四、水郷の姫(五)
翌朝、暁鐘とともに目を覚ました宝劉たちは朝の支度を終え、部屋で舜䋝と燿を待っていた。
「殿下、今日はどうなさいますか?」
彩香が宝劉に訊く。
「そうね……」
昨日は、町の土地神と骨董品店の付喪神たちに話を聞き、犯人は子どもであるとの情報を得た。次は、人間に話を聞いてみるのもいいかもしれない。
「とりあえず、商店街の人に話を聞きましょうか」
川はまだ渡れぬようだし、蜜柑すあまもまだできない。事情聴取くらいしか、やる事が思いつかなかった。
「御意」
襖の向こうでばたばたと音がし、戸が叩かれた。
「はい」
空鴉がそれに応じて戸を開ける。
「遅くなり申し訳ございません。準備が整いました」
廊下にいたのは舜䋝と燿だった。二人そろって軽く息を切らし、慌てて朝の支度をした事が分かる。
「遅かったわね。寝坊でもしたの?」
二人は並んで苦笑する。
「ええ、そんなところです」
「すみませんねぇ」
宝劉はくすりと笑う。
「誰にだって、寝坊する事くらいあるわ」
宝劉と彩香、空鴉は廊下に出る。
「さ、行きましょ」
出発しようとして、宝劉がある事に気付いた。
「あら舜䋝、服に汚れがついてるわよ」
「えっ?」
舜䋝は驚いて自分の服を見る。彼女の言う通り、左胸の辺りに黒いしみがついていた。
「落ちるかしら?」
宝劉が、持っていた手拭いをしみに当てる。ぱたぱたと叩いてみるが、効果は無いようだ。
「落ちないわねぇ」
諦めて彩香を振り返り、声をかける。
「彩香、これ落とせる?」
「どうでしょう……?」
まじまじと汚れを見て、彩香は首を振る。
「今すぐには、難しいかもしれませんわ」
「そう……」
旅の途中なので替えの服も少ないし、今から着替えるのも面倒だろう。
「まあ、いいわ。行きましょ」
宝劉は改めて出発する。
燿と空鴉がそれに続き、舜䋝と彩香が遅れをとった。
舜䋝が、宝劉に急接近されたせいで真っ赤になり、動けずにいるからだ。
「ほら、行きますわよ」
彩香は目を細めながら舜䋝の背中を押し、三人の後を追うのだった。
商店街は、今日も事件の話でもちきりだった。おかげで気兼ねなく、町人に話を聞くことができる。事件の話を聞きたいと言うと、皆ぺらぺらと話してくれた。
「金や人の被害は無いらしい。いったい何が目的なんだか」
「犯人を見た人はいないんだってよ。犯行がいつも夜だからねぇ」
等、事実と思われる情報から、
「襲われた店は皆、税を払い損ねてたらしい」
「邪神を信仰してたんじゃないのか」
「俺は、今年初詣してなかったからって聞いたぜ。罰が当たったんだ」
信憑性に欠ける噂まで、午前中に得られた話は様々だ。
「情報がいろいろで、混乱してきますわね」
彩香がため息をつく。
「噂って、変わりやすいですからね」
舜䋝も困惑した顔をしている。
「いかがいたしましょう? 大方話は聞いた気がいたしますが」
「そうねぇ……」
空鴉の言葉に、宝劉は考え込んだ。
分かった事といえば、犯行がいつも夜である事、今のところ人と金の被害は出ていない事、犯人の姿を目撃した人はいないという事だ。
(あれ? でも昨日、付喪神様たちは、犯人は子どもって……?)
