7−5 それは殺しの申し子雪之丞

 十畳程度の部屋で立ち会う? 冬雪は自分を舐めてかかっている二階堂なら一矢報いる事もできるだろうと、冬雪はまっすぐに突っ込んだ。自分は一度、クロを舐めてかかってこてんぱんにされた。自分が強いとは思わない。だが、この年まで立花の殺しの技を鍛えてきた自負はある。最初から全力全開なら、一撃くらいは!

 そう思った瞬間、腹部に激痛が走る。

「なるほど、私より強いかはわかりませんが、クロ様の仰るとおり、これではすぐに死んでしまう」

 と小ばかにしたように言う二階堂の蹴りが冬雪に直撃した。“見えなかった。なんだ? いまの”というのが冬雪の率直な気持ち、ノーモーションなんてものじゃない。

「まだまだぁ」と冬雪は狭い室内でフェイントをかけて二階堂に迫る。忍の技だ。真っ向から使う物じゃない、姑息に卑怯に、それでいて一撃必殺の殺傷能力を持たす。

「それがよくない。必死過ぎます」

「これも仕事の一環じゃないですか! 必死にならなくてどうするんですか! このぉお!」

「頑張る事が正解でもないんですよ」二階堂に打撃をかけようとするが裏拳で止められる。

「立花冬雪様、貴方は何故私と立ち合っているのですか?」

「は?」だって、それは貴方が! と言おうとした時、二階堂はクロに銃を向ける。もちろん同時にクロも二階堂に銃を向けた。「クロ様が護衛対象ならこれで終わりです」

「そんな、逃げろっていうのか……」クロは最初、玄関から走って逃げろと言った。「貴方は守り屋であって、殺し屋でも喧嘩師でも、ましてや人殺しでもないですよね?」

「確かに……」冬雪は何故、二階堂を倒そうとしたのか、そもそも倒す必要なんかない。

 意気消沈している冬雪、自分の仕事はどんな事があって護衛対象を守る事。勝てない相手に立ち向かうなんてことは無謀以外のなにものでもなく、最後の手段なのだ。それをこの二階堂はわざわざ教えにきてくれたという事なのか、

「しかし、立花冬雪様では少々役不足は否めません」

「あの」冬雪は強く、強く反省した。「もう一度、チャンスを貰えませんか?」

「まさか今から逃げるとでもいのですか? それは」

「立ち合いです。貴方は強い、もしかするとクロさんよりも、でもクロさんの仰るとおり、俺の方が強い」

「なんと……本気ですか?」二階堂は驚きを隠せない表情を向ける。「はい、きっとこれが殺し合いなら僕は死ぬでしょう」

「立ち合いなら」勝てるというのか?「先ほど、なすすべも無かった立花冬雪様が?」

「はい、先ほどなすすべも無かった僕がです」

 その瞬間、二階堂の高価なベストに手裏剣が刺さる。

 部屋に無造作においてあるロープが二階堂にまきつく。

 すぐにほどく事はできるが、これに意識を集中させると少し、まずい。冬雪は殺すつもりできていると二階堂は確信する。片手でどれだけさばける物か? クロは興味なさそうに冷凍庫に入っているアイスクリームを勝手に取り出してたべている。

「なるほど、立花冬雪様はどちらかといえば私達側の人間であるという事はよくわかりました。して、この状態でどうしますか? 殺しますか? ここは西宮市です殺しはご法度ですよ?」

