第6話 雨が降ったら

俺らの関係は、友達なのか、それとも?


その答えはいまだこの手に無く。


何となくこのままずるずる一緒に居る気はしたものの、とはいえお互いいい歳の大人なわけで。


早智のいまの状況を考えるとやっぱりそれなりにきちんとした形にしたほうが良いような気もするし、今だからこそ形にしてしまえば彼女が息苦しさを感じてしまう気もする。


それでも、この先何かあったときに、彼女が真っ先に手を伸ばす相手は自分が良いなという期待を抱いて切り出した”付き合おかぁ”だった。


一番の最適解を差し出そうと必死になっていたこちらを放置して、当の本人は今日も上機嫌で口笛なんか吹いているから悔しいったらない。


あの時の、ええよ、の返事はどれくらいの温度感だったのだろう。


彼女の深層心理までは、分からない。


ひとまず彼氏彼女の名目だけは手に入れた二人の現状は、まだ友達以上で確実に恋人未満。


それなのに、なぜか居心地が良いから困るのだ。





日曜の午後。


薄曇りの空の下を並んで歩く。


不器用なくせに、口笛はやたらと上手いから謎だ。


上機嫌になると鼻歌と口笛がセットになる。


目的地を定めずにひたすらぶらぶら歩く。


早智はこの散歩もどきを最初こそ嫌がっていたが、いまではすっかり慣れたようだった。


ゴールが無いと動けない彼女に別の道を指し示すことが出来て少しだけ嬉しい。


この前切った髪が耳元で軽やかに揺れていて、まるで彼女の今の気分を現しているようだ。


左手にぶら下がっているのは一眼レフ。


ぶら下がってるというか、これは振り回されとるゆーてもええんちゃうやろか。


「カメラ落とすなよ」


それなりに値段の張る代物だ。


「ストラップついとるやん」


言った側から、ストラップが手首をすり抜けていく。


「ぎゃ」


宙に放り出されたカメラを慌てて掴んだ。


冷や汗が背中を伝って落ちて行った。


「ほれ見ろ。言わんこっちゃないわ」


「・・・・・すんませーん」


頼むからしっかり持てとカメラを返せばはいはいと早智が頷いた。


綺麗に写真撮れるええカメラが欲しいと言った彼女を連れて一眼レフを見に出掛けたのは二週間ほど前のことだ。


「晴れてよかったなぁ」


「なー。今日やったら曇りで写真も綺麗に撮れんかった思うし」


「ハレの日やもんな」


一生一度の日。


杉浦の言葉に早智が満面の笑みを浮かべた。


高校時代の友人の結婚式に出席した早智は、買ったばかりの一眼レフを駆使して沢山の幸せな一瞬を切り取って戻った。


杉浦も知っている女子生徒だったのでなおさら気合が入っていたようだ。


「バッチリ写真撮ってきたから楽しみにしといてよー」


「おー」


ここ数年で続々と同級生たちが結婚していった。


子供が出来たヤツ、マイホーム買ったヤツ。


そして相も変わらず中途半端な俺ら。


いや、ええねんけど・・・コレ相手に今更焦ったところでどないしょーもないし・・・・・ついこの間まで自分の気持ちにも気付かんかった俺も俺やし。


こんなことを言ったら間違いなく不謹慎だと怒られるだろうが、本当に早智が仕事を辞めてくれてよかった。


あの時間が無かったら、杉浦は今ほど彼女の事を気にかけたりしなかったし、意識することも無かった。


きっと、付かず離れずの程よい友人をいまも続けていたはずだ。


早智は自分の限界まで色んな悩みや感情を溜め込むタイプで、感情が爆発するか、身体が先ギブアップするかのどちらかだ。


今回は、先に身体が悲鳴を上げてこうして狭いスペースの地元での暮らしに舞い戻ったが、感情が爆発していたら、こうなっていたかどうかは分からない。


一つ言えることは、杉浦が手を差し伸べることできる距離に居てくれて助かった、ということ。


今度はぶら下げたままのカメラを片手に少し前を歩く彼女の横顔は穏やかで、数ヶ月前にぐしゃぐしゃの泣き顔を晒したなんて想像もつかない。


くるくると視線を巡らせて、次の興味を引くものを終始探している好奇心一杯の目。


杉浦がよく知るいつも通りの彼女。


それがこんなに嬉しいなんて思ってもみなかった。


これがギャップゆーやつか?


結構長いこと一緒におるけど、ほんまに最近まで意識した事なんか無かったしなぁ・・・


腹が立てば遠慮なく怒って、嬉しい時は大声で笑って、そういう素のままの部分をずっと見てきたけれど、その中にどん底まで落ちてクタクタになるというのは含まれていなかった。



打てば響く感じで返ってくる言葉が虚ろになっていって、言葉数が異常なほど減っていって、正直このまま寝込み続けるんじゃないかと本気で思ったこともあったけれど。


辛抱強く、待ってよかった。


彼女の治癒能力を信じてよかった。


口笛を吹いて、歌を歌えるほど元気になった彼女を確かめてホッとして。


彼女の精神状態と比例して怖いぐらい変化する自分の感情に気付いたとき、嬉しいよりも、気恥ずかしさが勝った。


こんだけ一緒におって、全然なんともなかったのに・・・・・・なんで今このタイミングやねん。


ちょっとしゃがみ込みたくなるほどの衝撃。


曲がり角でぶつかりました。


それくらいの勢いで杉浦の中に恋愛感情は生まれたのだ。


彼女の口笛が終ってそのまま流行のバラードを口ずさむ。


上機嫌の良く伸びる声が、潮風に攫われて波間へと消えていく。


「この歌なぁ、新郎新婦がキャンドルサービスするときにかかってな。涙腺めちゃ緩んだわー」


それは最近よく耳にするラブソングだった。


結婚式の定番ソングになりつつあるらしい。


ふと思って足早に彼女の隣に並んで口を開いた。


「結婚したなった?」


どーゆー反応しよんやろ。


純粋な興味があった。


チラリと隣を見下ろすと、眉根を寄せて一瞬考えた後さっぱりとした顔で早智が口を開いた。


「さー・・・現実味ないわ。自分が奥さんって考えられんし、そない思わん?」


その質問俺にすんのんかい。


ガックリ肩を落としそうになって、どうにか押し留めた。


まあ、早智の性格と現状を考えればそうだろうなと思い至ったのだ。


「そら俺らも結婚してもおかしない年齢としやからなぁ・・・」


「まー、そやねー。いつか子供は欲しいけどなぁ・・・」


昔から子供が好きだった彼女らしいセリフだ。


「やったら旦那もいるやろ」


「そやねー・・・いつかはねー・・・」


はー・・・これやもんなぁ・・・・・


真面目に結婚を考えるようになったらその時はかなり長期戦を覚悟しなくてはならなさそうだ。


焦っていないので別に構わないけれど。


溜息をついた杉浦の腕を彼女が引っ張ってくる。


「なん?」


「雨の匂いするわ」


嫌そうに言って早智が空を指さした。


確かにさっきより雲が分厚くなっている。


潮風にいやな湿気が混じってきた。


「ひと雨くるなー」


買ったばかりの一眼レフを濡らすわけにはいかないし、当然傘なんて持っていない。


「店に置き傘くらいあるやろー」


「そやな」


ひとまずの目的地を設定した二人の肩にぽつんと雨粒が跳ねた。


「速攻かい」


「げー!走れー!!!」


いうなり駆け出した早智の後を追いかけながら、こうして一緒に雨宿りが出来て、それで満足できる距離感も、しばらくはいいか、と思った。

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