消えゆく明かり

異端者

『消えゆく明かり』本文

 私はほうと息を吐いた。

 息は白く、浅い夜の闇に溶けていった。その向こうには無数の明かりが見える。

 私は吉祥寺駅の北口駅前広場に居た。武蔵野市の開催するイルミネーションで彩られた華やかな場所だ。

 ――確か今年のテーマは「KICHIJOJI FOREST」だったかな。

 うろ覚えの情報を反芻する。

 無数のLEDライトに彩られた木々は確かに光の「森」と言えなくもない。

 もっとも、私の見たい「光景」はそれではない。

 広場の片隅で、私はそれを待ち続ける。


 私は時間を気にせず待ち続けていた。時計を確認する気にもならなかった。

「おじさん、こんな所に居たら風邪引きますよ!」

 ふいに右脇から声が掛かった。

 振り向くと、まだ未成年に見える私服姿の女の子がこちらを見ている。

「いや……厚着しているから大丈夫だよ」

 そして、こう付け足した。

「君は女子高生かい? こんな時間まで居たら補導されるんじゃないか?」

 それを聞くと、彼女は顔をしかめた。

「違います! もう21歳です!」

「そうは見えないな」

「私、よく若く見られますけど……運転免許証に、生年月日が――」

 彼女は手にしたバッグの中を漁り始めた。

「いや、わざわざ証明しなくてもいい」

 私はそれを手で制した。

 この子が20歳未満だろうとなんだろう――私には関係ないことだ。

「じゃあ、信じてくれるんですね?」

「ああ、信じるよ」

 信じる、か――根拠のない上辺だけの言葉だ。

「でも、どうしてこんな寒い所でずっと立ってるんですか? ……誰かと待ち合わせ?」

「そう言うなら、それを見続けていた君もそうだろう?」

 それを聞くと、彼女は悪戯っぽく笑った。

「ええ、私もそうです」

「君は誰かと待ち合わせかい?」

「いいえ、誰も待っていません」

「じゃあ――」

「先に質問したのは、私ですよね? まずは答えてもらっていいですか?」

 おやおや、これは手厳しい。

「私は――見たいんだ」

 そこで言葉を切ると、無数のLEDライトの付いた木々を見た。

「この明かりが、消えるのを」

 彼女はおかしそうに笑った。その顔は無邪気で、一片の悪意もなかった。

「おかしいかな?」

「ううん、全然――私も、そうですから」

 私は予想外の言葉に驚いた。

「意外だな。……こんなことを望むのは、私以外に居ないと思っていた」

「私も、そう思ってました」

 そうか。あの笑いはそれで――。

「私以外にそんなことでずっと待ち続けてる人が居るなんて……だけどどうして、ですか?」

 彼女は私の目を真っ直ぐに捉えて言った。

「――自分が、分からなくなったから……かな?」

「自分が……分からない?」

 そう。よく考えてみると、その根本的な理由を考えたことはなかったように思う。

「私は小さい頃……画家になりたかったんだ」

 私は何を語っているのだろう。私のことを何一つ知らない小娘に。

「若い頃はずっと絵を描いて、練習を繰り返してきた――でも、駄目だった」

 ため息を一つ。白い吐息が溶けていく。

「才能がなかったし、誰の理解も得られなかった。……両親は毎日のように、自分たちの言う『現実』を教え込もうとした」

 本当にそうだろうか。

 だが、あの時背中を押してくれる人がもし身近に居たら――いや、よそう。

「私は折れた。『夢』よりも両親の言う『現実』を選んだ。行きたくもない大学に行って、勤めたくもない会社に就職した」

 両親は「自分で選んだ」道だと言う――が。

「会社勤めも慣れて、そこそこはできるようになったし、評価もされるようになった……だが、ある日ふと気付いてしまった」

「『気付いた』って、何にですか?」

「自分の中に大きなうろがあることに……理屈じゃないんだ。必死なって働けば働くほど、努力すればするほど大きく、重く感じるようになっていった」

「洞って、穴のことですか?」

「ああ……そうだ。君はゴッホの『夜のカフェテラス』を知っているか?」

「さあ、ゴッホが画家なことは分かるけど……そんなの知りません」

「ゴッホの有名な作品の一つだ。夜の街に黄色く照らし出された野外カフェと、青黒い夜空が特徴の絵だ。私はその絵を思い出して考えた――」

 そこで一呼吸を置いて言った。

「もしこの絵のカフェのような大きな明かりが消える瞬間が見られたならば、少しばかりの静寂が得られるのではないか、と」

 自嘲気味に言う。我ながら浅はかな考えだと思う。

「それで、このイルミネーションが消えるのを待って?」

「ああ、そうだ。もう何度も見た……馬鹿げているだろう?」

 私はうなずきながら言った。彼女は笑わなかった。

「そんな、馬鹿げているなんて……思いません」

「さて、今度はそちらの理由を聞かせてもらおう」

 私は彼女の目を見て言った。

「私は……今、大学3年の就職活動中で……毎日のように、いろんな会社を回って……でも――」

 彼女は少しだけ口ごもった。

「でも、ある日思っちゃったんです。好きでもないのに、何をしてるんだろうって」

 彼女の目尻に涙が浮かんだように見えるのは目の錯覚だろうか。

「おかしいですよね。周りはさも当たり前のようにしてるのに、私だけそんな疑問に思って――」

「そうかな? 少なくとも、私はおかしいとは思わないよ」

「優しいですね。けど、私はそんな自分が許せなくて……気が付いたら、アパートから出て夜の街を歩いていて、それで偶然にここの明かりが消えるのを見て――」

 それで何かがすっと消えていく感じがしたのだという。

「明かりが消えたのを見て、どこかで誰かに『おやすみ』って言ってもらえた気がして――」

 今、彼女は泣いていた。

 それがなんの涙なのかは私には分からなかったが、それで良い気がした。

「あれ? 私なんで泣いているんだろう……すいません」

「謝る必要は無いよ。泣きたかったら、泣けばいい」

「やっぱり、優しいですね。……けど、こんなことで泣いて、イルミネーションが消えるのを見たいだなんて、私はどうしようもない社会不適応者です」

「君は何も間違っていない。少しぐらいの矛盾を許せない社会の方が問題だよ」

 この社会は、いつも「正確さ」を求めてきた。

 だが、少しぐらいの矛盾を受け入れられず、互いに互いを削り合うような社会は健全と言えるのだろうか。

 私は少なくとも有識者ではない。だから、私の結論は間違っているのかもしれないが。

「一緒に待とう。消える瞬間を」

 彼女は涙を流しながらも、ゆっくりとうなずいた。


 午前0時、イルミネーションが消えた。

 膨大な光の粒が闇へと還る。

 私はその瞬間、心の洞から解き放たれ自由となった。

「終わったね」

「はい」

 彼女は続けた。

「また、今夜のように一緒に待ってくれますか?」

「そうだね。また会えれば」

「じゃあ、その時はお願いします」

 彼女は屈託のない笑顔でそう言った。


 彼女と別れ、独り帰途に着く。

 名前も連絡先も聞いていなかったが、また会えるだろうという確信はあった。


 今はただ眠ろう――おやすみ。

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消えゆく明かり 異端者 @itansya

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