第14話 妖精、フラれる。

 慌ただしいボッカを一人で待つベルの生活は続いた。ボッカだけではなく、ライオネスもクレアも、ほとんど部屋にいないらしい。クレアから貰っていた聖水はとっくに尽きた。上層部からの命令で忙しくしているクレアに精製を頼むのは気が引ける。その上、そもそも顔を合わせることがない。

 ベルは微熱が続いているような具合の悪さに耐えていた。城内で数少ない癒しは、城の中庭にあるわずかな庭園とメイドが大きな花瓶に挿してくれる花。草花に触れていると、少しだけ心が落ち着く。やはり、森で生まれた生き物なのだと、ベルは実感した。草花で溢れる場所に行けるようになるのはいつになるのだろう——。


    *


 ある日、ボッカ担当のメイドがベルへ手のひらサイズのドレスを持ってきた。もうすぐ、貴族たちが集まる晩餐会ばんさんかいが開かれるのだという。魔王の討伐を祝うためのもので、討伐隊は全員呼ばれている。

 ベルに用意されたのは、小さな体型に合わせて仕立てられた特別製のドレス。晩餐会だから、いつもの草花でできたワンピースではマナー違反になるのかもしれない。

 胸元が開いたノースリーブのイブニングドレス。色はミントグリーン、リボンやレースがあしらわれつつも上品にまとまっている。さすがにコルセットは用意できなかったとメイドは丁寧に頭を下げた。

「サイズ確認のために試着をしていただきたいのですが……」

 メイドはそこで口ごもる。城内のメイドは教養が求められるため基本的に貴族令嬢だ。言葉や所作が美しい。そんな女性が困惑した姿を見せるのは珍しい。

 ベルはメイドの戸惑いに気がつき、

「大丈夫……です。自分でできますから」

 指揮をするように指を振る。ドレスに金色の光が降り注ぎ、ふわふわと空中で舞う。

「まあ……!」

 メイドは驚いて口元に手を当てた。

 ベルの草花でできたワンピースが解け、代わりに晩餐会用のドレスが身を包む。

「髪型はどうすれば……?」

「まとめるのがよろしいかと」

 髪にも魔法をかけると、ふわふわと髪が宙に浮く。あっという間に髪が束ねられ、メイドの助言通りに後ろで高くまとまった。

「このような繊細な術は初めて見ますわ……」

 メイドは驚きながらも手際よくドレスの調整をしていく。その甲斐あってベルのドレス姿は、鏡を見ると嬉しくなるほどの仕上がりになった。


    *


 晩餐会当日、ベルはドレスに身を包み、会場にいた。貴族たちが百人近く集まっても余裕がある城内の大広間。立食式で各々集まって会話を楽しんでいる。その間にも給仕係がせっせと飲食物を運んでいた。

 ベルは部屋の隅にある花が盛られた大型の花瓶の近くに隠れて貴族たちを眺めている。貴族たちは男性も女性も華やかな服装を身にまとって圧巻だった。ベルもメイドの助言通りにドレスを着て、王からたまわったブローチを胸につけているが、どうにも違和感がある。

 ボッカたちは会場に入ってすぐに貴族たちに囲まれてしまった。着飾ったボッカに話しかけたかったのに、一言も声をかけられなかった。今回の主役たちは人気で、近づくことすらできない。

 妖精の小さな姿は貴族たちの目に留まらないらしい。ベルだけは人だかりの外で気侭に過ごしていた。貴族の礼儀など知らないから放っておかれるのは助かるが、仲間外れのようで少し寂しいものがある。食事といっても、ベルは草露そうろで満たされるから人間の食べ物は必要ない。気まぐれに果物を摘むだけ。

「ベル、ここにいたのね」

 ドレスではなく露出の少ない白の祭服を身につけたクレアが近づいてきた。周囲がすべて夜会服なだけに目立ち、神々しささえある。

「凄く似合ってるよっ」

「ベルだって、とても可愛らしいわ」

 クレアは貴族たちの輪から苦労をして抜け出したらしい。物憂げに深く息を吐いた。

「わたしはずっと教会にいたから、晩餐会なんて初めてなの。気後れしてしまうわ」

「わたしも」

 二人で見つめ合い、くすりと笑う。気品ある紳士淑女がつどう様子は、一般人からすれば別世界だ。

 すぐに眉をひそめ、クレアはベルの顔を覗き込む。

「顔色が悪いわ……。気分が悪いの?」

 ベルは視線を下へ向け、小さな声で答える。

「少し……。ドレスが肌に合わないみたいなの……。なんだろう。サイズじゃなくて……受けつけない? みたいな……」

 言葉にし難い違和感。胸元につけたブローチも重く感じていた。アレルギーや皮膚炎に近いかもしれない。草花が生けられた花瓶のそばにいるのは、それが理由だった。草花はベルの気分をよくしてくれる。

