第2話 初めての再会



「……ほん、もの……?」


 驚きと感動でこぼれ落ちた言葉に気付いて、少女たちの片割れ――金髪翠眼の少女、ことセレネが、不思議そうに小首をかしげる。


「はい、本物のセレネですよ? ……あ、もしかしてアステルさんも寝ぼけてます?」


 眉尻を下げ、どこか微笑ましそうに笑うセレネに続いて、その隣に座り込むもう一人の少女――白髪蒼眼の少女、ことサテラが、小さく首肯した。


「わたしも、本物。……心配しなくても、〈マリーリア幻域げんいき〉の擬態魔獣ぎたいまじゅうじゃない。二人ををぼこぼこにしたりはしないから、安心して」


 サテラの口から出た、懐かしいキーワードを反芻した俺は――驚きに目を見開くこととなった。



 マリーリア幻域に、そこで出て来る擬態魔獣。それはどちらも「ゲームの中で登場するキーワード」だ。

 ゲーム内に登場するインスタンスダンジョンの一つである〈マリーリア幻域〉は、最深部に「こちらのパーティメンバーをそっくりそのまま模倣した敵がボスとして登場する」というギミックがあった。サテラの発言は、攻略に乗り出した当時、かなりの大苦戦を強いられた時のそれで間違いないだろう。


 ……いや、そんな過去の思い出は今はどうでもいい。

 重要なのは、「俺しか知らないはずの情報が、サテラの口から出てきた」という事実の方なのだ。


 マリーリア幻域で擬態魔獣が出現するという情報。そこで俺たちがボコボコにされた経験。それらは全て、「画面の向こうでゲームをプレイしていたプレイヤーおれの記憶」だ。

 そして眼前の彼女たちは、本来ならば「画面の中でプログラムに沿って動くだけの存在」にすぎない。ゲーム内システムによって作り出されたNPCである彼女たちが、俺の経験を共有できるはずがないのだ。



「あー、懐かしいですねマリーリア。たしか、こっちが装備を外せば相手も装備を脱いでくるんでしたっけ?」

「そう。まぁ、攻略の時に知ってたとしても、やりたくはなかったけども」

「ですねぇ。人目が無いとはいえ、流石に下着で攻略、っていうのは……ですよね。本当に実行してたら、危うく黒歴史になるところでした」


 にもかかわらず、サテラはおろか、彼女の発言に反応したセレネも、さも当然と言わんばかりに当時のことを語り始める。

 その口ぶりは、どう聞いても「思い出話に花を咲かせる人」のそれであり、とてもじゃないが、NPCとは思えなかった。


「……そういえば、ここはどこですか? 見た感じ、どこかの森……ですよね?」


 呆気に取られていると、ふとセレネが周囲を見渡し、小さく首をかしげる。それにつられて周囲を見回したサテラも、同じように頭上に疑問符を浮かべていた。


「足場の構造からみて、古い遺跡。……でも、こんな場所、わたしは見たことが無い」


 再び、驚きに見舞われる。

 俺の記憶が正しいならば、エタフロが終わりを迎えるその瞬間、俺を含めた三人は確かにこの召喚の地に居たはずだ。にも拘らず、召喚の地が分からないとはどういうことなのだろうか?


「アステルさん、ここがどこか分かります?」


 と、面食らっている俺に向けて、セレネがそう問いかけて来る。

 振り向く挙動も、問いかけて来るそのしぐさも、全てがごく自然なものだ。「空想の中の存在に話しかけられる」という現実味のない光景にやや困惑しながらも、俺は小さく首肯を返した。


「し、知ってるぞ。というか、覚えてないのか?」

「覚えて……?」


 首をかしげたセレネが、こめかみに人差し指を当て、うんうんと唸り始める。

 が、十数秒も立たないうちにかくりと肩を落とし、まいったような表情を見せた。


「ごめんなさい、覚えてないです。なんだか、気を失う前の記憶があいまいで」

「曖昧……ってことは、サテラもか?」


 サテラの方を振り返れば、既に彼女も記憶の反芻に入っていたらしい。

 顎に手を添え、思案の表情を浮かべていたサテラだったが、数秒するとセレネと同じような表情を浮かべ、首を横に振った。


「ん、わたしも。気を失う前、何処で何をしていたのか、わからない。……さっきの口ぶり、アステルは、なにか覚えてる?」

「え、っとだな……なんて説明すればいいか……」


 ……参った。何をどこまで、どう説明すればいいのかがさっぱり分からない。

 少し考えた後、まずはこの場所に関するあれこれを、脳内妄想に則って説明するのが適当だろうか? と結論づける。幸いにして、脳内設定やら世界観の説明力なら、多少の自信はある方だ。

