第4話 エーアスト平原にて



 エタフロというゲームは、内的な処理に制約を抱えるオンラインゲームながらにしてオープンワールド制を採用した、珍しいゲームだった。


 街からフィールド、フィールドからフィールドの境目はシームレスに接続され、俗に「見えない壁」とも言われる進入不可エリアの殆どを排したマップを、プレイヤーは己の足、あるいは行く先々で手に入れる移動手段を用いて踏破していく。さまざまな表情を見せるフィールド群を渡り歩く「冒険している感」こそが、エタフロというゲームの大きな醍醐味だった。


 いわゆる「ファストラベル」とも呼ばれるような、遠く離れた地へと瞬時に行き来できるような手段は限られており、街から街への移動には相応の時間がかかる。その代わりに、プレイヤーはルクシアを練り歩く没入感と、この世界の美しい景観を存分に楽しむことができるような、そんな設計になっていた。



 俺自身、プレイを開始した当初は、あまりそういった没入感に関心はなく、むしろファストラベル機能が限られていることに不満を漏らしたりもしていたものだ。

 もっとも、プレイを続けるうちに移動時間を短縮する手段はあれこれと手に入ったし、最終的にはこの仕様もエタフロの世界観にのめり込む一因となったので、今となってはこの仕様も悪く思ってはいなかった。




 なお、そんな感じで凝った仕様のゲームとしてリリースされたおかげで、エタフロはけっこうなマシンパワーを要求するゲームでもあった。


 実は俺も、ある時点でパソコンのスペックが足りなくなり、あわやエタフロ引退の危機に陥ったことがある。

 結局、貯金含めた有り金を全部突っ込んでマシンを新調することで引退は免れたのだが、おかげで給料日までの2週間、三食全てを水ともやしで凌ぎ続ける日々を過ごした……という、きょうび漫画でもやらなさそうな生活をマジで送っていたこともあったのは、今や懐かしい思い出だ。





 そんなことを思い返しながら、召喚の地と街道を繋ぐ小道を進む。

 オープンワールドということで、こういった小さな道一つとっても、マップの一部分としてしっかりと作り込まれていたのをよく覚えている。おかげで、初めて通る道のはずなのに、まるで実家に帰るための道のりを歩いているかのような、そんな不思議な感覚を覚えていた。



 そうして数分ほど歩くと、降り注ぐ日光と共に、世界が一挙に開ける。

 木陰との光量差に目が眩むが、数秒も経てば、俺の視界はすぐに眼前の風景を捉えた。



「――――おおぉ……!!」


 思わず、感嘆の声が口を吐いて出る。

 抜けるような蒼に染まった大空の元、陽光に照らされて色づいた鮮やかな緑が、吹きすさぶ一陣の風を受けて、優しく踊る。遠景に目を向ければ、天を突かんばかりにそびえる切り立った山々が、否応なく自然の雄大さを感じさせた。

 眼前に視線を戻せば、草原を切り裂くように刻まれた獣道の街道が、緩やかにくねりながら遠くへ遠くへと続いている。その先を目で追ってみれば、そこには目的地であろう、城郭都市のそれと思しき白亜の城壁が確認できた。


 まさしく、自然の織りなす大パノラマと形容して差し支えない絶景に、しばし心を奪われる。

 ゲームの中では幾度となく見てきた光景だったが、それがこうして目の前に実物として広がっている。その事実が、俺の感動を何倍にも増幅していた。


「はぁー……良い天気ですねぇ。冒険日和って感じです」

「ん、同感。お日様が気持ちいい」


 固まっている俺をよそに、セレネとサテラも平原へと踏み出して、各々に身体を伸ばす。

 当然と言えば当然だが、二人はこんな絶景にも慣れっこのようだ。やや疎外感を覚えつつも、気を取り直してぱしんと自分の頬を打った。


「さて! 俺の記憶が間違ってないなら、あれがアンファングで間違いなかったよな?」


 指さした先には、先刻も視界に映った、白亜の城郭が鎮座している。かつてモニタの中に映し出されていた光景と位置関係を照らし合わせれば、あれがアンファングで間違いないだろう。


「ん、間違いない。……意外と近いところにあった。少し驚き」

「確かに、思ったより離れてなかったですね。三人でパーティを組み始めた頃にずっと滞在してましたけど、召喚の他の存在なんて全然気がつきませんでした」

「同感。……植生的に、特別な資源もなかったし、さっき話してる間も、魔獣の気配が全くしなかった。たぶん、この森に用事のある依頼がほとんどなくて、冒険者が寄り付くこともなかったから、余計気づかなかった、んだと思う」

「あー……そういえば確かに、この辺に依頼で出向くことってほとんどなかったなぁ」


 サテラに言われて軽く過去を振り返ってみるが、確かに召喚の地近辺を舞台にした依頼クエストはほとんどなかった覚えがある。

 かくいう俺も、プレイ中はプレイヤー同士でSSスクリーンショットを撮るため以外で訪れることはほとんどなかった。何かしらの力が働いているのかもしれないが、ともかくそういう理由で、あまり人目につくこともなかったのだろう。