「なにかしら? 人間とは違うのかも……あ、もう聖水はなくなってしまった?」

 クレアの顔がさっと青める。

 無くなる度に貰っていた聖水は一週間以上前に尽きていた。早くクレアに頼むべきだったが、忙しそうにしている姿を見ていたら、ベルは言い出せなかったのだ。

「ごめんなさい。わたしったら……」

 クレアは額に手を当て、深く息を吐く。

「いいの。わたしも言わなかったんだから」

 慌てて両手を横に振るベル。申し訳なさそうな友だちの顔を見ているのは忍びない。

「国お抱えの魔法医でも、妖精の体調は治せないかもしれない。わたしが衝立ついたて代わりになるから着替えて」

 クレアは素早くハンカチを取り出し、周りからベルが見えないように広げる。

「ありがとう」

 花束から草を分けてもらい、軽やかなワンピースに仕立てる。ドレスと交換すると、ベルの息苦しさが和らいだ。

「メイドさんに事情を話して、休める部屋に行きましょう」

 クレアとベルが話している間に、にこやかに微笑んだ貴族が声をかけてきた。

「司祭殿。よろしいですか?」

「え、今はちょっと……」

 慌てるクレアにベルは「大丈夫。外の空気を吸ってくるね」とだけ囁き、窓に向かって飛んでいった。


 大広間の外はバルコニーになっており、自由に行き来できるように掃き出し窓は開かれていた。優しい夜風が吹き、見晴らしがいい。昼間であれば、城下町が見えているだろうか。今は満天の星空が広がっている。

 バルコニーに出たベルの耳に突然女性の声が届いた。

「やはり、あなたはわたくしが思った通りの方でしたわ」

 聞き覚えのある鈴を転がすような声にベルの心臓がどきりと跳ねた。咄嗟に窓の上にある突出した外壁——ひさしの上に隠れる。

 ばくんばくん、と早鐘が胸を打っている。魔物がいないのに隠れる必要などないはずだ。それはだったのかもしれない。

 人間よりも高性能な妖精の耳は、広いバルコニーの端にいる人物の声を正確に聞き取ってしまう。そこは窓の内側からは見えない場所。人目を気にすることはない死角。

「わたくし、信じていました。あなたが魔王を打ち倒し、無事に戻ってくることを……」

 とろけるような甘さを含んだ言葉に同性であるベルさえうっとりしてしまいそうだ。しかし、次に聞こえた「もう一つの声」に頭を殴られたような衝撃を受ける。

「ありがとうございます」

 慣れ親しんだ声なのに聞いたことのない調子。ベルは呻き声を出しそうになり、口をふさぐ。どうして、彼がここにいるのか。なぜ、と一緒にいるのか。

「おれ……私も信じていました。また会えることを」

「……勇者様」

 燃えるような赤い髪に青緑色の燕尾服がよく似合っている。大広間に入る前に見かけ、ベルが心を踊らせた姿。晩餐会の主役であるボッカだ。傍らにいる美しい女性——アトラルの姫君を真っ直ぐな瞳で見つめている。

 ソフィア姫は輝かしい金色の髪を結い上げ、繊細な刺繍をふんだんにあしらった紺色のドレスを着用していた。他の貴族と違い一見すると上品だが慎ましやかな衣装。小枝と小花モチーフの洗練されたヘッドドレスや大粒の宝石が並んだ煌びやかなネックレスで地味な印象を与えない。それを姫は見事に着こなしている。

 身体に凹凸の少ない妖精と違い、膨らんだ胸元は女性らしい。頭の天辺から足の爪先まで魅力的だった。

 月光に照らされる二人はまるで劇の一場面のよう。思わず見つめてしまう美しさ。だから、残酷なほどにベルの心は痛む。もう人間のドレスは着ていないというのに、呼吸が苦しくなる。

——どうして? どうして、あの二人が……?

 耳を塞ぎたくても、妖精の耳は二人の声を聞き取ってしまう。

「お父様……王はわたくしとあなたの婚姻をお望みです。ゆくゆくはあなたを次期王へとお考えのはずです。世間からは政略結婚と言われましょう。けれど、わたくしは……」

 ボッカを見つめる瑠璃色の瞳は、熱を帯びていて揺るぎない。誰であっても目を離すことはできないだろう。ボッカから小さく息を吸う音がする。そして、躊躇いがちに口を開き、

「私も——」

 そのときだった。ベルは耐えきれずに外へ飛び出したのは。無我夢中で闇夜に向かって身を投じる。その先の言葉はどうしても聞きたくない。

——どうして、どうして、どうして?

 ずっとボッカのそばにいたのはベルだった。力になりたくて身を削ってまで尽くしてきた。人間の町で苦しくなっても離れなかった。

——なんで……。わたしじゃないの……?

 眼に涙が滲み、粒となって溢れる。 嗚咽おえつが漏れ出す。そこへ咳が混じり、息苦しくなる。

「う……うぅ……コホッ」

 ボッカとソフィア姫は、前世で読んだ物語の勇者と姫そのものだった。大好きで何度も何度も本がぼろぼろになるまで読んだおとぎ話。それが現実となって目の前に現れた。しかし——ベルがいたのは、 蚊帳かやの外だったのだ。

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