第9話 真新しい未来
「え、ちょっとほんまに?」
小声で言った早智は勢いそのまま手を振り解こうとした。
けれどそれは許さない。
膨れっ面と剣吞な眼差しを正面から見据えるのは久しぶりだ。
杉浦がしっかり握った手は解けることはなかった。
休日の店内はカップルでいっぱいで二人の痴話げんかの声はたちまちざわめきにかき消されてしまう。
きゃっきゃとはしゃいだカップルの声がそこかしこから聞こえて来るので、彼らの目的はきっと自分たちと同じなんだろう。
口角を持ち上げて鬱陶しいことこの上ないカップルたちのやり取りを見守りつつ適度にフォローを入れている店員には頭が下がる。
「・・・そんな嫌なん?こないだは頷いてたやん」
どう考えてもそうは見えへんけど。
心の中で付け加えつつ、ひとまず彼女の言い分を聞く事にする。
「べつに、嫌ちゃうけど・・・ちょっと急過ぎん?・・・なんかお店も本格的やし」
聞こえて来た返事にどれくらいこちらがホッとしたか、早智は知らない。
近づきつつある二人の温度感は、まだ完全に重なってはおらず、結局は杉浦が引いて待つのが常になっていた。
どんなに円満なカップルも、年中無休で相思相愛というわけにはいかない。
何となく雰囲気で付き合い出した二人なら尚更だ。
けれどここで完全に引いてしまっては意味が無いので、二人の現状をはっきりと口にした。
「付き合うとるんやから、指輪くらい普通やん」
友達付き合いが長すぎて、早智は未だに杉浦のことを友人だと勘違いしている節がある。
彼氏だと思われるような分かりやすい態度を示せていないこちらにも、責任はあるのだが。
だから、指輪を贈ったら受け取ってくれるのかと事前確認もして、了承の返事も貰った。
あれから二週間でジュエリーショップまでやって来たことのどのあたりが急なのか、杉浦にはよくわからない。
そうホイホイ贈れるものでもないので、きちんとした店を選んで街まで出て来たのだが。
「そやかて・・・な・・慣れへん」
高校時代からのお友達関係がしっくり来すぎたせいか、気安さは以前どおりでも、やっぱりどこか二人の交際に関して戸惑う部分があるらしい。
急に恋人らしくなるのは無理でも、せめて形だけでもちゃんと”彼女”扱いしたいと思って提案したのだが、それが裏目に出たらしい。
さて、どーしたもんか。
接する態度は今まで通りでも、手を繋いだり、抱きしめたりというオプションをここ最近一気に増やしたのがマズかったのか。
社会人同士のお付き合いにしては、物凄くさっぱりしすぎなくらいの軽い触れ合い程度なのだが。
「慣れてもらわな困るわ」
苦笑交じりで言うと彼女がジト目で見上げてきた。
「・・・努力します」
「うん。そないして」
スローテンポで恋愛するのは構わない。
が、そのまま遠ざかって行かれては困るのだ。
「とりあえず、なんか買うたるから好きなん選び」
「ネックレスでもええ?」
すかさず訊いてきた彼女の目があまりにも必死で笑ってしまう。
本音を言えば分かりやすく指輪が良かったが、早智の気持ち第一優先で選ぶのが一番だと納得した。
どうせこのまま行けばそのうち嫌でも指輪を嵌めて貰うことになるのだ。
「好きなんゆーたやん。なんでもええよ」
鷹揚に応えた杉浦の言葉にほっとしたように肩の力を抜いた彼女は、頷いてショーケースを物色し始めた。
前に付き合った彼女は、交際開始早々にペアリングに興味を示していたのだが。
出費がかさまんかったことに喜んでええんか悲しんでええんか・・・・
最初のプレゼントからこの調子では、先が思いやられる。
まあ、それも承知で始めた恋だ。
指輪のコーナーに集まるカップルを横目に、人の少ないネックレスのショーケースに張り付いた早智が顔を上げて手招きして来た。
「なあ、これ見て!!」
気になる商品が見つかったらしい。
好きなんない、と言われなくて良かったとホッとする。
その視線の先にあったのは、ムーンストーンのネックレスだ。
シンプルなシルバーのチェーンに小指の爪位の大きさの石が一つついたデザインは、彼女の好みがよく表れている。
「気に入ったん?」
「うん、これがええ」
早智が嬉しそうに返事を返した。
「今日のところは良しとしょーか」
服装を選ばないデザインだし、早智の雰囲気にもよく似合っている。
ジッとこちらを見ていた彼女が心配そうに口を開いた。
「ほんまに買うてくれるん」
こんな風に早智からなにかを強請られたのは初めてかもしれない。
