くように回して、背中から地面に叩きつけた。


「ごはッ――!!」


 肉体がコンクリートに落ちる鈍い音と共に、黄色髪は背中を打ち付けた衝撃で体を仰け反り、声にならない苦しそうな呻きを上げた。

 仰向けに倒れたまま、虚空を見つめるように瞠目して呼吸を整えようとする黄色髪。彼に継戦能力は残されてないと思いたいが……。


「仕方ない、眠ってろ」


 俺は自分にだけ聞こえるように呟いて、黄色髪の側頭部をサッカーボールに見立てて蹴りを入れた。頭は首から離れなかったが、意識は蹴り飛ばされたように彼方へと飛んでいった。

 大袈裟な表現をしたが、実際放ったのはそれなりに威力を抑えた蹴りだ。そのため、彼に脳震盪程度のことは起きたかも知れないが、中枢神経系に傷がつくような重度の怪我は負っていない……はずだ。

 

 ともあれ、黄色髪が戦闘不能に陥った今、残りの二人は逃避を選択するだろうか。そう考えつつ、視線を上げると――。


「――良くもトシノリさんをぉ!!」


 バタバタと足音を立て、青髪が怒鳴りながら突っ込んで来る。そして、その後ろに赤髪もついている。

 意外なことに、二人は戦闘継続を選択したようだ。てっきり、指揮官を失った兵隊のように、彼らも散り散りに逃げ出すものとばかり考えていた俺は、少し呆気に取られてしまった。

 しかし、すぐに気合を入れ直して、正面から拳を振るう青髪を迎撃する――。


 ――寸前、赤髪の左手が閃いた。

 

「ヤバッ――!!」


 咄嗟に俺は青髪の拳を正面から受け止め、そのまま抱きしめるように両腕を青髪の体に巻き付けた。そうして密着した状態で青髪の背中を赤髪に向け、赤髪の出方を見る。


 赤髪の左手の閃光。その原因は左手に握られた刃渡り15cmほどのナイフだと分かった。だが、今は刃物を迂闊に攻撃手段として使用できる状況ではない。赤髪と俺の間には青髪の背中が肉壁として利用されているうえ、青髪と俺は完全に密着している。そのため、俺の動作の塩梅や些細な手先のミスが原因で、味方を傷つけるリスクがある。

 この状況を前にした赤髪は、攻撃を一瞬躊躇せざるを得ないだろう。二人はボスが倒れても戦い続ける、忠誠心の高い犬のような奴らなのだ。そんな奴らが、自分の仲間を傷つけられる訳がない。


「――――」


 実際、ナイフを構えて駆けてくる赤髪は逡巡してしまったようだ。彼はナイフを振るう直前でほんの一瞬手を引いた。


 ――一瞬の隙。されど戦場では一瞬の隙が命取りとなる。


 俺は手が引かれた一瞬のタイミングを逃さない。瞬間、抱きついた体勢で出せる限界の速度で、赤髪の腹を穿つように踵を突き出した。


「――ッ!!」


 反応しきれなかった赤髪の鳩尾に弾丸のような踵が刺さり、彼は体をくの字に曲げて後ろに下がっていく。腹を押さえた体勢で止まった彼は、地面に顔を向けて動かない。

 しばらくは動けないだろうと見た俺は、意識を抱きついている青髪へと移す。俺は青髪の脇の下に腕を通して抱きついているが、腕も脚も拘束されていない青髪は俺から離れようと手足をバタつかせている。彼の意のまま離れて間合いを取り直すのも一つの手だが、今は早期決着が優先だ。


