第8話 馬車の音、冒険の訪れ


 燃絵流は目が覚めると、地面に頬を付けていた。

 地面に頬ずりしている絵づらである。陽射しのせいで暖かく、不快感もないけれど……しかし、眠っていたのか。

 こんなところで……?

 

 ずりずり、上半身を持ち上げ、高い空と太陽を見上げる。

 野宿にしても、随分雑なことをしている……しているぞ、昨夜の自分。

 なお昨夜の記憶はない。

 ほとんどない。

 はるか遠くまで、野が続く下り坂。


 森の方からキキキ―――と、鳥の鳴き声がはっきり聞こえる。

 少し妙な感じではあるが何の鳥だろう。

 その奥には、小さいが水の音もする。

 川が近いのだろう。

 


 見上げれば、あらためて見上げれば。天まで抜けるような青い空であり、天井などどこにもない。

 部屋ですらない。

 じゃあ居酒屋の天井は?

 暖色の照明が消え去った。

 彼が仰向けに寝っ転がっているのは知らない場所、ではなく知らない道、もっと言えば―――いや、説明しようにも、周囲に目印のようなものは一切なく、ただの田舎の山道であった。

 建造物が見えない………木しかない。


「………」


 乾いた土の道路、ゆるい坂、緑。

 ここは初めて訪れた場所だ―――と。

 茂みがそよかぜを受けて言いはやすようだ。

 

「どこだオイ、……おっさん!」


 言いながら、誰かが答えてくれるわけじゃない。

 また場所が変わったということか。

 人も変わった。

 いなくなった―——おっさんがいない。

 俺を襲っておきながら、虫が良すぎねえか、いくら何でも。


 ていうか人っ子一人いない。

 本当に郊外の田舎町といった風景だ。

 場所変更——しかしこの急な感じは何だ。

 魔法でも使われたような心持ちだ。

 能力を発現するようになって久しい燃絵流じぶんが言うのもなんだが、不自然な感覚が強い。

 法則を無視しているというかカットされたというか……。



 燃絵流は人間の手に余る力を持つ者であることも忘れ、ただ子供時代に還った時のような、純粋な童心に包まれる。

 木と畑と、茂み。

 水色の遠景には頂上が雪の覆われた山が存在している。

 田舎道、だが。

 

 自分の記憶に、こんな道はない。覚えがない。

 植物を見ただけでも、違和感がある。

 知っている種類の草木ではない。

 モエルが、見回して、知らない葉の形ばかりであることを確かめた。


祖父じいちゃん………の辺り」


 記憶を辿っていって、かろうじて似た風景を見つける。

 一番近い風景である場所を口に出して、そしてそれを起点に考えをめぐらそうと思ったが、それでも無理がある。

 郊外にある家だとか、そのレベルの騒ぎじゃない。




 現場の(?)状況をしっかりと把握するために燃絵流は立ち上がった。

 何とかしてここがどこなのかを、それがわからなくてもどちらに向かうべきなのかを考えようとしていた。

 やはり覚えがない。

 道路は土色で、乱雑に石が混じり、ほとんど自然と変わらない。

 舗装も無しに、雑草が生え放題なあぜ

 畔道とは、田んぼと田んぼの間を指す言葉だが、そもそもここにあるのは水田なのか?

 稲穂とは違うように思う。

 緑色の葉は生い茂っているが、そこから伸びるのは黄金色の毛のようなもので、稲のようなものは、まるで見えなかった。


 

 あの公園のことや、居酒屋の喧騒は、かけらも見えない。

 もっとも、能力を持った時点でいろいろとトラブルを起こしてしまっていた燃絵流だった。



 この時点では、あの、何か企んだふうな能力持ちのおっさんに、出された酒を飲み、記憶が飛んでしまった可能性はあった。

 つまりは二日酔いである。

 燃絵流としてはありえなくもなかった。

 自棄やけになること自体は。

 だが、それにしたって―――自分の住所付近で目を覚ますとか、もっと何かあるのだろうが。

 

 別の世界でもやっていけると思うよ―――。

 男は言っていた。

 アレを真に受けるならば、どうする。

 あのホームレスはむしろ神の端くれというか神の御使いというか……そのポジションに身を置く者なのかもしれない。


 自分のような、いち能力者が言うのもなんだが……ただ者ではない。

 正義か悪かは全くといっていいほどわからないが。

 まいったな、この先どうすればいいかわからないほどの状況の、変化。

 それが起きている。


 

 畑の、黄金の毛深い稲穂をなんとなく眺めたのち、絵遠くの方も眺めてみる。

 そこには黄金のものもあるが、黄緑色や薄いオレンジなどがきっちりとストライプ模様になっていて、気が付けば、その景色に見入ってしまっていた。

 燃絵流の後ろから振動が来るまでは……。


「ん……?」


 振動といっても、妙にリズミカルな感じだと思った。

 坂の向こうから飛び出してきたのは、馬と、小屋だった。


「ああッ!どいてくれえ!」


 女の声がして、燃絵流は飛びのいた。

 迫りくる気配。


「———おっと、背中ァ!」


 ギリギリで背中の近くを馬が駆けていく。

 怪我はせずに済んだが、転がる燃絵流。

 ガラガラと、滑車がついた何かが通る。


 馬と小屋?

 そう見えたがあれは、そう―――馬車だ。

 馬に荷車がついているんだ、よく見れば。

 始めて見たからわからなかった燃絵流だったが、

 馬に乗っている人―――。

 そして馬車の後ろで背後を注視している様子の女が見えた。

 膝を曲げて、警戒しているような様子ふうだったが―――。



 

 馬車というものを生まれて初めて見た燃絵流。

 速い……走っている状態のは、初めてだ。

 う、動けなかった……シンプルにその勢いでビビったのだろうか。

 野生の馬。

 それよりも―――すごく爽快な嬉しさと、戸惑い。

 舗装されたアスファルトがない。

 

 燃絵流はまた、地響きを聞いた。

 地を削る音が、複数に重なって続いていく。

 馬に乗った男が次々と駆けていく。

 さっきの馬車で土煙が上がっていたが、大きく巻き上がる。

 馬のせいで大層な勢いに見えたが、片手で数えられるくらいの人数に見えた。


「おい! そこォ!」


退け! ゴミ野郎!」


 ぶつかられはしなかったものの、怒鳴られる。

 紙一重のあおり運転だ。

 馬で駆けたまま、男が叫ぶ。

 他の数人は視線で睨みつけてきた。

 

「ぐっ……治安最悪だぜ……」


 燃絵流は吐き捨てながら、その馬と同じ方向に走り出す。

 止まっていることは危ないと、今のこの流れで、直感した。

 交通量は多いようだと推測する。

 次の瞬間にも、また次が来る可能性もある。

 と、いうよりもまず……。



 ゴミ野郎だと!?

 こっちの事情も知らないで。

 燃絵流は言った輩に向かって走り出す。

 ついカッとなった若者———というのもあるが、もう御免だ。

 振り回されるのは、御免こうむる。

 行動しなければ。

 熱子といい、あのおっさんといい、もう振り回されるのは勘弁だ!


 あの連中は何やら言い合いながら、馬車を追いかけているようだった。


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