「そのつもりで来たんやで。指輪は今度にしよな」
視線を合わせると、一瞬真顔になった彼女が嬉しそうに頷いた。
・・・・・・・・・・・
ネックレスの入った紙袋を手にした早智は上機嫌だ。
さっき繋いだ手はそのままで、駐車場までの道をゆっくりと歩く。
今日のやり取りで、本当にきちんとした指輪を早智に贈る時には、それなりの下準備と根回しが必要になる事が分かった。
先に攻略しておくべき人物は早智の母親だが、ここはまあそれほど問題にはならないだろう。
彼女の性格を考えても、外堀を埋めてからプロポーズするのが最善策だ。
夜の21時を回った駐車場は人通りも少なく静かだった。
車を開けて乗り込むと、助手席に座った彼女が早速紙袋からネックレスの入った箱を取り出した。
「折角やから、今すぐ付けてみてもええ?」
エンジンをかけながら頷く。
「ん、ええよ。ライト付けたるわ」
明るくなった室内で、いつになく慎重な手つきで包装を解いた早智が、布袋に入れられていたネックレスを手のひらに取り出す。
それを持ち上げる前に、先に手を伸ばしてネックレスを掴んだ。
空になった手と杉浦の顔を交互に見つめる彼女と視線を合わせた。
「ほら、向こう向け。留め金つけたる」
「え、ええのに」
「ええから」
有無を言わせず彼女の首元にネックレスを通した。
肩口に零れる髪を右手で押さえて、緊張した様子で早智が少し俯く。
薄明りに照らされた白い項には気付かない振りをして小さな留め金をはめ込んだ。
「出来た?」
期待いっぱいの声が耳元で聞こえる。
・・・・・・・どないしょーかな・・・
未だ無防備な項に触れたままの指先。
そこから伝わって来るのは、離れがたいほど柔らかい感触。
「・・・まだ・・」
嘘を吐いたことへの罪悪感は微塵も感じなかった。
「そんな硬い留め金なん?どないしょ・・・うち自分で付けれるかな・・」
不安げそうに早智が零した。
杉浦は髪の隙間から覗く項をそろりと指の腹で辿った。
当然ながら、こんな風に彼女に触れた事はまだない。
不穏な気配を感じ取ったのか早智が口を開いた。
「ちょ・・・杉やん?」
振り返ろうとする彼女を後ろから抱き寄せる。
右手を伸ばしてライトを消した。
「付けれた」
一気に真っ暗になった室内で早智が小さく息を飲んだ。
微かに振り向いた彼女の顎を捕らえると振り向かせてそのまま唇を重ねる。
本当に軽く触れ合わせるだけのお子様のようなキスをした。
すぐに逃げた唇を追いかけて、二度目は強めに吸いついて、けれどすぐに解放してやる。
「・・・電気かったら見えへんなぁ・・・」
唇を離して、彼女の胸元に目をやるも淡いシルバーの輪郭が見えるだけ。
もう一度ライトに手を伸ばした杉浦に悲鳴に近い制止の声がかかった。
「つけんでええから!」
両手で頬を押さえた彼女が泣きそうな声で言う。
「・・・顔真っ赤やねんもん・・」
その声があまりにも必死だったので思わず笑ってしまった。
「なんで笑うんー・・・・変わり身早すぎるわ・・」
ふて腐れた彼女の頬にキスをして、今度こそ腕を解いて車を出した。
「俺はええ加減な気持ちで付き合うつもりも無いし、ちゃんと将来のことも考えとるから。やから、次は指輪買うで?」
「しょ・・将来て!うちら、付き合い始めたばっかりやん!!そんな期待させるようなこと・・・」
呆れたような声が助手席から聞こえてくる。
休日の夜にもかかわらず高速は思ったより流れていた。
これなら、22時には家に送れそうやな・・・
彼女の親とは昔からの知り合いなので多少遅くなっても何も言われない事は分かっていた。
朝帰りのひとつもさせてくれって言われたくらいやしな・・・
けれど、これから先のことを考えるなら最初が肝心だ。
そう、これから。
片手を離して、空の紙袋を大事に抱える彼女の手を軽く握る。
「期待しといたらええやん。裏切らんから心配すんな」
「・・・その自信はどっからくんの?」
「・・・さーどっからやろなぁ」
多分、半分は付き合いの長さから。
「・・・ってもう運転中やん!片手ハンドルとかやめてやー!」
慌てて早智が、杉浦の手を振り払った。
「心配性やなぁ」
「こーゆー性格やねん」
開き直った彼女が、小さく付け加える。
「でも、指輪はそのうち、楽しみにしとく・・・」
「・・・はいはい」
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