七、何処の姫(三)

「もう、これだから王女って嫌なのよ!」

 宝劉は吠えた。

 拉致されてからどのくらい経っただろうか。縛られた手首が痛くなってきた。

 祥斉は部屋の外へ行き、今は部下であろう男二人が、宝劉と彩香を見張っている。

「まったく。畳だって、ずっと座ってりゃお尻が痛くなるのよ。座布団くらい敷いてほしいもんだわ」

「そうでございますね」

 祥斉も部下たちも武器を携えてはいるものの、二人に危害を加えようとする様子はない。今のところ安心して愚痴っていられるのだが、いつまでもこうしている訳にもいかないだろう。

「あーあ、何だか面白くないわ……」

 宝劉はぐでっと床に転がる。春も中頃に差し掛かったが、窓のない部屋の畳はまだ冷たかった。

 そこへ、祥斉が戻ってきた。襖を閉め、腰に差していた刀を置いて、二人の前に腰を下ろす。

「さて、そろそろ本題に入らせていただきます」

「本題?」

「はい」

 宝劉は、起き上がって姿勢を正す。

「それは奇遇ね。こちらもそろそろ、真面目な話をしようと思っていたところなの」

「ほう……?」

 祥斉が眉を上げる。

「どんなお話か、うかがってもよろしいですか?」

「簡単よ。話題は一つ。なぜあなたが、私たちを拉致したのか、と言う事」

「なるほど」

「単刀直入に言うわね」

 宝劉は祥斉の目をまっすぐ見つめる。

「あなた、胤劉派の人間ね? 誠家に協力してるんでしょう」

「……」

 祥斉は何も言わない。

「その沈黙は、肯定と受け取っていいのかしら?」

「まさか。少々考え事をしていただけですよ。なぜ殿下が、そのような絵空事をおっしゃるのか、と」

「絵空事、かしら?」

「はい、その通りでございます」

 祥斉は、表情を変えずに淡々と続ける。

「これは、私が一人で計画したものです。なぜわざわざ国政に携わる誠家が、手を貸すと言うのでしょう」

「逆にどうして、街の役人でしかないあなたが、ほぼ国政にしか関わらない私を、誘拐したのかしらね?」

「……」

「ねえ祥斉さん、誠家の力は強大よ。彼らはその大きな権力を守るためなら、手段を択ばないわ」

 蜥蜴の尻尾を切るのは、誠家の十八番だ。そうして今まで、一族の権力を育て、守ってきた。

「騒動の時に見ていたけれど、あなたの仕事は正確で早くて、無駄がないわ。部下を大切に思っているし、部下にも慕われている人格者だと思うの」

「お褒めにあずかり、光栄にございます」

「ええ。だからね、こんな醜い権力争いには、参加してほしくないのよ」

 優秀な人材が、権力争いに巻き込まれ去っていく様を、宝劉は何度も見てきた。

「私、あなたにはずっとこの街で活躍してほしいと思っているの。だめかしら?」

「……」

 祥斉はぐっと黙る。深く考えているようにも見えるし、単に相手の言葉を待っているようにも見える。

「……もう、よろしいでしょう。殿下を拉致する計画は、私一人が謀った事です。誠家など、関係ございません」

「そう……」

 どうやら彼は、かなり誠家に忠実なようだ。

「次はこちらの話をさせていただく番でございます」

「ええ、そうね。どうぞ」

 宝劉は説得を諦め、座り直す。

「そちらは、どんな話かしら?」

 祥斉は宝劉を見据えて、一言言った。

「里にお帰りください」

「やっぱりね」

 そう来るだろうと思っていた。敵の目的は、現王の後釜に宝劉の従兄弟を据える事だ。それには、王の妹である宝劉の存在が邪魔になる。

「ここで引き返し、元々いらした里へ戻られるなら、我々は喜んでお見送りします。しかし、もしこのまま城へ向かわれるなら……」

 祥斉は、隣の刀を一瞥する。

「その時は、御覚悟ください」

「随分と魅惑的な提案ね」

 宝劉は里を思い出す。二年間過ごしたあの場所は、宝劉にとって実家よりはるかに、自分らしくいられる所だった。自由で、何の縛りも無く、のびのびと日々を送ることができた。猪を狩り、魚を捕って、彩香と二人のんびり生きるのが、どれほど楽しかったか。

「……でも、断るわ」

 宝劉は敵をまっすぐ見て、はっきりと言った。

「何故です?」

 祥斉が訊き返す。部屋の空気が、緊張した。

「確かに、里に戻るのは魅力的だわ。城に帰らなくて済むのもね」

 敵の要求に従うのも、悪くはない。このまま王女という立場を無視し、生きていくのも憧れる。

「私は王女である前に私だもの。私らしくいたいわ」

 それは本心だ。

「でもね、王女という立場も含めて私なの」

 宝劉は、旅の途中でいくつも劉家として仕事をした。人の役に立つのが好きだと感じたし、事件の解決に尽力できて嬉しかったし、命を懸けて国の危機も救った。劉家だから、王女だからこそ、できる事もあるのだと思った。