「まぁなんにせよ、今の目的地はアンファングだ。行こうか、二人とも」


 頷く二人を連れて、俺たちは一路、アンファングの街を目指して歩き始めた。







「――そう言えば、こいつにも慣らしとかないとなぁ」


 エーアスト平原の街道を歩く傍ら、誰に聞かせるでもなくそうつぶやく。視線の先には、右肩付近から顔を覗かせる、剣の柄があった。


「アステル、何か言った?」

「いや、なんでもないよ。ちょっと独り言が口に出ただけだ」


 耳ざとく気づいたサテラの追及を躱しながら、再び俺は考えごとにふける。


 これから先、アステルとして過ごすのであれば、冒険者家業を営むことになるのはほぼ必定ひつじょうと言っていい。それはつまり、魔獣と渡り合うような依頼は、決して避けて通れないということだ。

 そうなると、剣の扱い――もっと言えば、アステルが得意としていた「魔導剣」を扱えるようになる必要があるのだが、あいにく中の人にそんな物騒なものを振り回す心得なんてない。高校時代、体育の授業で竹刀を振ったことはあるが、それももうずいぶんと昔の話だし、そもそもアステルの武器は単なる長剣とはモノが違う。どちらにせよ、どこかのタイミングで習熟は必要になってくるのだ。


「――二人とも、あれ」


 さてどうしたものか、と内心で首をひねっていると、不意にサテラが街道の外れを指さす。

 何事かと視線を向ければ――サテラの指が示す先に、小さな人影が複数蠢いているのが見えた。


「あれは……ゴブリン、ですよね?」


 セレネの言う通り、目を凝らしてみれば、それが人型の魔獣――〈ゴブリン〉と呼ばれる生き物が、3体ほどの群れを成しているのが確認できる。

 浅黒い緑の肌に、へし曲がった鼻。ボロ布と言っても差支えない衣服を身に纏い、その手に武器とも呼べない粗雑な木の棍棒を手にしたその姿は、古今東西様々なファンタジーでその姿を見られるゴブリンのそれだ。

 王道ファンタジーな世界観を採用しているエタフロにおいても、当然ゴブリンは存在している。本来ならば空想の中にしか存在しないはずのそれが、現実に目の前で歩いていることに、俺は密かな感動を覚えていた。


「たぶん、はぐれのゴブリン。群れに帰れなくなったか、群れから追い出されたか」

「どちらにせよ、あのまま放置すると一般人に被害が出かねないと思いますけど……アステルさん、どうします?」


 蒼と翠、二つの双眸が、俺に向けられる。

 ゲームシステム的にも脳内設定的にも、パーティリーダーを務めているのはアステルだった。二人がこちらに指示を仰ぐのも、当然と言えば当然の流れといえた。



(――あいつら相手なら、良い練習になる、か)


 一方の俺は、ゴブリンという都合のいい「練習台」が現れたことに、内心で有り難みを感じていた。

 というのも、エタフロにおけるゴブリンは「ゲームを始めたプレイヤーが最初に倒す敵」として親しまれる存在だったのだ。


 ゲーム開始後、召喚の地に降り立ったプレイヤーは、森の小道から街道に誘われた後、始まりの街アンファングを目指す。

 しかし、街まであと少しと言った段階で、突如悲鳴がその場に響く。プレイヤーキャラがそちらに目をやれば、そこに居たのはゴブリンと、ゴブリンに襲われている商人の男性。

 後のストーリーまで長い付き合いになる商人を助けるべく、プレイヤーはゴブリンを相手に初めての戦闘を経験する……というのが、エタフロ序盤のチュートリアルの流れだった。



 そんな、初心者に戦闘を教えるための存在と言っても過言ではない魔獣が、目の前にいる。

 これはつまり、「こいつらで試し切りしていいよ!」という天からのおぼしに違いないだろう。

 

「――二人とも。悪いけど、あいつらの相手は俺に任せてもらっていいか?」

「え? はい、私たちは大丈夫ですけど……何か、気になることでもありましたか?」

「ちょっとな。目を覚ましてからどうも、動きの勘が鈍ってるような感じがするんだ。だから、あいつらで戦いかたを思い出そうと思ってさ」

「そうなんですか? じゃあ、お任せします」

「なら、わたしも待機。アステル、頑張って」

「悪いな。んじゃ、ちょっと行ってくるよ」


 やや苦しい言い訳かと思ったが、二人は存外すんなりと信じてくれる。

 これもアステルと長年旅を共にしてきたが故の信頼関係なのだろうか……なんてことを考えつつ、俺は二人に手を振り返し、ゴブリンの集団めがけ、一直線に走り始めた。

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