六、騒街の姫(三)
翌朝、支度を終えた宝劉たちは、さっそく神から眼を借りた連孝という男を探し始めた。
「盲目だったのに、急に眼が見えるようになったんだもの。近所では噂になってるはずよ」
宝劉は、神社に向かう馬の上から言う。
「加えて、毎日神社に通える距離だから、大分絞れると思うわ」
「そうですね」
舜䋝が答えた。
「じゃあ、まず聞き込みから始めますか?」
「そうしましょう。私は彩香、舜䋝の二人と探すから、燿と空鴉はまた別で回りましょうか」
宝劉はそう提案したが、家臣たちは渋い顔をする。
「いえ、私たちも殿下と一緒に参ります」
空鴉が言った。
「あら、どうして? 二手に分かれた方が、効率がいいじゃない」
「まあ、それはそうなんですが……」
口ごもる空鴉に、燿が助け舟を出す。
「俺たち、殿下の事が大好きですからね。一緒に居たいんですよ」
宝劉はくすっと笑った。
「分かったわよ。一緒に行きましょ」
こうも調子の良い事を言われてしまうと、冷たく返す事はできない。
「ありがとうございます」
空鴉は安心した様子で、礼を言った。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「御意」
さすが大きな神社だけあって、そこに続く道は人出が多い。馬に乗った宝劉の元に彩香がとどまり、舜䋝と燿、空鴉の三人は聞き込みを始めた。
「うまく見つかるでしょうか……」
彩香が心配そうに呟く。
「大丈夫よ。これだけ人がいるし、特徴的な探し人だもの」
「いえ、そうではなくて……」
彩香が言いかけた時、二人の耳に黄色い悲鳴が飛び込んできた。
声のした方を見ると、空鴉が若い女性達に囲まれている。
「お兄さん綺麗な顔してるわね。私たちと遊ばない?」
「一緒にお茶でもしましょうよ、奢るから」
女子たちに言い寄られ、眼を泳がせている。
「あ、あの、いや、その……」
彼女らの勢いに圧され、断り切れずに困っていた。
そこにやってきたのは燿だ。
「ねぇお姉さんたち、そいつ俺の連れなんだけどさ、俺はどう? 茶屋でも何でも、喜んでご一緒するけど?」
空鴉を囲んでいた女子たちは、顔を見合わせる。
「正直、お兄さんはあんまり好みじゃないわ。糸目だし」
「私より背の低い人は、ちょっとねぇ」
他の女子たちも頷いている。
「ひ、酷い……」
燿は落ち込んだが、それを機に、聞き込みをしていた綺麗なお兄さんを囲む会は、解散した。
「兄さんの恰好良さが分からないなんて、かわいそうに」
空鴉がぼそっと呟いたが、その台詞は誰に聞かれることもなく消えていった。
「空鴉に聞き込みをさせるのは、無理があったかしらね」
一部始終を見ていた宝劉は溜息をつく。整った顔立ちが仕事の邪魔をする事も、時にはあるらしい。
「どこかに連れていかれる前に、呼び戻した方が賢明かもしれませんわね」
彩香も苦笑していた。
「宝劉様!」
きちんと聞き込みをしていた舜䋝が、二人の元に駆けてくる。
「例の男を知っているかもしれない方が、見つかりました」
「かもしれない? どういう事?」
舜䋝の見つけた参考人は、盲目の男の近所に住んでおり、彼が百日参りをしているのを知っていた。
「眼が見えるようになったかは分からないそうですが、その男の姿を数日前から見ていないそうです」
「なるほどね」
宝劉は少し考える。
「とりあえず、連孝の家に案内してもらいましょう」
男の家を知っていたのは、壮年の女性だった。
「あの人、奥さんと子どももいるんだけどね、ここ数日、全然見てないのよね」
そんな話を舜䋝にしながら、一行の前を歩いて行く。
「いい人なのよ。笠職人なんだけど、眼が見えないのに器用でねぇ。人柄も良くって、娘さんもいい子でね。何事も無いといいんだけど」
例の男の家に着く。
「案内、ありがとうございました」
舜䋝が礼を言うと、女性は役に立てたなら良かったわ、と笑って帰っていった。
男がいる事を願いながら、空鴉が家の戸を叩く。
「頼もう」
そう呼んでも返事は無い。
「居ませんね」
「出かけてるのかな?」
燿がのんきに言う後ろで、彩香が表情を硬くする。
「ここにはもう、戻らないかもしれません」
「そういえば、さっきも何か言いかけていたわよね。どういう意味?」
宝劉が尋ねる。
「神様に眼を借りた男性ですが、どこかへ逃げたかもしれませんわ」
「もうここには居ないと?」
「ええ。眼を返さないのです、神様がお怒りになる事は分かっているはず。どうしても眼を返したくないのなら、取り返しに来られないよう、逃げるのが普通だと思いますわ」
