2023年1月15日 01:09
礎(いしずえ)への応援コメント
太史公は言った「商鞅は生れ付き刻薄な男であったのであろう。」「彼が孝公に取り入ろうとして先ず帝王の政策を説いたのは、心にも無い言葉であって、本心では無かった。」「しかも手ずるに使ったのは寵愛の宦官だった。」「任用されてからは公子虔を処罰し、魏の公子仰をだまし討ちにで捕らえ、人の忠告に耳を傾け無かった。」「これらの事は商鞅が温情に欠けていたことを示す物である。」「最後に秦において悪名を被ったのは、故ある事だったのだ。」
2022年12月8日 21:08
魏(ぎ)への応援コメント
大梁に遷都した後、魏の恵王は「公叔座の言葉を用いなかったのは、わしの遺恨である」と言った。
2022年12月2日 21:01
飛躍(ひやく)への応援コメント
やがて新法を誉めそやす人々が現れた。公孫鞅は「こいつらは教化を乱す民である。」と言って、全員辺境へ追放した。以後、民衆は法について何も語らなくなった。
2022年11月27日 00:47
新法(しんぽう)への応援コメント
韓非子の言葉に「二柄」と言うのがある。二柄は二つのハンドルの事で、「君主は「刑(罰)」と「徳(賞)」の二つを正しく使い決して他人に委ねてはいけない。」とある。どちらも過大評価や過小評価してはいけない。この事を公孫鞅は最初に実践した。
2022年11月27日 00:28
秦(しん)への応援コメント
後進国の自覚があった秦は積極的に他国の人材を登用した。公孫鞅から始まり、張儀、范雎、呂不韋、李斯、韓非(登用されず殺された)など。
2022年11月27日 00:18
商鞅(しょうおう)への応援コメント
公叔座は恵王に「もし、宰相に任命しない場合は公孫鞅を殺すべきです。」と言った。公叔座は家に帰ると公孫鞅に「王にお前を次期宰相に推挙したが、登用しない時は殺せと言った。」「もし、宰相に任命され無かったら直ぐに他国へ逃げるのだ。」と言った。公孫鞅は「先生の推薦を採用しない王は、暗殺の策も採用しないでしょう。」と言って公叔座の死後も逃げも隠れもしなかった。
2022年11月23日 09:15
続き楽しみにしてます。
作者からの返信
色葉さま読んでいただき、ありがとうございます。色葉さんも春秋時代の小説を書かれていらっしゃるんですね。商鞅の続き頑張ります。
礎(いしずえ)への応援コメント
太史公は言った
「商鞅は生れ付き刻薄な男であったのであろう。」
「彼が孝公に取り入ろうとして先ず帝王の政策を説いたのは、心にも無い言葉であって、本心では無かった。」
「しかも手ずるに使ったのは寵愛の宦官だった。」
「任用されてからは公子虔を処罰し、魏の公子仰をだまし討ちにで捕らえ、人の忠告に耳を傾け無かった。」
「これらの事は商鞅が温情に欠けていたことを示す物である。」
「最後に秦において悪名を被ったのは、故ある事だったのだ。」