第6話 試験 2


GOOOOOOゴォオオオオオオ———!』


 公園の主と化した、巨大な木人が叫ぶ。

 低い声だった。

 洞穴の奥から、低く遠吠えが聞こえるかのような、怪物の叫び。

 どうやら口がけるらしい。

 まあ話が通じるかは知らねえがな!

 燃絵流はいま一度、怪物に向きなおる。


「なめんなよ、っテメエ!」


 手を振り上げると、それに連動し、公園の中を炎が渦巻く。

 風呂場でお湯を腕でかき回すイメージである。

 慣れたものであった。

 旋回するごとに、炎は激しさを増し、強くなる。

 燃絵流の周りを湧き上がるマグマのような炎が、怪物の、視界から攻撃目標を消失させる。


 異形の怪物の視界を、霞ませた。

 霞ませて、眩ませた。

 火山から吹き出す噴煙のように。

 怪物は飴玉のようにくすんだ瞳を歪め、狼狽うろたえる。

 男から放たれるすべてが炎、真っ赤ではあったものの―――あれの意味は。


「……煙幕、ってことかな……?」


 火属性能力者の、煙幕。

 酒はあらかた溢してしまったものの、事態を見守るスタンスは続けている男。

 燃絵流の能力を見定めている。



 燃絵流は呻いていた。

 なかなか物事は思い通りにはいかない。

 怪物が我武者羅ガムシャラな具合に腕を振ると、燃絵流の周囲の炎は霧晴れた。

 もはやロックオンされたかと思われたが、怪物には変化が起こる。

 腕が燃え上っている。


GYOOOOOギョオオオオオオ———!」


 またしても野太い声だ。

 自身の腕が引火したことで、怪物の動きに動揺が見られた。

 燃絵流から、視線が切れる―――!

 混乱しているのは燃絵流だけではない、混戦で乱戦。

 だがしかし。


「そうやって回避しているだけじゃあ何にもなんないぞ―――ッ!」


 今日一番の大声で叫んだライクアホームレス。

 キャップ帽が落ちたのはいつだろう、飛び退った時か。

 

 声が大きくなったというよりも、公園内の振動が連続しているため、そうしないと何も聞こえない状態なのだ。

 そんな状況。

 地震の中で必死、叫んでいる感覚だった。


 怪物からの攻撃を避けている燃絵流。

 それは燃絵流が通っていた思い出の体育館を思わせる高さ。


 形状は大型の木々、万年杉というのか―――それに似ていなくもないが、ばっさばっさと葉を揺らしつつも歩んでいる。

 

 

 こいつがどこから現れたのかもわからないし。

 何より、こんな気分が落ち込んだ日に限ってこんな意味不明なトラブルに巻き込まれる意味が解らない。

 俺の容量を超える。

 燃絵流は不機嫌だった。


「今日の俺の火力は一味違うぜ、バケモノ―――」


 逃げつつも、打ち下ろされる腕というか、枝を躱しつつも。

 両腕の炎が膨らみを増している。

 彼は回避のみに終始しはしなかった。


「どこの馬の骨のモンスターだか知らねーが!貴様のような存在には、人の『心の痛み』は分からないだろうよォ」


 それは、敵を煽るための、挑発ではなかった。

 自身に発破をかけるための強がりでもない。


「ましてや、俺がフラれた時の気持ちなんか!わかるはずがねえよ!」


 心の底からの、叫びだった。

 火曜日燃絵流は、確かに怪物に対して恐怖を持っていた。

 だが、その恐怖よりも、女が出ていったショックの方が上回った。


「喰らえ!バケモノ!『超火炎祭り』スーパーチューズデー!」


 旋回に旋回を重ねた炎が、目標をバケモノに定め、飛来する。

『超火炎祭り』スーパーチューズデー

 それは火曜日燃絵流の、最大級の必殺技である超級の、大型火球である。



 的があまりにも置き過ぎる怪物だった。

 その胴体に、巨大火球が命中。

 小型の隕石ほどもある(と、俺は思っている)壮絶な威力。

 細部の葉まで一斉に炎上し、悶える。

 夜が明るくなった。


BO OOOOOボォオオオオオオ———!」


 炎上、爆炎、爆風。

 運動公園内に衝撃が炸裂して、怪物は野太い悲鳴を上げる。

 民家が台風染みた波動に、ガラスを震わせている。


 ワンカップ酒を失った小汚い男は、目を細めて、しかしうれしそうである。

 試した価値はあった。


「―――ふむ」


 手を打ち合わせはしなかったが、それでも満足気であった。


「ぜっ、ぜぇ、ぜぇ………!ざっはっぁ!  はっはあ!」


 燃絵流は息を切らした。

 能力に目覚めた全盛期よりも、体力が落ちている。


 彼女に、女にうつつを抜かし、その女に尽くし、炎魔法の修行をおろそかにした時期は、確かにあった。

 修行をおろそかにした。

 ……まあ修行しろといってくる師匠など、燃絵流の脳内にしか存在しなかったが。

 支障しかなかった。

 彼の人生には。

 

 自分の火属性能力は最高ではない。

 そして彼は、それで構わないと、思った。

 そんな自分で構わないと思ってしまった。


「ざ、ざまあみろが―――ざまあみろが、熱子アツコ!」


 彼は燃え盛り、怪物がよろめく前で、共に過ごした女の名を叫ぶ。

 バケモノの名ではない。

 燃えるように、炎のように惚れていた女の名を。

 喉から、咆哮さけぶ


熱子アツコォ―――ッ!どうだあ!俺の、この俺のどこがガスコンロより弱いんだよ!戻ってこいよアツコぉおおおおおおお!俺より熱いやつがいるのかよぉおおお!」


 号泣する。

 号泣した涙が、肌のぬくもりで蒸発する。

 彼は錯乱し、もう怪物の様子など見向きもしない。

 彼は失恋のショックを自身の炎魔法にエネルギーとして加え、いつもよりも狂気じみた破壊力を生み出すことに成功したのだった。


「ふ、若いな………あんなに、敵から目を離すもんじゃない。情けないねえ………」


 本当に情けない男を、フラれたばかりの男を涼しい眼で見つめながら、小汚い男は言う。

 燃え盛る木々、のような怪物はそのまま横たわったままだったが。

 燃絵流は完全にそれに背を向けている。


「―――だがまあ、結果はまた、別の話。………『合格』だ」


 小汚い男が手のひらを合わせ、何事かを唱える。

 日本語ではない。

 この地球上のどの言語とも異なる、しかし明確な意味が込められている、何か。


 すると、魔獣の真下に、魔法陣が現れる。

 のたうち回っていた魔獣が、水に沈むように足掻いていき―――やがて公園から消失した。


「ていうか、なんで失恋したその日にバケモノと戦うんだよォ、戦わなくちゃなんねーんだよォオオオオ!」


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