第8話 旅立ち

 貴族や騎士が見守る中、ボッカは片膝をついてこうべを垂れている。その隣に目立たないながらベルも同じようにしていた。正面には冠を被り、髭を蓄えた初老の男——アトラルの王。

「ほう……。本当に妖精を従えた者がいるとは。まるでおとぎ話の勇者のようだ」

 王は二人に目を細め、一拍置いてから朗々と宣言する。

「ボッカ・ブレヴァニア、そなたに魔王討伐の命を与える」

 ボッカは少しだけ声を上擦らせて「慎んでお受けいたします」と答えた。その肩に王の剣が乗せられる。

 王の側に控える細い体型の男が王から言葉を受け継ぐ。

「任命にあたり、そなたに二人の従者をつかせる。——こちらに」

 合図と共に精悍な顔つきの鍛えられた騎士風の男と白い修道服のようなものを着こんだ黒髪の女が現れた。ボッカの後ろまで進み、二人とも片膝をつく。

「ライオネス・ハルベルト」

「はっ!」

「クレア・シェルディック」

「はい」

「そなたらはボッカ・プレヴァニアの支えになるのだ」

 同席した臣下たちの視線がボッカたちに注がれる。そのほとんどが期待に満ちていた。有名とはいえ若い戦士に対するものとしては過剰だ。それほど王国——人間たちは追い込まれていた。


*****


 王城に到着したボッカは英雄として丁重に迎えられた。任命の儀が始まる前に会議室で現状についての説明と討伐経路の指示があった。既に同盟国と会議を重ねて少数精鋭の討伐隊を送るということで人類側の意見は統一されたらしい。

「なるほど……。失礼ながら、俺……いや、私より連合軍の方が確実では……?」

 宰相はボッカの疑問に苦い顔をした。細く長い溜息をつき、首を横に振る。

「その予定だったのだ……。隣国のサウジールが短慮を起こしてな。我々の意見を聞かずに魔王城に向けて出兵した。知ってはいると思うが、サウジールは強国……連合軍でも要になるはずだった。それが全滅だ。交戦してから半日とも持たなかったそうだ。しかも、魔王軍は百分の一以下の数と聞いている」

 ボッカは絶句する。普段は辺境の地で暮らしているから情報には疎い。そこまで魔族と人間には力の差があるとは知らなかった。

 宰相は両手を顔の前で組み、ボッカに強い視線を向ける。

「もうサウジールの協力は受けられなくなった。大規模な軍隊を送っても、こちらの動きは気取られ、すぐに潰されてしまう。ならば選りすぐりの手練れを懐に送り込むしかない。それが我々の出した結論だ。魔族は人間を下等生物と侮っている。奴らにとっては我々は取るに足らない存在。注意を払う価値もないらしい。あからさまな攻撃の意思を見せなければ、何もしてこないからな。そこにつけ入る」

 会議室には国が選んだ精鋭部隊の一員も同席していた。王国騎士団所属のライオネス・ハルベルトと教会から派遣されたクレア・シェルディック。二人とも真剣な面持ちで宰相の話に耳を傾けていた。

 ライオネスは二十代前半の軍人然とした武骨な男だ。ダークブロンドの髪を短く切り揃え、逞しい身体つきをしている。歴戦の戦士のように見えるが、彼が所属しているのは魔法騎士部隊だという。騎士団でも魔法の実力は一、二を争うと宰相は言葉を添えた。魔法だけではなく、実戦で使えるほどの剣術も身につけているとのことだ。

 クレアはボッカと同じ年頃の女だ。長い濡羽色ぬればいろの髪が美しく楚々としている。町の女と比べるとやや浮世離れした印象になる。それは当然で教会で生まれ育った修道女シスターという。世上から隔絶された世界で生きていればそうなる。

