深窓令嬢
翡翠
深窓令嬢
私はこの窓から見える世界しか知らない。生まれてからずっとここにいるからだ。でも不自由はしていない。多少退屈に思うことはあるけれど、別に不満はない。
外の世界とやらには、何やら危険が多いらしい。たまに窓の前を通る知り合いたちに話を聞くと、誰々がどこで怪我をしたとか、誰と誰が喧嘩したらしいとか、そんな荒っぽい話が必ず一つは入るのだ。
「ねぇローズ、本当に君はこのままで良いの?」
真剣な顔でこう問いかけてくるのは、顔なじみのサン。幼い頃からよくここを通っては、私に外の世界の話をしてくれる。
「何度も言ったでしょう? 私は別に外に出たいだなんて思ってないわ」
彼が優しい性格であることに異論はない。けれど、その優しさが直線上にしかないことと、少々押し付けがましいことはいただけない。こういうのを『珠に傷』って言うんだろう。
「でも……でも君は」
「でも、じゃないわ」
ほら始まった。私は貴方じゃないのよと、何度言えば分かるのだろう。
「私が自分の意思で「このままで良い」と言っているのが、どうして分からないの? 貴方が私のためを思ってくれるのは嬉しいわ。でも、私は外には出ない。いくら広い空が見られたって、フカフカの土を踏めたって、痛いのは嫌いだもの」
すっかり落ち込んだサンは、しばらく俯いたまま動かない。言いすぎたかしらと少しだけ後悔したけれど、今更撤回する気にはなれない。
「……昨日、久々に親父に会ったんだ」
サンの父親といえば、特定の住処を持たずにあちこちを歩き回っていることで知られる。直接会ったことはないけれど、サンからは随分おおらかで豪快な性格だと聞いている。
「親父がね、知らないで選ぶのと、知ってから選ぶのじゃ全然違うって」
そんなこと知っている。どんなに知識だけ持っていても意味がない、自分の体験に勝るものはないなんてこと、賢い私は十分に分かっている。
「だから……だからオレ、やっぱりローズには外に出てみて欲しいんだよ!」
だから私はサンが少し苦手だ。貴方に、何が分かると言うの?
「私は母さんのようになりたくないのよ」
「え?」
『ローズちゃん! どこにいるの? お食事の時間よ!』
パタパタと忙しない足音と共に、あの人がやってくる。私は逃げるようにして窓に背を向けた。
「ねぇローズ、今なんて言ったの?」
「なんでもないわ。それじゃ」
「えっあ、」
『ローズちゃ~ん?』
「ミャアオ!」
返事をして窓から離れる。途端にサンの声はくぐもって、やがて聞こえなくなる。たとえ空が狭くたって、誰にも噛まれることのないこの場所に居たいのだ。誰がなんと言おうと、私はこれからもこの家の中で生きるのだ。
深窓令嬢 翡翠 @Hisui__
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