 方針を決めた俺は、口頭説明のために、小さく咳ばらいを挟んだ。


「とりあえず、この場所についてからか。ここは〈召喚の地〉っていう場所で、俺がこのエタ……じゃなくて、ルクシアに召喚された時に、初めてやってきた場所なんだ……ってのは、いつだかに説明してたんだっけ?」

「あっ、その名前、前に聴いた覚えがあります。確か、異世界人エトランジェがルクシアにやってくるための門みたいな場所、でしたっけ?」

「そうそう。で、俺たち……正確に言えば俺は、元の世界に帰るために、はるばるここを目指してたってわけだ」


 そう説明した瞬間、凄まじい瞬発力で二人がこちらへ飛びかかって――否、身を寄せて来る。


「なっ、なんで!? どうして帰っちゃうんですか?!」

「帰る? どうして?! そんなのダメ!!」

「うぉっ、ちょま、落ち着いて!」


 戦い慣れした二人の瞬発力は伊達ではなく、疾風の如き勢いでこちらに詰め寄ってきた二人を、ひとまず制する。


「正確には、帰ろうとした、だ。現に、俺は今ここにいるだろう?」

「ん、言われてみれば……。じゃあ、帰ろうとしたときに、何かがあった?」

「あぁ。っていっても、元々帰るつもりはなかったんだけどな。いろいろ事情があって帰らなきゃいけなかった……はずだったんだけども、そこへさらに別の事情が重なって、俺はこっちにとどまる――もっと言うなら、こっちに永住することになったんだ」

「永住、ですか? それは一体……」


 そのまま、俺はことの経緯を、やや改変しながら話して聞かせる。



 元々、エトランジェとは不安定なこの世界を守るため、創世の神によって遣わされた守護者だった。

 世界を守護する使命を帯びたエトランジェたちは、創世神によって守護者としての力を授かるのだが、彼らの手で均衡を正された後の世界においては、その力は「新たな不確定要素」となりかねない。なので、役目を終えたエトランジェは、守護者としての力を放棄し、この世界を離れることで、守護者の任を完遂するのだ。

 そして、再び世界が揺らぎ、存続の危機に陥ったならば、この世界を調律するために、新たなエトランジェがルクシアに降り立つ。これが、この世界の人々も知らない、エトランジェという存在の真相だ。


 そんなエトランジェの例に倣って、俺もまた、平穏を取り戻したこの世界から去らねばならない時がやって来ていた。

 世界と世界を繋ぐ門は、エトランジェの降り立つ地である召喚の地にある。故に俺は、はるばる召喚の地を目指していたのだ。



 しかし、いざ召喚の地にやってきたその時、この世界を造り出した神である〈創世神アイオニオン〉より神託が下った。

「このルクシアと異世界の繋がりが絶たれてしまい、新たなエトランジェを呼び寄せることができなくなってしまった。この世界の守護者たるエトランジェという存在が完全に途絶えてしまうのを防ぐため、この世界に残留してほしい」。創世神からそう説明された俺は、愛した世界を守るために、創世神の願いを了承する。

 創世神から礼を告げられた後、俺自身も気を失い――こうして、この召喚の地で二人と出会うさいかいに至ったのだ。




「そんな、ことが……」


 一通りの経緯を話し終えると、驚いた表情でセレネがそう呟く。彼女の隣に座るサテラも、表情は薄いながらも似たようなリアクションをしていた。


 ――ちなみに、二人に話した内容に関しては、一部得意の妄想で脚色しているが、公式から発売された世界観設定資料のものと、エタフロ終了の直前に中の人が体験した不思議体験のそれを踏襲している。

 中の人絡みの真実をそのまま話しても良かったのだが、そうすると無駄な情報も多分に含まれることになるため、二人が余計に混乱してしまうことは想像に難くない。なのでまずは、二人の理解が及ぶであろう範疇にとどめて説明したのだ。


「ぶっちゃけ、何処までが本当の話なのかはもう知るよしもないけどな。一つ言えるのは、今俺は確かに、こうしてルクシアに存在している、ってことだ」


 持ち上げた手を軽く握り込みながら、俺は感慨にふける。

 俺の頭の中で思い描いた設定の上ではたしかに、アステルとは=俺自身であるという設定だった。が、「画面の中」と「画面の向こう」という埋めようのない距離感もあって、心のどこかでは別人であるかのような、そんな感覚を覚えていたのだ。