 教会は国から独立した機関だ。だから、名目上は教会が王宮に派遣したという形になるらしい。教会側からも人員を出すことで権力のバランスを取っているのだろう。

 そんな彼女は回復や補助魔法を多数扱うとのこと。後方支援は部隊にとって必須の役割だ。

 ライオネスもクレアも魔法を行使する貴重な人材で、国の期待値が高いことを証明している。魔王討伐の部隊はぎこちないながらも、儀式の前に簡単な自己紹介を済ませた。

「国王様に失礼がないように任命の儀の予行練習を行う。今回は略式になる」

 ライオネスは胸に手を置き、「はっ!」と短く返事をして同意を示した。

「りゃくしき……?」

 ボッカの小さな疑問の声を聞きながら、ベルは会議で使われた初めて見る世界地図を凝視していた。知っている地図とはまったく違う。七つの大陸があるように見える。自分たちがいる場所は、前の世界でいう赤道より上側だ。もしかしたら、日本に近い緯度になるのかもしれない。認識していたのは常冬でも常夏でもない地域だということくらいだ。ベルの目には新鮮に映った。

 目標の北の大地は北極に近い場所だ。考えただけでも人間では立っているだけで厳しいだろう。そこに魔族たちが集まっているのだ。一筋縄ではいかないことが分かる。ベルは食い入るように地図を見ながら眉間に皺を寄せた。自然と長い耳が下がる。

 背後から温かくて大きな手がベルを包んだ。硬い顔で宰相の言葉を聞いていたボッカが優しく微笑んでいた。安心して、と言葉が聞こえるようだ。

 ——二人ならどこだって大丈夫だよね……。

 ボッカとベルは今まで強敵を倒してきた。揺るぎない実績がある。ベルは激しく鼓動を打つ胸を落ち着かせるように手を置き、笑顔を浮かべてボッカに頷いた。


*****


 国王から任命された正式な部隊は、本来ならば出征式を行う。国を挙げて華々しくボッカたちを見送るところだが、さすがに目立つために国王や兵士たちのみが場内で立ち会った。

 ボッカたちは旅の装備を固め、国王から授けられた金品を持ち、国王に深々と頭を下げる。

「お父様」

 玄関ホールに現れたのは、膨らんだスカートを身につけた気品のある少女。輝くような金髪をまとめ、ティアラを頭頂部に飾っている。深く青の瞳が特別に目を引く。

 ベルはその美しさに息を飲んだ。まるでおとぎ話のお姫様が絵本から飛び出してきたようだ。童女の多くが憧れる姿。

 それは周りの人間たちも同じらしく、突然現れた人物に視線が集まった。兵士を始めとする堅い男性が多い荘重そうちょうな空気を一変させるような魅力がある。

「わたくしも勇者様をお見送りしますわ」

 彼女は鈴を振るような声で言った。決して怒鳴っているわけではないのに、ホール中によく通る音だった。

「おお……。これはソフィア。わたしの娘だ」

 王は目尻に皺を作り、ソフィア王女を傍らに呼び寄せた。

 ソフィア王女は動きにくいドレスでも優雅な所作で歩き、上体を定めたまま片足を引いて腰を落とす。動作の一つ一つが洗練されていた。

「危険な旅路かと存じております。どうかご無事に戻られますよう。わたくしは祈りを捧げております」

 形のいい唇が緩やかな弧を描く。透き通るような肌にバラ色の頬が瑞々みずみずしい。花のような芳しい香りが辺りに漂う。

 ベルは突然現れた淑女に目が釘づけになっていた。自然とボッカの顔を見上げ、心臓が跳ねる。ボッカも他の人間たちと同じように驚いたような顔をして固まっていた。


 こうして、ボッカ一行は王都を出立したのだが、ベルの胸には言い知れない不安が渦巻いていた。今まで見たことのない表情をボッカがしていたからだ。陶酔したような、時間が止まったような、呆然とした顔つきだった。旅に出れば、いつものボッカに戻ると信じていた。


*****


『我が君』

 魔王の執務室にヒレの男が執務室に現れた。片手を腹部に当て、恭しく一礼をする。

『南東の海上に人間の群れを確認しました。数は恐らく千を超えているかと。灼熱砂原しゃくねつさわらを司る番人の末弟が序列百以内の者を率いて応戦のため向かっております』