「私は王女よ。私は私らしく、王女として生きていくわ」

 そう、覚悟を決めた。

「だから、里には戻らないわ。残念だけど、要求はのめないわね」

 部屋の空気がいっそう張った。

「そうですか……」

 祥斉は、脇の刀を手に取って立ち上がる。

「では、御覚悟ください」

 銀の刃がするりと抜かれる。ぴんと張り詰めた空気の中、鞘が床に落ちる音が響く。刀が振り上げられ、刃が煌めく。

 宝劉は動かない。

 そして。

 刀が降り下ろされる事は、無かった。

「な、何故……」

 祥斉はその場にくずおれる。

 彩香が、一撃で彼をのしていた。

「殿下、お怪我はございませんか?」

「ええ、大丈夫よ」

 彩香は宝劉の縄をほどく。

 宝劉は一つ伸びをして、祥斉の刀を拾い上げた。

「さて、逃げましょうか」

「残念ながら、そうは行かないかもしれませんわ」

 宝劉と彩香を見張っていた敵二人が、武器を構える。

「あらあら、たった二人ですって」

 宝劉は口元に笑みを浮かべ、命令する。

「彩香、やっておしまいなさい」

「御意」

 その時、襖が勢いよく開いた。手ごとに武器を持った敵が続々と部屋に入って来て、宝劉と彩香を取り囲んだ。部屋に入りきらない敵も含めると、その人数は三十を超えている。

「うーん……これは、困ったわね……」

 この人数差ではさすがに不利だ。

 宝劉と彩香は、背中合わせで敵と睨み合う。

 一触即発の状態で、互いに互いの様子を窺う。

 宝劉が武器を握り直した時、反対側の襖が飛んだ。

「宝劉様!」

「舜䋝!」

 体長六尺の白狼が吠える。

 敵は、突如現れた大きな狼に仰天しつつも、果敢に立ち向かっていく。

「お待たせしてすみませんねぇ」

「お迎えに上がりました」

 燿と空鴉も加わって、室内は乱闘になった。

「宝劉様、お乗りください」

 白狼が宝劉の前でしゃがむ。

「落とさないでね」

 宝劉がその背中に乗ると、狼は部屋を飛び出した。畳の部屋を抜け、廊下を渡り、欄干を跳び越えて地面に降り立つ。突然現れた大きな狼に、周囲で驚きの声が上がった。

 そのまま、人を避けながら街中を走り、とある路地に入り足を止める。

「大丈夫ですか、宝劉様」

 宝劉を下ろすとすぐ人間の形に戻り、舜䋝は宝劉に詰め寄る。

「お怪我はしていませんか? 痛いところは無いですか? 奴らに何もされていませんよね?」

「大丈夫、大丈夫よ」

 宝劉は必死に顔を逸らして舜䋝をなだめる。

「私は大丈夫だから、お願い、前を隠すか、服を着て!」

 そう言われてやっと、舜䋝は自分が何も着ていない事を思い出した。

「す、すみません……」

 何のためにこの路地を選んだのか。服を隠してあるからである。

 舜䋝は耳まで赤くし、わたわたしつつ、置いてあった服を着た。

「迎えに来てくれてありがとうね。助かったわ」

 宝劉が、舜䋝の目を見て声をかける。

「いえ、ご無事で何よりです。安心しました」

 宝劉からの礼の言葉と、彼女が無事であったという事実が、舜䋝にとっては何よりも嬉しいものだ。

「宿に戻りましょう。そこで待ち合わせしております」

「分かったわ」

 追手や役人の姿に警戒しつつ、二人は街に繰り出す。

「やっぱり噂になってるわね……」

 街が騒がしい理由は、先刻出没した巨大狼だ。人から人へ伝わるうちに、憶測が入り尾ひれが付き、さっきの今でかなりの噂になっていた。

「面白そうだし、ちょっと見て行かない?」

「さっき燿さんが脅しましたが、敵が追ってくるかもしれません。僕の傍に居てください」

「分かったわ」

 人々の話に耳を傾けながら、二人はゆっくり街中を歩く。

 その状況を客観視し、舜䋝はある事に気付いてしまった。

(何だか逢引みたいだ……)

 一度そう思ってしまうと、平静ではいられない。顔が火照り、心臓が音をたて始める。

「あ、あのっ、宝劉様……」

「あら見て、舜䋝、かわいいわねぇ」

 視線の先では、狼を目撃したであろう子どもが、興奮気味に身振りを交えて、親に見たものを報告していた。

 耳を澄ませると、様々な声が聞こえてくる。

「あの狼は何だったのかしらね」

「大きかったよなぁ」

「……もしかして、神様じゃないか?」

「でも神様は、俺たちの目には見えないはずだろ?」

「きっと、神様が特別に姿を見せてくださったのよ」

「確かに、そうかもしれないな。ありがたい事だ」

 どこともなく手を合わせる彼等を見て、狼の正体を知る宝劉は頬を緩める。

「我等が国民ながら、信心深いわね」

「当たり前です。飛劉殿下は、善く天下を治められておりますから」

「そうね」

 宿に着いた。

「いろいろありましたし、お疲れでしょう。部屋でお休みください」

「舜絵もお疲れ様。ゆっくりしましょう」

「ありがとうございます。そうしましょう」

 舜䋝が本陣の引き戸を開けて、ぴたっと固まる。

「どうしたの?」

 中を覗き込み、宝劉も動きを止めた。

 そこには、秀誠という名の誠家の男が、部下を従えて立っていた。

「お迎えに上がりました、宝劉殿下」

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