 俺は首を曲げて足元に視線を落としつつ、脚を意味有りげにもじもじと動かす。すると、釣られたように青髪も俺の脚へと目を向けた。

 彼の意識が上半身から離れ、頭ががら空きになったことを捕捉した俺は、一気に自分の頭を後ろに引いた。


 直後、下を向く青髪の脳天へ向けて、サッカーのヘディングのような頭突きを打ち込む。


「痛ッ――!!」


 頭蓋がかち割れるような鋭い衝撃とともに、声を上げながら怯む青髪。彼を腕から開放し、その場でたたらを踏む彼に追撃をプレゼントするために浅く踏み込む。

 意識がブレたのか、目の焦点が狂っている青髪の横顔に、流れるような上段回し蹴りをお見舞いした。


 側頭部に走った衝撃で意識が消失した青髪は、弾かれた勢いのままドミノのようにバタリと地面に倒れ込んだ。


「これで二人はノックダウンっと。ラスト一人は……」


 内心を口に出しながら赤髪に目を向けると、彼は路地の壁に背を凭れかけ、怒りの感情からか、あるいは鳩尾の痛みからか、表情を苦しげに歪めてこちらを睨みつけている。

 抗戦の意志は残っているようで、彼の小刻みに震える左手はナイフを突き出している。


 俺が赤髪の目の前まで行くと、彼は力なくナイフを振るった。子供の遊戯のような軽い攻撃を右手で受け流し、俺はそのまま肘で彼の手首を叩いてナイフを離させる。

 軽い金属音を立てて地面に落ちたナイフを遠くに蹴り飛ばし、俺は赤髪の肩を路地の壁に押し付けた。そして、彼に最後通牒を送りつける。


「降参しろ。お前に戦う力は残ってない」


「――――」


 赤髪は答えない。ただ憎悪を滾らせた双眸で俺を睨みつけるだけだ。だが、その鋭い視線が答えのようなもの。

 直後、赤髪は俺の腕を振り解こうと肩を跳ねさせた。それに反応して、俺は勢い任せの拳を振るう。揺らめく炎のような頭を狙ったパンチだったが――。


 ――炎が残像を残して横へ移動した。


 拳が頭蓋に当たる感触が来ない。空振りしたのだ。図ってか図らずか、赤髪がギリギリのところで顔を傾けたようだ。ただ、理解した頃には時既に遅し、車は急には止まれない。炎の残滓を掠めた拳は勢いを殺しきれずにコンクリートの壁に突き刺さり、遅れて手全体に電撃が駆け巡る。


「――痛って!!」


 痺れるような痛みで手から力が抜けるが、これで怯むほど甘ったれた鍛え方はしていない。すぐに意識を痛みから切り離して正面の赤髪に戻し、彼の動作に備える。

 拳の痛みに一瞬弱った俺に、タイミングを見計らったように目を輝かせた彼は、俺の開いた右脇に拳を振るう。それを体を捩ることで避けた俺はそのまま体を回転させ、遠心力で勢いの付いた肘を赤髪の顔面に突き刺した。鼻が陥没するように抉られ、赤い頭はそのまま押し出されて壁に後頭部を打ち付けた。


 肘打ちと壁ドンであっさり失神し、最後まで戦い続けた赤い男は崩壊する建物のように足元から崩れ落ちた。



---



 両側が開けた道。黄色に染まり始めた広い空の下。


「なあ、山口と二組の藤川付き合ったらしいよ」


「うそだろ。山口は鈴のこと好きなんじゃなかったのか? じゃあ――」


 『信号~ズ』を倒した後、俺たち三人は何事も無かったかのように帰宅を再開した。車の通過する音や人の話し声が飛び交う中、恋愛話やら高校生らしい他愛も無い会話をしつつ、三人で並んで歩く。周りの人は、まさか俺たちが喧嘩後だとは思いもしないだろう。それほどまでに自然な立ちふるまいで歩いている。



「……なあヤマト、なんでヤマトってそんなに喧嘩強いんだ? 格闘技習ってたとか?」


「確かにぃ、それ前から気になってたぁ」


 突然、ショウゴにそんなことを聞かれた。ちょこんと顔を覗かせるマコトも同調してるし、ふたりとも素朴に気になったのだろう、俺がどのように格闘術を会得したのか。


「いや、格闘技は習ったことないけど……。まあなんでって言われたら、お前たちを守るためだよ」


「ふっ、冗談は顔だけにしてくれよな」


「何よー! キュンってしちゃった!」


 強くなった方法の代わりに、強くなった理由を答えたが、ショウゴには冗談だと思われたのか、鼻で笑われてしまった。マコトには喜んで貰えたようだけど……、それでも。


「俺は真剣に言ってるんだけどなぁ」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟く。表情に疑問符を浮かべる二人に「なんでもない」と告げ、そのまま淡い黄色に照らされる帰路を進んだ。

 


 ――右手を蝕むジンジンとした痛みに苛まれながら。

 



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 次回、やっと可愛い女の子が登場します。お楽しみに。

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