 椅子に深々と座している魔王は顎に手を当てて何事か思案をする。

『……ならば、労ってやらねばな。食事と風呂、迎えの準備を頼めるか?』

『はい。アレは政務より前線に立つ方が適しておりますね』

『戦闘に特化した家系だからな』

 魔族側が負けるという結果は魔王にもヒレの男にもなかった。当然のように側近が率いる小隊が勝利することを信じて疑わない。魔力の保有量からして人間と圧倒的に差があるのだ。負けるという選択肢はない。

 ヒレの男は思い出したように折り畳んだ紙を取り出した。魔王へ歩み寄り、それを差し出す。

『人間から使者が参りました。恐れながら我が君への書状だそうです。このような稚拙ちせつな文章はお目汚しになるかと思ったのですが……。使者は拘束しております』

 魔王は紙を広げて内容を一瞥すると、わずかに両目を細めた。目の周りに皺が寄る。

『使者の首を落とし、送り返しましょうか?』

 ヒレの男の声色に怒気が滲む。牙と爪が膨らむようにして伸びる。

『いや、いい。返答を持っていかせる。|しばらく待て』

『差し出がましいことを申しました。御意に』

 凶暴なほどに剥き出しになった爪牙そうがは、魔王の言葉にあっさりと引っ込んで元の姿に戻る。それから現れたときと同様に恭しく頭を下げて退席した。

 部屋で一人になった魔王は改めて書状に目を通す。王族の印が捺印なついんされている正式なものではある——。

 魔王の口から微かに細い息が流れ出る。眼に影を落とす長い睫がわずかに揺れる。

 側近は人間の国からの書状を「稚拙」だと表現したが、それは魔族にとって当然のことだった。魔族は人間よりも歴史が長い。この世界で最も古い種族だ。寿命も千年を超えるのが一般的で、長寿の家系では一万年生きた者もいる。

 だから、魔族の言語は複雑だ。まず、人間の世界でいう「てにをは」の助詞が状況によって変化する。名詞も時系列で別物になる。「私は食事を取る」と「私は食事を取った」はまったく異なる文章だ。そこへさらに身分や年齢による変化が加わる。

 難解な言語は長い寿命を持つ種族ならば当然のこと。人間が基本的な言葉を覚えるのに十年かかるところを百年使うのだ。

 そもそも時間の流れが違う。例えば、魔族が疲れて少し仮眠を取っている間に人間の寿命が尽きていることも珍しくはない。

 だから、魔族からすると人間の言語は稚拙なのだ。幼児が話す言葉にすら似ている。それなのに、一瞬に過ぎない気温やら天候について細かく記すまどろっこしさもある。魔族にとって頭痛の種だった。

 昔、物好きな魔族と人間がいて、互いの言葉を分析しようと奮闘した記録が残っている。数え切れないほど連絡を取り合ったいたらしいが、それはこころざし半ばであっさりとついえた。人間の寿命が来たのだ。魔族側はともかくとして、人間側は簡単な単語を喋れるようになっただけだった。

 言語はその種族の文化が色濃く表れている。思想や慣習を理解できなくては習得は難しい。つまり、魔族と人間には途方もない隔たりがあった。

 理解ができないものは魔法でもどうにもならない。魔法は想像力が不可欠の力だ。火がどのようなものであるか知らなければ、魔法では作り出せないのと同じ。

 魔王は人間語研究の書物を通して学んだために多少なら人間語を読み書きできる。それでも使うのは不愉快だ。下品な言葉を使う感覚と似ている。

 人間から送られた書状の内容は停戦を望むものらしい。ペンを取って不慣れな人間語を書き連ねた。現在の人間では魔族語の知識のあるものはいないだろう。それに急がなければ、人間の世界では恐ろしいほどに時間が経っている。魔族の世界では太陽と月が入れ替わるだけの時間は、人間世界でいう一日ではない。

 魔王は迅速に返事を書き上げ、側近に預けた。形式的に真摯に対応したが、短絡的な人間に通じるとは思っていない。

 次に、放っておくと自由行動をしがちな配下たちに指示を出し、穏健派への牽制を行う。そうこうしているうちに側近が率いる小隊の帰還の連絡が入る。間を置かずして戦闘報告にやって来るだろう。人間に宣戦布告してからというもの、魔王に休息はなかった。

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