出勤日1

1−1 買い物の付き合い

 兵庫県という地域は不思議な場所である。

 大阪、奈良、京都、和歌山と並ぶ近畿地方なのだが、北部に行くと東京のような発音と言葉を使い、瀬戸内沿いは京阪式アクセント、京都弁のような言葉を使う。さらに神戸市より西か東かで播州弁となり、中国地方のような言葉を使う。そして神戸より東にある阪神間と呼ばれる最も兵庫県で開けたところは北側の上品な大阪弁に近くなる。

 そして、昨今は大阪の北側に住む人たちは露骨な関西弁は話さない。結果として阪神間に位置する西宮の人々も同じくイントネーションは西なのだが、標準語を話す傾向にある。


 と、無駄な事を勉強してシティボーイやシティガールに馬鹿にされないように冬雪は新しい部屋でにやけていた。毎年土地代と家賃の平均価格が上がる西宮市において、8畳ワンルーム月4万円という破格の物件を榊に紹介してもらったのだ。真横を走る阪急電車の音さえ無視すれば交通の便もいいし、コンビニやスーパーも近所にあるし気に入った。インスタントの安いコーヒーを飲みながら外出する準備をする。今日は記念すべき初出勤、先輩従業員と共に年配の女性の買い物のお手伝いという護衛なんだろうかという仕事。とはいえ、気は抜いてられない。黒いシャツの下に防刃シャツを着て、左右にクナイを隠し持てるズボン。念のためにヒップバックにグロック19を入れるとパンと顔を叩く。気の抜けた自分を殺し、仕事の顔をする。


「大丈夫。なんどもシュミレーションしてきたんだ」


 そう自分に言い聞かす。先輩同僚に指定された場所は阪急沿線上にある国内でも上位、西日本では最大級のショッピングモール、西宮ガーデンズ。自転車をこぐこと十数分、親子ずれや学生達、若いカップル。憩いの場であり、生活を守り、観光施設でもある。休みの日に遊びに行こうと思っていたので、冬雪は少しテンションを上げながら入り口に入る。

 入ったところで、車いすの年配の女性と談笑をしている外国の女性がスマホを見ると近寄ってくる。顔は小さい、足も長くモデルのよう。ブロンドのショートカットがとても似合って綺麗な人。

 そんな女性が、


「君が冬雪?」

「はい、という事は」

「ウチが君の先輩、ブリジット・ブルー。BBでもブリジットでも好きなように呼んでちょーだいな。初めまして、ブッキー! で、あちらが今回の依頼主。佐伯さんやで、ご挨拶して」


 上品な年配の女性。この人が護衛対象なんだと思うと、冬雪は車椅子に乗っている佐伯さんより低い位置に頭がくるようにしゃがんで、佐伯さんに頭を下げた。


「立花冬雪です。本日は、宜しくお願いします」

「あら、今日は宜しくね? BBちゃんだけかと思ったらこんな男前も呼んでくれて」

「ブッキーが気に入ったら今後も指定したってくださいねー! ブッキー、押してあげたって」

「は、はい」


 佐伯さんはまず、何か暖かい物を飲みたいというので、ブリジットがお店のラインナップを指さしてどこに行きたいか聞くのを後ろから見ていると佐伯さんが「冬雪くんは何か好きな物はあるかしら?」「そうですね……このお店なんかどうですか? 美味しそうですよ」と何気なく言ってみるので、「じゃあそこにしようかしら、連れて行ってくださる?」と言ってくれたので、車いすを優しく押して店に向かう。店内に案内され少し和んだ時にこっちを見ているキャップを深くかぶった女の子。目が合ったわけじゃないが、どう考えても堅気が放つ雰囲気じゃない。それに冬雪は少し警戒する。


「冬雪くん、このパンケーキ食べてごらんなさい! 美味しいわよ」

 

 と佐伯さんは一口分切り分けてくれるので、困っているとブリジットが「いただきぃーや!」というので食べさせてもらう。「甘くて、美味しいです!」と素直な意見を言う、佐伯さんは笑い。ブリジットも笑い、もちろん冬雪も笑顔を返すのだが、店の外。距離にして入口から50メートル以上先にあの少女が立っている。普通に考えればこの買い物だって宮水ASSに依頼する必要なんてない。これはまともな仕事じゃないと冬雪は警戒レベルを上げる。西宮市では業務的な殺しはご法度だ。だが、それは冬雪やブリジットのような者や殺し屋等。仕事をしている者に対してのルールであり、そんなルールの外にいる依頼者なき犯罪を起こす者達からすれば知った事ではない。冬雪はブリジットに目で合図する。


“ネ・ラ・ワ・レ・テ・イ・ル”


 そのアイコンタクトにブリジットは頷くが、いたって変わらずなんなら佐伯さんに時折話しかける程度の余裕を見せる。冬雪はこういうものなのか? それともこのブリジットという人物はそれだけ自信があるのだろうかと、疑問に思いながらも冷静を装って店を後にして再び冬雪は車椅子を押す。


「今日はすき焼きにしようかしら」

「いいねぇ! 冷たい日本酒できゅっとーな!」

「BBちゃん今晩私のお家にいらっしゃる? 宮水の郷丁度あるわよ?」

「有名な日本酒なんですか?」


 そうなんとなく冬雪が聞いた時、ブリジットはもとより、佐伯さんも信じられないという顔で冬雪を見つめる。


「ちょっとちょっと、ぶっきー。それ冗談で言ってるん?」

「冗談って……どういう事ですか?」

「西宮は日本酒の街なんだよ冬雪くん、本当に知らなかったのかい?」


 佐伯さんとブリジットにこれでもかという程説明される。灘から西宮までの灘五郷は日本はもとより、世界中の日本酒ファンが一度は来たいという日本酒の聖地。


「そもそも、私達の会社名。宮水ASSの名前の由来なんやから! 普通の街中で日本百名水がわいてて、この宮水って西宮にしか湧いていない酒造りにおいて最高峰の水やで! それに酒造り最高峰のお米、山田錦。この二つが醸し出すジャパニーズワインの破壊力は応えられへんねん! 水戸黄門でも灘の酒って出てくるやん!」


 ブリジットはとっくりからお猪口に酒を入れるふりをして西宮市限定流通の日本酒・白鷹酒造“宮水の郷”を説明した。あの伊勢神宮ご用達の日本酒、辛口でありさらに口当たりもいい。


「はい、BBちゃん一杯どうぞ」

「おーっととと、佐伯さんありがとう! じゃあ返杯にどうぞ!」


 とおままごとのようにないお酒を飲んでいる。冬雪は忘れていた。ブリジットだけが関西弁を喋っているが、電車で15分で隣は大阪なのだ。ここにいる人たちは平気でネタを隙あらばぶち込んでくる。そんなノリにややついていけない冬雪だったが、そんな状態でも遠くから感じる視線には警戒していた。何者かは分からないが確実にこちらを監視している。警戒しながらも佐伯さんご所望の一階にある食品売り場へと入る。

ヘラヘラしているブリジットは本当に守り屋のプロなんだろうか? 食品売り場なんて死角が多すぎてまずいなとそう思った。

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