四、水郷の姫(九)
「舟に、乗るわよ」
宝劉が難しい顔で言った。
「……はい……」
舜䋝が難しい顔で答える。
「大丈夫よ、四半刻もかからないんだから」
「……泳いで渡ってはだめでしょうか……」
青白い顔の舜䋝に、宝劉は首を横に振る。
「昨日まで、増水で舟でも渡れなかったのよ。危ないわ」
「……」
「諦めて、乗るしかないわね」
「……」
燿と空鴉が舟を手配して戻ってくる。嫌がる舜䋝と二頭の馬を引っ張って、一行は柏津川の渡し船に乗り込んだ。
「いい風ね」
河面を渡る東風に髪をなびかせ、宝劉が頬を緩める。
「ええ、本当に」
彩香がその隣で微笑んだ。
そんな穏やかな川の光景の後ろで、燿と空鴉に挟まれた舜䋝は、真っ青な顔で黙っていた。
「……ん?」
最初に燿が異変に気付く。すぐに空鴉も違和感を覚えた。
「船頭さん、この舟……」
燿が声をかけようとしたその時、舟が大きく揺れた。
「伏せてください!」
空鴉が武器を飛ばして注意する。
舟を揺らして水飛沫をあげ、川の中から男が七人飛び出した。
宝劉と彩香は身をかがめ、燿と舜䋝も戦闘態勢に入る。
「揺れます。おつかまりください」
彩香が宝劉をかばうその上で、死闘が繰り広げられる。川面に立った敵は次々と舟に襲いかかるが、王の私軍とは格が違う。すぐに波と舟の揺れは収まった。
「お怪我は無いですか?」
燿が宝劉に声をかける。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
宝劉が身を起こすと、空鴉が船頭の首元に鏢を突き付けていた。
「すぐ反対岸に舟をつけてください。話はそこで聞きます」
震える手で櫂を動かし、船頭は言われた通りに、五人と二頭を対岸へ届けた。
舟を降りた途端、舜䋝が地面に倒れこむ。
「舜䋝っ!」
怪我でもしたのだろうか。宝劉が心配して駆け寄ると、舜䋝は大丈夫ですと青白い顔で呟いた。
「舟酔いしただけですので……うぅ、気持ち悪い……」
「あら、そうなのね。じゃあ、少し休んでいなさいな」
傷を負った訳ではないなら良かった。戦闘に頭が持って行かれ、舜䋝が舟に弱い事を忘れていた。
「それで? さっきのは何だったの?」
訊かれた彩香は難しい顔をする。
「ただいま、空鴉が船頭に話を聞いております。少々お待ちくださいませ」
「そうね」
船頭を役人に引き渡し、燿と空鴉が戻ってきた。
「どうやら、襲ってきたのは賊のようです」
空鴉が宝劉に報告する。
「ここ一帯を縄張にしていたようで、住人たちも困っていたとか」
「あの船頭さんは、あいつらに奥さんを人質に取られてたらしいですよ」
燿も続けて報告する。
「かわいそうにねぇ。犯罪に加担した事に変わりはないから、お縄ですよ」
「そう……」
見境の無い賊とはいえ、王族に刃を向けた者に協力したのだ。情状酌量の余地はあるものの、大罪にあたるだろう。
「それにしても、私を襲うなんて随分肝の太い賊ねぇ……」
「左様でございますね」
金目当ての盗賊でも、劉家を襲えば反逆罪だ。それを解って蛮行に及んだのだろうか。
少々疑問を残しつつ、舜䋝が回復するのを待って、一行は次の町へ歩を進めた。
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