彩香の言う事はもっともだ。
「その通りなら、面倒な事になるわね」
宝劉は考え込んだ。今この瞬間にも、神様はお怒りだ。邪気はほんの少しずつだが、強くなっていっている。迷っている暇はない。
「街の役人に協力を要請しましょう。草の根を分けてでも、連孝という男性を見つけるわよ」
「御意」
すぐに街の役人たちが集められた。その数は五十を超えるだろうか。全員で、一人の男を追うのである。
「宝劉様、こちらが捜索の指揮を執る、祥斉さんです」
舜䋝が初老の男性を連れてくる。
「祥斉と申します」
指揮官は拝礼して宝劉に名乗った。髪には霜が降っているが、張りのある声やきびきびとした動きは、年齢を感じさせない。
「件の男を見付けるべく、最善を尽くす所存でございますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「ええ、よろしくね」
まずは、逃げた男の身元を確認しなければならない。
戸籍の管理はその土地の神社に任せられている。宝劉が神社に戸籍を提出するよう命じると、すぐに宮司が戸籍の束を持ってきた。
男の名前は分かっているので、すぐに戸籍は見つかった。
「名前は連孝、二十八歳男性。奥さんの名前は怜山、娘は凛山ね」
宝劉が詳細を確認する。
「逃げたとなると、奥さんと娘さんを連れている可能性が高いわね」
「お子さんはまだ小さいようですし、そう遠くへは行っていないと思いますわ」
「そうね」
宝劉と彩香がそうしているうちに、大捜索の作戦が整った。
「こちらが計画書になります」
舜䋝に呼ばれ宝劉が本部に行くと、中央の机には巨大な紙が置かれていた。
「ご説明いたします」
祥斉が紙に書かれた図を使って説明を始める。
「中心に書かれているのが、この街です。まずは街道の上り方面にあります関所を固め、男が来たら確実に止めます。西側は柏津川に渡しがありますので、そこでも人の出入りを確認できます」
関所を抜ける事は大罪であるし、各渡しでも帳簿に名を書く事になっている。この二箇所だったら、確実に捕らえられそうだ。
「また、北と南方面は山ですので、越えるのに時間がかかるでしょう。付近の山を中心に、捜索する予定でございます」
「なるほどね」
宝劉は少し考えた後、家臣たちに指示を出した。
「まず、関所には燿が行ってちょうだい。足が速いし、馬を使えばきっと連孝より早く着くわ」
「はいよ、承知しましたよ」
「渡しには空鴉が行って。一騒動あったんだもの、渡しの役人も、あなたの顔を覚えているでしょう」
「御意」
「北の山は舜䋝がいいわね。感覚が鋭いから、きっと役に立つはずよ」
「は、はい!」
「そして、街の中と南の山、全体の統括は、祥斉さんに任せるわ。この土地に詳しい人の方がいいでしょうし、部下からの信頼もあるでしょうから」
「承知いたしました」
こうして、大捜索が始まった。指名手配の貼り紙や瓦版も出され、街を挙げての大騒動になる。
しかし、男は何処へ行ったのか、それでもその日は見つからず、暮鐘が鳴って夜になった。
「見つからないわねぇ」
宿に戻って布団に転がり、宝劉は溜息をつく。
指示を出した後は神社に留まり、時折神と話していたのだが、彼の怒りは収まらなかった。
それも仕方がないかもしれない。神は嘘をつかず、人間よりも約束事を重んじる。時には自身の存在よりも、約束を優先するほどだ。
「神様を欺くのは大罪よ。下手すれば国が亡びるのに、それを知らない国民が多すぎるわ」
「左様でございますね……」
このまま例の男が見つからなければ、神の怒りは頂点に達し、邪気に飲み込まれてしまうだろう。その時は、大きな覚悟をしなければならない。
「まさか、自分の代でこんな事になるとは、思ってなかったわ……」
神に関する大災害の危機は、百年に一度、有るか無いかと言われている。
「万が一の事にならないよう、願うばかりだわ」
その言葉に彩香は黙る。もしその万が一の事になったらと考えただけで、背筋が凍る思いがした。
「殿下、もう遅いですし、お休みになった方がよろしいかと」
「そうね。明日も頑張らなきゃだしね」
侍女の言葉に従い、宝劉は布団をかぶる。
「おやすみ、彩香」
「おやすみなさいませ」
主人にとって穏やかな夜が訪れるよう願いながら、彩香はふっと灯りを消した。
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