多分、付喪神たちが夜に起きていたから、犯人の姿を見られたのだろう。
宝劉はそう納得し、次の行動を考える。
とりあえず、商店会長もこの事は知らないだろう。得られた情報は共有しておいて損は無い。
「一度、応伸さんの所に行ってみましょうか。会所に居るといいけど」
「御意」
こうして五人は、会所へ向かう事にした。
「しかし、いい天気ですねぇ」
事件の噂でもちきりの商店街を歩きながら、燿がのんびり空を仰ぐ。
「春だなぁ」
「そうですね。兄さんの頭の中と一緒ですね」
突然、一行の背後から甲高い声がした。
舜䋝の脚に衝撃があり、その足元で女の子が転ぶ。
「大丈夫?」
舜䋝が声をかけるが、女の子は白髪灰眼に驚いたのか泣きだしてしまった。
「あら……」
宝劉も、子どもの扱いには慣れていない。困惑していると、燿が少女の前にしゃがみ込んだ。
「ねえねえ、見ててごらん」
そう言って、袖から一輪の花を出す。女の子は泣き止んで、目を丸くした。
「はい、かわいいお嬢さん」
燿が花を差し出すと、少女は丸い目のままそれを受け取る。
「泣いてたら、かわいい顔が台無しだよ」
そう言って頭を撫でてやると、女の子は笑って立ち上がり、向こうへ走っていった。
「さすが兄さん。女性の扱いには慣れてますね」
「誤解を招く言い方は止めて……」
そんな二人のやり取りを、宝劉は懐かしく感じながら歩を進める。この二年間、彩香と二人きりだったので、賑やかな旅路がなんだか楽しかった。
会所に着くと、応伸はじめ商店会の重役が集まり、会議の真っ最中だった。
「お邪魔するわね」
宝劉に気付いた重役たちは頭を下げる。
「何の話し合いをしているの?」
「はい、この事件を役人に相談すべきかどうか、話し合っておりました」
「今のところ被害は大きくないものの、これから怪我人が出ないとも限りませんし……」
「それに、犯人の目星もついておりません。お役人なら、何か良い案をお持ちかと」
「あら、犯人は子どもよ」
宝劉が言うと、応伸たちはいっせいに顔を上げる。
「ほ、本当でございますか?」
「ええ、付喪神様たちがおっしゃってたわ。神様は嘘をつかないもの」
「なるほど……」
応伸は白の混じる髭をなでる。
「確かに、金の被害もありませんし、子どものいたずらかもしれませんな。ありがとうございます」
犯人の情報を得た重役たちは、それを踏まえてどう対処するか話し合う。
「一番簡単なのは、今夜商店街中の大人たちに、自分の子どもを見張っててもらう事じゃないかしら」
宝劉がそう提案する。
「役人に相談する前に、そうしましょう。犯人は子どもだから、下手に事を大きくしない方がいいでしょうし」
「確かに」
「おっしゃる通りです」
こうして、その晩は商店街中の大人が起きている事となった。夜回り隊も結成され、犯人確保に向けて動き出す。
午後はその準備を手伝い、一行は暮鐘のなる頃、宿に帰ったのだった。
「あーあ、今日も一日歩いて疲れたわ」
畳に転がり、宝劉は大きく伸びをする。
「明日か明後日には、蜜柑すあまができるはずよね?」
「ええ、予定通りなら」
空鴉がふふっと笑う。
「殿下は本当に、蜜柑すあまを楽しみにしてらっしゃるのですね」
「そりゃそうよ。この町で一時期流行してたのよ? 気になるじゃない」
「左様でございますか」
宝劉は、ところで、と話を変える。
「彩香は? 厠にしては遅くない?」
「ああ、彩香は、台所に行くと言っていました。大根を借りたいそうです」
「……なんで大根?」
「さあ……?」
しばらくして彩香は戻ってきたが、その手には何も持っていなかった。
「あら彩香、大根はもういいの?」
彩香は、空鴉を一瞥してから笑顔を見せる。
「ええ、もう用は済みましたわ」
「そう」
夕食を終え、風呂に入ったら寝る時間だ。
「明日、犯人が捕まるといいわね」
「はい」
「いたずらにしても質が悪いもの。子ども相手でも、ちゃんと言ってやらなきゃね」
「そうですね」
彩香と少し言葉を交わして、宝劉は布団に入る。
「おやすみなさい、二人とも」
「おやすみなさい、殿下」
「良い夢を」
灯が消えた。三人の寝息を包みこみ、夜はだんだん更けていく。町は子どもの眠りと大人の緊張に包まれて、野良猫の声も聞こえなかった。
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