第4話 ある技師の窮地

 涙が止まらなかった。

 哀悼の涙か恐怖の涙か、ダグラスには最早わからない。涙を拭う事も、背後から聞こえて来る銃声に振り返る事も出来ず、ただ懸命に廊下を走った。だがこの涙がせめて哀悼の涙であって欲しいと、心から願った。


 ピトス本社に保管されているロボット兵とアンドロイドの資料の奪取、その計画自体が危険を伴う事はよくわかっていた。

 ピトス社の技師は殆どがアンドロイドによって殺害されており、開発の中枢に居た技師は囚われの身となって久しい。

 アンドロイドによって占拠された王宮に比べるとピトス社の警備は手薄だ。潜入するにあたって、魔導物理学の知識と技術のある技師の同行は不可欠だとも思われた。

 軍に移籍する前ピトス社に在籍していたダグラスは、そう難しい任務でも無いのではないかと、どこか楽観視していたのも事実だ。本社内の地理やセキュリティは熟知している。何より、兵士やセキュリティフォースもいるのだから、と。


 しかしアンドロイド達の襲撃でピトス社内部の損傷は激しく、更にはセキュリティシステムも幾つかは書き換えられてしまっていた。

 その可能性も十分に考慮しろとはベリンダから言われていた。言われていたのに、元々の楽天的な性格がこんなところで災いしてしまうとは。

 資料が手に入ったまではよかったが、直後、アンドロイドに気付かれてしまった。警護してくれていた兵士達はロボット兵に命を奪われ、最後に残っていたセキュリティフォースの兵士もまた、盾となってダグラスを逃がした。

 名も知らない彼がどうなったのか、先ほどまでの激しい銃声が消え、彼からの通信も途絶えた今、考えるまでもない。


 エレベーターは使えず、非常階段を下りるしかない。日頃の運動不足をこれほどまでに呪った事も無かった。心臓は早鐘を打つが如く忙しなく脈動し、肺が潰れそうに息が苦しい。まるで本能のように動いていた足も、感覚が無くなってきているのがわかる。

 何時、追手に追い付かれてしまうのか、何時、階ごとにあるドアから新たなロボット兵が飛び出してくるのか。こんな事を考えている間にも、追ってくるロボット兵の銃口が真下の自分に向けられているかもしれない。


 思考が途切れるのと同時に、とうとうもつれた足が崩れ、ダグラスは倒れてしまった。踊り場までさほど残りの段が無かったこともあって怪我こそ無いが、もう足が動かない。

 なんとか息を整えて立ち上がろうとする、その静寂の中、上部から聞こえて来るロボット兵の無機質な駆動音が徐々に大きくなってきている事だけがわかる。なのに足はがくがくと震え、立ち上がる事も出来ない。


 駆動音は更に大きくなっていく。せめて銃の射線から逃れようと、ダグラスは体を引きずって死角を探す。すると下の、次の階へ続く扉の向こうから物音が聞こえた。

 ロボットの増援が来る!

 何とか次の階より下へと、ダグラスは震える腿を叩きながら立ち上がった。



「シモンさんこっち!人の生命反応があります!」



 子どものような声がした。それにシモンという名前。確かベリンダから聞いていた、異次元から召喚してしまった人の名前だ。

「伏せろ!」

 扉の開く音と同時に男の声が聞こえた。ダグラスが慌てて身を伏せた次の瞬間、発砲音が二三度響き、暫くして上方で大きな音が聞こえた。

「大丈夫ですか?怪我はないですね」

 子どものような声が近づき、目の前にナビロボと思しき機体が現れた。以前ベリンダが描いていた設計図にあった機体だ。

「あらかたロボット兵は始末したが、早く出た方がいい」

 銀髪の男、シモンはダグラスを立ち上がらせ、背負った。シモンはアダムと似た上背に、立派な体躯をして見える。しかしかなり重みのある自分の体をこうも簡単に持ち上げるとは。驚く間もなく、シモンはそのまま階段を駆け下りていく。


「君は、隊の編成時には」

「いない。ついさっきベリンダから緊急で呼び出されて来たばかりだ」

「ベリンダさんが……」

「新兵だからと俺は編成に加われなかったが、やっぱり心配だからと。社の内規には違反していない。今はセキュリティフォースも軍の指揮下にある、あんたも知って――」


 落ち着いた低い声を聞きながら、安堵感からかダグラスの意識は暗転していった。

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