ショコラティエ・クエスト ~女神様がガトーショコラを食べたいからって異世界に召喚されてしまいました(涙)~
笹 慎
第一章 菓子職人(仮)
2019年2月13日:バレンタインデー前日
二〇一九年二月十三日。バレンタインデー前日、十九時半頃。
愛用しているお菓子のレシピ本を開く。ずっと使っているから、ページの所々に卵の飛んだ跡や小麦粉などがついていて汚いけど、この本で作るお菓子は本当にどれも美味しかった。
いま、僕は同じクラスの田所さんに贈るガトーショコラを作ろうとしている。材料は二駅隣にある大きなデパートの製菓材料専門店まで行って買ってきた。製菓用チョコレートは、クーベルチュールチョコという本格的なものを少し奮発して購入。
ガトーショコラは、何度も作っているお菓子だけれど、手順の確認は忘れない。
まずは、製菓用チョコレートを溶かす湯せんの準備。僕は、やかんを火にかける。その間に、材料を計量。卵は、卵白と卵黄に分けて、卵白は冷凍庫へ。
製菓用チョコレートのクーベルチュールは、小さなタブレットサイズだったので刻む必要はなさそう。バターは、チョコレートと一緒に溶かすために、一センチ角に刻んでから、チョコと同じボウルに入れた。
ところで、どうして僕が田所さんにガトーショコラを作る羽目になったかというと、先週の家庭科の授業がキッカケだ。
「来週の調理実習は、ちょうどバレンタインデーの日だから、次回はチョコレートのお菓子を作りましょう」
家庭科の先生がそう言うと、みんな歓喜の声を上げた。ただ一人、田所さんを除いては。
田所さんは、文武両道・才色兼備のスーパー女子だ。髪の毛なんてどうしたら、あんなにサラサラになるのか摩訶不思議だし、抜き打ちテストでもいつも満点だし、五十メートル走のタイムは僕より速い。何よりいつも良い香りがする。
でも、壊滅的に『料理』ができなかった。
それは高校一年生の二学期になって、家庭科の調理実習が月一で始まり、彼女と同じ班になって初めて知った事実だった。
まず、包丁の持ち方が怖い。何度教えてもぎこちなくて、怪我をしないか見ているこちらがハラハラした。そのため、混ぜる係に任命したところ、割った卵には大量の殻が混入し、タレを作らせれば何度混ぜてもデカいダマができる。
計量をさせれば、計量スプーンから盛大にこぼすし、秤どころか調理台の隅々まで粉まみれにした。
何よりもレシピ通り作ったはずなのに、なぜか不味い。わりと本当に不味い。ある意味すごい才能だ。これにより、初回の調理実習で酷い目にあった班員達は、「次回は、田所さんには何もさせない」という固い誓いを交わした。
でも、「何もさせてもらえない」ってかなり傷つくし、田所さん自体はとても良い子だし、授業中ずっと所在なさげに立っていて可哀想だった。それで、洗い物を彼女に頼んでみたところ、これは完璧にこなしてくれた。
その後、実食時に僕が作った豚の生姜焼きを食べた彼女は感激し、それからは僕のことを「師匠」と呼ぶようになったのだ。
このように料理が下手な田所さんはチョコレートのお菓子作りに、今まで以上の難色を示す。
「昔、お父さんに手作りのチョコクッキーあげたら、すごいお腹壊しちゃって、お菓子作りは本当にトラウマ……」
微笑ましいエピソードだが、彼女の料理スキルを知っている僕としては苦笑いしかできない。
「師匠! なんでバレンタインデーって、女子から男子にチョコあげるんだろう。男子から女子にあげたっていいはず! 師匠ってお菓子作りが一番得意なんでしょ? 食べてみたい!」
キラキラの瞳でそう言われて、その時なんだかやたら距離も近くて、とても良い匂いもするし、僕はクラクラした頭で頷くしかなかった。
そんなこんなで、料理と菓子作りが多少得意なこと以外は凡庸である僕は、文武両道・才色兼備のスーパー女子である田所さんの期待に応えるべく、ガトーショコラを作ろうとエプロンをつけた。このエプロンは、一学期の家庭科の裁縫実習で作ったものだが、気に入っている。
テキパキとなるべく洗い物が少なく、手際よく進められるように考えながら準備をしていると、家の近くの道路からすごい音が響いた。
「なんだろう。もしかして交通事故かな?」
僕は、外の様子を知ろうと、泡立て器とボウルを持ったまま、庭につながる縁側の窓を開け、庭のサンダルを履く。
そして、僕の視界は、眩いほどの白い光に覆われた……。
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