第6話 この夏、一番特別な
「でさ、今日どこ行くの? わたし暑いとこはやだなー」
プラネタリウムって先に伝えてあったのに、すっかり忘れてるんだと思ってちょっと腹が立つ。
いくら僕がハルにとって本当の大切な人じゃないにしたって、それはあんまりだ。
『僕のことなんてどうでもいい』ってその横顔に書いてある気がして、半歩先を歩くハルの前に出られない。
「人がいっぱいいるところもやだなー。動物園も勘弁。夏は動物もダルそうで見る方も――アキ、聞いてる?」
ぴょん、といきなり振り返る。
大袈裟に僕の顔を覗き込む。心配そうな顔をして。
僕としてはプライドを傷つけられてズタズタで、ああ、なんで今日、誘っちゃったかなとか、今更どうにも変えようのないことを考えている。
動物園はダメで、プラネタは既に忘却の彼方。僕はどこにハルを連れて行けばいいんだろう?
「ねぇ、ごめんて。許してよ。ちょっとからかっただけ。プラネタリウムって約束したの、覚えてるよ。涼しそうで静かだし、わたし好きだよ」
調子のいい僕はすぐにそれまでの陰鬱な考えを捨て、ハルに笑顔を向けた。
「ほんとに? よかった、プラネタにして。ハルが気に入らないところなら意味ないし」
本当にまるでデートの予習だね、とハルは聞こえるか聞こえないかという声でそう言った。脇を通る車のスピードに飛ばされてしまいそうな言葉だった。
「どうしたの?」
「なんでもない。アキも子供だと思ってたけど、そういうのに興味持つ年頃になったんだなーと思って」
「なんだよそれ。ひとつしか変わらないくせに」
ふふふ、といやらしい笑いを漏らしてハルの足はもうプラネタリウムに向かっていた。
この角のビルにプラネタリウムが入っている。ちょっと古いけど、変に装飾されてない昔ながらのプラネタリウムだ。
ネットで検索して、この少しくたびれたビルの写真に僕は惹かれた。ビルの上にあるドーム。ここがプラネタリウムの原型だと思えた。
「へぇ、なんか雰囲気がある。最近のプラネタってもっとキラキラしてて恋人たち御用達みたいなのかと思ってたよ。なんかほら、子供の頃行ってたあのプラネタも『アロマの時間』とかやってるって聞いたし」
ハルもそういう方がよかったのかなと思っていると、星空を見るのはそういうんじゃないよねー、と当たり前のようにハルは言った。
ちょっと感慨深かった。ハルはまだアロマなんかなくても夜空を楽しんでくれるのかと思ったから。
「ねぇ、そう言えばさ、子供の頃さ、アキのお父さんが流れ星見に連れて行ってくれたよね。どっかの山の中」
「流星群だよ。あの頃、なんか親父、宇宙にハマってて、今でもあるよ、天体望遠鏡」
「⋯⋯親父」
「父さん? 元気にしてるよ」
「ううん、そんな風に呼ぶんだと思って。小さい時は『お父さん』て呼んでたから」
「まぁ、変わるじゃん、そういうのってさ」
時間は流れていく。変なことでそれをお互いに意識する。耳が熱くなった気がした。
映写機がドームの真ん中にドンとあって、プラネタに来たという実感が強くなる。
やわらかい暖色のライトの中、転ばないように手を繋いで僕たちは席を決めた。
古いから流行らないのか、観客はそこそこだった。
カップルが多くて、中にはひとりで来ている人もいた。座席をリクライニングさせて、皆、照明が消えて現れる夜空を黙ってひっそり待っている。
涼しいね、と隣にちんまりと座ったハルが子供みたいに呟く。レンタルのひざ掛けをかけて。
寒くないかと僕は訊ねる。大丈夫、とハルは答えた。
お待ちかねの全天ロードショーが始まって、今夜見えるはずの星空が現れる。すっと太陽が落ちていき、街は宵闇に染まりつつある。
低いところに見えるのは一番星。
小さい時、どっちが先に見つけるか競争した。ハルはいつもあちこち見回してなかなか見つからない。指さした先は飛行機だったり。
僕が先に見つける。
だって僕はいつ訊かれてもいいように、毎日その位置を確かめてたから。
あれは、小学校低学年の頃だろうか――。
物思いに耽っているうちに、空はダイヤモンドの欠片がばら撒かれた宇宙へと変わっていた。
街明かりがすっかり消えて純粋な夜空だけをスクリーンに写す。一段と闇が深まる。どんなに晴れていても目には見えない小さな星も投射されている。
無数の星の砕けた欠片が作る天の川が大きく空を流れて、そこに白鳥が翼を広げる。
ほぅっと小さなため息のようなものが聞こえて、隣を意識すると、ハルの小さな頭が無意識なのか、ことんと僕の肩に寄せられた。
それとももう寝ちゃった? 始まったばかりだよ⋯⋯。
困惑した。
「ねぇ、連れて来てくれてありがとう、アキ。この夏で一番感動した」
ぼそぼそっと囁くと肩に感じる重みがいっそう大きくなった――。
空いっぱいの星々と共に、僕の心がハルで満たされていく。空一面のハルの欠片。子供の時からの思い出の断片。
それらを全部かき集めて、心の中のコレクションにする。
小さな呼吸音。
心地よい重さと体温。
ハルはここにいる。昔となにひとつ変わらないことへの安堵感。
こんなのはバカげているだろうか?
思い出のアルバムの中の写真、一枚一枚。そこに今日を足そう。
ふっと暖かな明かりがまた点って、現実にふわっと引き戻される。そうだ、今僕たちはあの古いビルの中のプラネタリウムにいるんだ。
「ハル?」
なかなか腰を上げないハルが気になって、腰を屈めてその顔を覗き込む。
ハルはただ、真っ直ぐ前を向いていた。なにも聞こえないみたいに。表情はなかった。
リクライニングはとうに戻されて、立ち上がらずにいた。
「どうしたの? 疲れちゃった? それとも気分が悪いとか」
「ごめん、そういうんじゃない。とにかく外に出よう。次の回が始まっちゃう」
ハルは急に現実に戻った別人のように、手早く荷物を持って出口へと足早に歩いた。
僕はその変化に上手くついていけなかった。
今思うと、僕は十四歳に満たない、つまらない子供だった。
中学生になれば少しは大人になると思っていたのは単なる驕りだった。
欲しいのなら、いつも先回りして危ないものから守ってあげれば良かったのに、そんなことに気が付きもしなかったんだ。
いつだってひとつ上のハルに、心根は甘えていた。
戻れるなら、あの頃のハルに謝りたい。
「ごめん」て。「大事に思ってる」って。
どうしてそう言ってあげなかったんだろう。
それがその夏の、いちばん特別だと思った一日、ここから見たらひとつの分岐点。
――大切なものは目には見えない。
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