「そうですね」

 冬雪は安物の包丁を手に取ると、

「これで力は見せれたかと」二階堂を拘束、「成程、やはりダメです」

 二階堂はロープを引きちぎると、冬雪の腕を掴み、床に叩きつける。そしてそのまま冬雪の呼吸を止めに行く。

 頸動脈が締められ落とされかける。「クロ様、どうか榊様かブリジット様を」

「二人は別の仕事」

「ま……まだぁ……うぅ」

「立花冬雪様、もう少し地道なお仕事からはじめて頂き、また数年後にでもご依頼させていただければと」

「…………」動かなくなる冬雪。「ねぇ、二階堂。冬雪を殺したの? もしそうならここから帰さない」

「いえいえ、クロ様。気を失っていただいただけでございます。殺しはご法度ですから」

 クロが既に臨戦態勢に入ろうとしているので二階堂は落ち着かせる。

「依頼は二人です」二階堂は白亜に必ず榊かブリジットを相方にさせるように言いつけられている。「クロと、冬雪で依頼はボスから受けた」

「ですが、このレベルの守り屋にお任せできるゲストではありません」

「それを決めるのはクロじゃない」二階堂はこのクロがもう一人いれば最高だったろうなと思い「えぇ、ですので只今より宮水ASSの方に参らせていただきます」

「そう、その前にヤキソバ。二階堂のせいで冬雪がつくれなくなった」指さす作りかけのヤキソバを見て「一応、私は宮水ASSに依頼しにきたクライアントなのですが……まぁいいでしょう。食事中に失礼しました。すぐにご用意いたしますのでお待ちください」

 料理に取り掛かろうとした二階堂がバランスを崩す。

「全く、冬雪はこんな男に負けたのか? ホント弱いな。じゃあ仕切り直しといこうか?」

「……立花冬雪様、もう気が付いたのですか」驚きを隠せない。暫くは気絶してただろう。

 さらにいえば、雰囲気が違い過ぎる。何処か自分に自信がない冬雪。しかし、今目の前にいる冬雪は自信に満ち溢れている。それどころか、見下しているようにすら感じる。本能がこの少年はヤバいと二階堂が身構える中、真っ向から冬雪は襲い掛かってきた。先ほどと同じように、当然カウンターの蹴り……は蹴りで止められる。

 先ほどの冬雪は自分の部屋にある物を有効活用していた。だが、今の冬雪はどうだろう? ただ二階堂に向けてあらゆる角度から打ち込んでくる蹴りに打撃を浴びせてくる。

 体術には自信があった。宮水ASSのブリジット程とはいえなくとも、彼女相手でも時間は稼げる程度に、白亜にはその程度はできるように叩き込まれてきた。だが、今の冬雪の攻撃は捌いてもさばききれない。「立花冬樹様、これはどういう事でしょう? 私は手加減されていたのでしょうか?」

 そう聞く二階堂を無視して冬雪は攻撃を繰り返す。なんとか反撃しようとした二階堂の一撃を軽々と返し、逆にカウンター。二階堂の顔に一発いいのが入る。

「なんだこの強さ」二階堂の本心からの言葉。「分かりました認めましょう」

 それは護衛として十分な力があると二階堂が認めたわけだが、冬雪は攻撃を止めない。なんとか冬雪の攻撃を止めようにも見た事のない武術、暗殺に特化した忍術だと探偵から聞いていたがこれほどの物とは思いもしなかった。さらにいえば、今の冬雪は一切の容赦がない。二階堂に打撃が蓄積され、もうノックアウト寸前だった。トドメと言わんばかりに冬雪が手刀を二階堂に向ける。

 きっとオーダースーツの一点ものだろう二階堂の服は見る影もなくあらゆるところから出血。このままだと不味いという状況でクロが冬雪の前に立った。二階堂を守るようにクロが冬雪の徒手を受けて立つ。二階堂と同じくなんならウェイトの小さいクロの方が冬雪の攻撃を受けきれていないかに思えたが、冬雪がトンとクロと距離を取る。そして、腕から割りばしを引き抜く。