 しかして今この瞬間、俺は確かにアステルとしてこの場に立っている。その事実が、俺=アステルという事実を――ひいては「アステルとしてエタフロで過ごした日々」が、紛れもない俺の経験であると肯定されているような、そんな気がしていた。

 

「でも、良かったんですか?」


 なんてことを考えていると、セレネがそう問いかけて来る。


「というと?」

「アステルさんが話してくれた内容がそのままの意味なら、アステルさんはもう、元居た世界には戻れないってことなんですよね? 元あった生活を捨ててまで、このルクシアに留まるなんて……」


 セレネの言葉は、至極もっともな意見だ。

 確かに、常人ならば別の世界を救うために生活を捨てる、なんて発想は出てこないだろう。俺だって、エタフロへの執着じみた思い入れが無ければ、きっと首を横に振っていたはずだ。


「そりゃ、未練が無いわけじゃないさ。……でも、俺にとってこの世界は、人生の半分を共にした世界なんだ。そんな世界とお別れするだけならともかく、自分たちがいないせいで滅びるかも、なんて言われたら、黙ってなんかいられない」


 だが裏を返せば、俺にとってのエタフロルクシアという世界は、そうまでする価値のある世界だったと言える。

 学生時代から社会人になるまでの長きに渡って続けてきたエタフロでの経験は、俺の半生そのものと言っても差し支えない。長く深く親しんだ愛すべき世界と、何処まで行っても味気ない現実。どちらを取るかなど、自明の理だ。


「それに――それ以上に、俺は二人が……セレネとサテラが好きだから。二人とまた一緒にいられて、ついでにルクシアも守れるっていうなら、俺にとってそれ以上に嬉しいことはないんだよ」


 付け加えるように、本音をぽろりと漏らす。

 気恥ずかしさに逸らした目線をちらりと戻してみれば、我が最愛の少女たちは、表情の激しさに程度こそあれど、驚きと喜びの入り混じったような、そんな顔を浮かべていた。


「アステルさん……!」

「……珍しくストレート。そんなセリフ、いつも口には出さなかったのに。――でも、嬉しい」


 そう言って、二人してニコニコ――サテラに関しては感情表現が抑え目であるため、やや目尻を下げて微笑む程度だが――してくるのがなんだかいたたまれなくなって、わしわしと頭を掻く。


「と、とにかく、だ。そう言うわけで、俺としては、また二人と一緒に旅がしたいと思ってる。もちろん、二人さえよければだけど……どうだ?」

「もちろんです。むしろ、私たちからお願いしたいくらいですよ」

「右に同じ。異論なんてあるわけない」


 やや控えめな問いかけに、二人は一も二もなく頷いてくれる。

 ……二人の人柄せっていや、これまで積み重ねてきた過去の経験もうそうを鑑みれば、彼女たちが申し出を断る可能性は限りなく低い。にも拘らず、どうにも煮え切らない質問になってしまったのは、内心で「断られたらどうしよう」という不安がくすぶっていたからだ。

 しかし実際は、セレネもサテラも、笑って頷いてくれた。その事実が、俺に多大なる安堵を与えてくれた。


「……ありがとう、二人とも」

「お礼なんていらない。というかむしろ、経緯を考えればわたしたちがお礼を言う立場、だと思う」

「そうですね。――アステルさん。私たちとこの世界のことを選んでくれて、ありがとうございます」


 それどころか、俺に対して、感謝の意さえ評してくれる。

 俺の妄想の中の存在だった頃には――アステルと二人がずっと一緒にいることが当たり前な世界の住人だった頃だったなら、絶対に考えつかなかったであろう行動。それが、今目の前に立つセレネとサテラが、架空の存在ではない、一人の人間である事を、強く実感させてくれた。


「――うん。じゃあ、これからまたよろしくってことで」


 まぜっかえして、拳を突き出す。

「円陣を組んで、三人同時に突き出した拳をぶつけ合わせる」。団結を確認するときによくやる、という設定だったそれを実行すれば、二人は迷うことなく、各々の拳をこつんとぶつけ合わせてくれた。


「またよろしくお願いしますね、アステルさん」

「よろしく、アステル」


 こちらを見やる、翠と蒼の瞳を見つめ返しながら、俺もまた、しっかりと頷いて見せた。

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