思春期の衝撃

ろば歩(ろばあるく)

第1話 偏屈な年ごろ

転校初日の朝、浅田は震えていた。武者震いなんてかっこいいものではなく、単純に嫌だったのだ、知らない人に囲まれるのが。


浅田は物心ついた頃から極度の人見知りだった。一番古い記憶は彼が幼稚園生の時。二人一組で粘土を使った作品を制作する授業中に、あまりにも喋らないものだからペアの相手も黙ってしまって連携が取れず、作品が完成しなかったという記憶だ。”誰かと協力して何かを成し遂げる”という体験を何よりも重視する教育では、先生は彼のような子どもの扱いにかなり困ったに違いない。たまに趣味の合う者同士であれば時間をかけて打ち解けられるという人見知りがいるが、彼の場合は例え趣味を同じくしても、彼が気の利く言葉を選べないため、相手と友情を深めることはなかった。


また、浅田は極度に打たれ弱くもあった。長い英文を言葉に詰まりながら読み、ちいかわみたーいとクラスメイトの女子に囁かれたその日には、恥ずかしいやら情けないやらでまともに風呂にも入れず膝を抱いて眠った。


そんな浅田が、親の都合で一クラス三十人から成る公立中学に転校することとなった。親の前では――決して人見知りを言い訳にはせず――転校は嫌だと主張したが、当然まだ中学二年生の彼だけ引っ越さないわけにもいかず、渋々荷造りをして新居にやってきた。


まだ物の少ないがらんとした自室で浅田は考えた。転校生の無難な自己紹介はなんだろう、と。――ドラマなんかでよく見るシチュエーションだと、やはり定番は「名前・出身・趣味」だろうか。いや、趣味は特にないからわざわざ言うのはやめておこう。しかし、もし趣味は何ですか?という質問が飛んできたらどうしよう。ああ、飛んでくるに決まってる。転校生が来ると担任はきまって何か質問のある人はいますか?などどクラス全体に向かって問いかけるのだ。くそ、余計なことするなよ。趣味なんかの質問をしてくるやつは、人間がみんな趣味を持ってるとでも考えてるのか?単細胞め。そもそも、自己紹介なんてわざわざする必要ないだろう。俺のことが知りたいやつは勝手に寄ってくるし、そうでないやつは俺のことなんて放っておくだろう。それでいいじゃないか。


浅田は考えを巡らせたが、自己紹介を回避する手立ては思いつかなかった。大きくため息を一つ吐き出してリビングへ向かい、まだ慣れない手つきで戸棚からミニロールパンを取り出し口に入れた。いつもは三つ食べてから学校へ向かうのだが、今日は五つにしておこう。――いってきます、とまだ眠っている両親へ書置きをし、まだ肌寒い外の世界へと足を踏み出した。


時刻は朝の七時。浅田は極力知らない人に会いたくないし、注目もされたくない。仮に七時半に家を出たとして学校へ到着するのは八時。その時間といえばまさに登校ラッシュだ。いつもの通学路に知らない顔があれば皆注目してしまうため、こんなにも早く家を出て学校へ向かっているのだ。予想通り、同じ制服を着た学生はまったく見当たらず、代わりに犬を散歩させている人々とよくすれ違う。彼は犬に対して何も思い入れはなかったが、朝からなまの動物の息遣いを感じるのは良いことだと思った。


浅田の思惑通り、七時半きっかりに校舎正門前へ到着した。途中で朝練をしている部活動の生徒が彼をちらちら見ていたが足早に通り過ぎ、担任を呼び出すために職員室へまっすぐ向かう。担任に教室へ案内される途中、何名かの生徒から笑顔でおはようございますと挨拶をされたが、彼は真顔で頭を小さく下げることしかできなかった。国民の手本のような中学生を見下しつつ、しかし少しの羨ましさを抱きながらこれから半年を過ごす教室へたどり着いた。


教室は、いかにも年季の入っている公立中学といったところか。床も机も木材をベースに作られており、浅田が前までいた白を基調とした温かさを微塵も感じない教室とは正反対の空間だった。なんだここは、見るからに古くさくて汚い教室だな。こんな所で本当に集中して授業を受けられるんだろうか。と思ったが、教室が広い分隣の席とのスペースは十分に確保されており、彼は少しの安心感を覚えた。


―――――――――――――――――――――


――俺のことを話してるんだろうな。

クラスメイトが続々と登校し、浅田を遠くから見つめひそひそと会話をしているのを確認した途端、彼の頭の中で約八時間の地獄が開始した音が鳴った。転校生が普通にふるまっていると”話しかけやすいやつ”と勘違いした生徒が近寄ってくるため、持参した漫画をスクールバッグから引っ張り出し、隠すようにこそこそと読み始めた。もちろん漫画の持ち込みは禁止されているため、本に見せかけるためのブックカバー付きだ。――にしても、漫画の展開が以前より格段に遅くなっている。編集者から展開を引き延ばすように指示を受けているんだろうか。しかしそんなことをするとグダグダが嫌いな読者はすぐに離れて違う漫画へ移ってしまうが、何を考えているんだ?まったく、もし俺だったらもっとこの内容を・・・


――ホームルームの時刻です。生徒の皆さんは、速やかに教室へ戻ってください。

すっかり漫画に夢中になっていた浅田は、突然の校内放送にびくっと体を震わせた。一度何かに入り込むと周りが見えなくなるのは彼の悪い癖だ。そのせいで、”浅田は人のことを無視するやつ”とレッテルを貼られたことさえあった。そんなことを言われるたびに、人のことをよく知りもしないでと彼はさらに卑屈になっていった。


――おはようございます。みんなも気づいていると思うけど、今日からクラスメイトが一人増えることになりました。浅田はじめくん、前へ出て自己紹介できますか。


できますか、という問いに、いいえという選択肢はない。ついに来てしまった、この時が。浅田は鼻息を荒くしつつ、教壇の上へ向かった。


――え、っと、ぁ、浅田元です。この前までは、あの、あの、緑区のだっダイハツ、第八中学にいました。よろしく、お願いします。


やってしまった。瞬時にそう思った。何がダイハツだ、目の前にいる皆が心の中で笑っているのが空気で感じられる。――同じクラスでいるのは半年だけだけど、みんなよろしく。担任が締めに入ると、パラパラとまばらな拍手が教室に広がった。やめてくれ、俺の印象が微妙だと思ってるなら変な優しさで拍手なんてするな。


浅田は耳まで真っ赤にしながらうつむき加減にそそくさと自分の席へと戻り、一時限目のノートに言葉にならない叫びをぶつけた。――くそ、こうなることは分かっていた、だから嫌だったんだ。彼は自分を教壇へ立たせたことについて行き場のない怒りを担任に向けていたが、同時に自己紹介を素早く終了させてくれたことに対して感謝もしていたため、感情を処理しきれなくなっていた。――今日は下校途中でスナック菓子を買って思いっきり食ってやろう。彼はそう決意した。

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