 打撃を受けていたのではなく、クロは冬雪を止めるべく攻撃に転じていた。

「君、クロだっけ?」

 クロを見て、冬雪ははじめて出会ったかのように話しかける。「あなたは冬雪じゃないの? 誰?」

「雪之丞」冬雪はそう呟いて構えた。「クロか、いい。凄くいい」

「いい?」クロは理解できずに首をかしげる。

「僕は君が欲しいよクロ」

「欲しい?」

「うん、君を僕の嫁にしたい」突然のプロポーズ。

「嫁? よく分からないけど、二階堂への攻撃はもうダメ」

「僕を、いや冬雪を殺そうとした男じゃないか、首を折っておかないと次にあった時に面倒じゃないか」

「ここは西宮市、殺しはダメ。もし、まだ二階堂を痛めつけるなら、冬雪に教育的指導を実行する。数日起きられない」

「へぇ、やってみてよ! クロぉ!」もう冬雪、もとい雪之丞の興味はクロにしかない。そしてクロが前から自分には勝てないと言っていた冬雪の姿を言い当てていた。

「君のその姿は僕に似ているよ。君は数多の命の中でその境地に立ったんだろう? 息を吸って吐くように殺しができる間柄だ。いいつがいになれる」

 クロは無表情で変わらない。教育係として冬雪の暴走を止める。

 雪之丞の体術は恐るべき精度だった。クロの中で、ブリジット以上かもしれないと本能が感じさせられる。はやく逃げた方がいいと細胞の全てがそうクロに命令をだしているが、二階堂を見捨てるわけにもいかない。新人の冬雪に西宮市で殺しを行わせるわけにもいかない。獣のような雪之丞の攻撃をクロは全力で受ける。

 クロは雪之丞の動きを見て、それを真似た。それに雪之丞は歓喜する。この僅かな時間でクロが雪之丞の体術を会得しつつある。

 雪之丞は少し後ろに下がり「すごいなクロ」とクロに微笑み、構えを変える。クロは変わらず無表情でいると、

「まぁ、今日はこのくらいでいいか」

 クロの手を掴み引っ張る。そして雪之丞はクロの唇を吸った。その舌がクロの口の中に入ろうとしたとき、クロに噛まれすぐに離れる。

「痛っ!」

 雪之丞、いや。冬雪は今どういう状況ときょろきょろ周りを見渡す。そして舌がめちゃくちゃ痛い。傷だらけの二階堂を前にして、状況がどんどん冬雪の中で理解していく。自分は意識を失っていた。この状況で自分よりも格上の二階堂や、クロがこんな風になっているという事は、アイツが出たんだ。

「クロさん、雪之丞がでましたか? 何かされませんでした?」今までにもこいつがでてくるととんでもない事が起きる。「クロの口の中に冬雪の舌をいれてきた」なんですと!

「えっ、なんで雪之丞がそんな事を」今まで、婦女子に乱暴した事だけはなかったという事は冬雪も覚えていたなのに「立花冬雪様、その、別人格? の雪之丞様はクロ様にプロポーズをされていましたよ。それも随分、お熱だったようで、最後は格闘というより恋人みたいにいちゃついて、キスをしたら舌をクロ様に噛まれたといったところでしょうか?」

「えぇ?」なんだって?

「さっきの冬雪ならクロも安心できる。二階堂も冬雪で構わないとさっき言っていた。冬雪、二階堂だから死ななかったけど、少しやりすぎ。西宮市では殺してはいけない。殺すなら違うところで」

 ここじゃなければ殺してもいいと言ってしまうクロに二階堂は苦笑して立ち上がる。ボロボロになった服から札束を出して、部屋を散らかしてしまった迷惑料だと冬雪に支払ってくれた。帰ろうとする二階堂に冬雪はせめてもの償いとして、クロと同じくヤキソバを食べて行かないか提案した。さすがに芦屋の殺し屋である二階堂がこんな庶民の作った庶民の食べ物を食べるのかと言って思ったが「お言葉に甘えて」と言うので冬雪は勉強用の椅子を譲ってヤキソバづくりを始める。そうこうしていると、冬雪の家のインターフォンが鳴らされる。

 一体誰だろうと思ってみると、カメラには外国の女性の姿、その人物を見て二階堂が困り顔で「お二人の護衛対象です」

 防弾の車の中に六麓HSのスタッフと待機してもらっていた護衛対象レベッカ・スミス。散らかっているが、さすがに入れないわけにはいかないだろうと冬雪はオートロックを解除して招き入れる。

 しばらくすると、室内にいても聞こえるヒールの地面を打つ音。そして冬雪の部屋をノックするので、冬雪はレベッカを部屋に入れる。

 ―あら、美味しそうな匂い。私にもくださる?

 という事で追加でヤキソバを三人前さらに作る事になった。クロが一応護衛対象という事で一人掛けソファーを譲っていた。冬雪の中で雪之丞が出てきた事はかなりの衝撃的な事件だったのだが、二階堂もクロもさして気にせずにヤキソバが出来上がるのを待っている。裏稼業に身を置くとこんな感じになるのかと冬雪は関心してフライパンを動かした。

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