入学式は波乱の予感

 入学式当日。式が執り行われる大講堂は、かなりの大人数を収容可能な作りだ。しかしクロイが到着した頃には、既に大部分の席が埋まっていた。中を見渡しながら空席を探していると、クロイを呼ぶ声がする。


「クロイくーん! こっちこっち!」

「エマさん!」


 広い講堂の中程で手を振るエマに、クロイも軽く手を振り返して応える。近寄ってみると、エマの右隣に空席があった。


「どうぞどうぞ、こっち座って」

「ありがとう、助かった」


 その時、エマの左隣の席に座っている少女が声を上げる。


「エマ、この人が例の?」

「そうそう、あのクロイくん!」


 少女は立ち上がり、クロイに向かって手を差し出す。


「はじめまして。私はアヤ。エマからも、色々と話は聞いてるよ」

「色々と……?」


 肩上で切り揃えられた黒髪、凛とした佇まい。どこかホンワリしたエマとは系統が違う、キリッとした印象の少女だ。

 クロイはアヤの言葉にかすかな違和感を覚えながらも、差し出された手にこたえる。


「クロイです、よろしく」

「よろしく」


 握手をした瞬間、クロイはアヤの手に剣ダコがある事に気がついた。日常的に剣の鍛錬を欠かしていない証拠だ。「騎士志望だろうか」と心に留めつつ、手を離す。しかし、アヤはすぐに席に戻ろうとはしなかった。


「ふーむ……?」

「……なんか顔についてる?」


 何故か値踏みする様に、じとっと見つめて来るアヤ。それほど悪い気分でも無いが、黙って見つめられると何となく気まずい。そんなわけはないと知りながら、やんわりと行動の真意を質す。


「いや、噂とは随分違う印象を受けるな、って」

「噂? それって……」


 クロイがさらに質問を返そうとしたところで、大講堂内に魔法で拡声されたアナウンスが響く。


「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。間もなく入学式が始まります。どうぞ席に着き、静粛にお待ち下さい。繰り返します。間もなく入学式が――」


 大音量のアナウンスの中では、会話もままならない。クロイはアヤと頷き合い、無言で席に着く。「また後で聞こう」と、クロイは心の中で呟いた。




 入学式は予定通り、順調に進む。とは言っても、クロイ達は座って聞いてるだけだ。「正直、飽きてきたな」というクロイの思いとは無関係に、進行のアナウンスが講堂内に響く。


「続きまして、新入生代表挨拶。新入生代表、シルビア・イースアルバ」

「――はい」


 ゾクリとするような、冷たくも気品溢れる声。短く答えた少女は、堂々とした足取りで前に進み出る。あまりにも洗練された動作、彼女の一挙一投足に講堂中が息を呑む。印象的な銀髪をたなびかせながら、少女は優雅に壇上へと上がる。


「うっわぁ〜、すごいオーラ……」

「さすが、本物の王女様は違うね」


 エマの呟きに小声で答えつつ、クロイは思考を巡らせる。イースアルバ王国の次期正統後継者、王女シルビア。容姿端麗にして文武両道。何をやらせても右に出る者がいない彼女は、魔法の実力も既に折り紙付きだと聞く。例年より多い今年の新入生の中でも、あらゆる意味で断トツの最重要人物だろう。


「もっとも、俺が関わることはないだろうけど」


 クロイは気楽な調子で、小さく呟く。一国の王女が同じ学校にいるとあっては、スパイ時代なら重大事件だ。情報を取るにしても、逆に目を付けられないように隠れるにしても、王女相手には細心の注意が必要になる。だが、今のクロイは『普通の学生』だ。同じ学校の生徒とは言っても、余りにも身分が違いすぎる。普通に生活していれば、関わり合いになる事はまずあり得ない。

 講堂内を静かに見渡したシルビアは、神妙に口を開く。


「ごきげんよう、皆様。ご紹介にあずかりました、シルビア・イーサアルバと申します。このような素晴らしい式を開催して頂いた事、深く感謝申し上げます」


 しん、静まり返った講堂を前に、シルビアは淡々と言葉を続ける。挨拶、謝辞、抱負。至って一般的な内容、冷淡にも聞こえる程に平坦な口調。だと言うのに、聴衆は彼女の言葉に強く惹き込まれる。支配者のカリスマ。シルビアは若くして、既にそれを発揮しつつあった。

 やがて、シルビアの演説も終わりに近づく。だがそこで、演説のトーンに変化が生じる。


「トリコンコルディア魔法学校は歴史ある、素晴らしい学校です。それゆえ、ここには誇るべき伝統があると聞いています。この学校の中においては『身分の上下は存在しない』、と。その考えには、わたくしも大いに賛同致します」

「……おいおい、それを言っちゃまずいだろ」


 シルビアの言葉に、クロイは反射的に眉をひそめる。過去にはそんな伝統が実在したらしいが、それも今となっては名目上だけのものだ。入学試験の時のダグラスの態度を見てもわかる通り、実態とはかけ離れている。そんな事は、当然シルビアもよく知っているはずだ。だと言うのに、わざわざこの場で言及する意図はなんだ?

 シルビアが何を意図しているにせよ、とクロイは思う。この演説は今後、大きな波紋を広げる。学校内の特権階級たる貴族達の、その筆頭たる王女様の言葉だ。誰も無碍むげには出来ない。かと言って、今まで利益を得ていた貴族達が簡単に納得するはずもない。必然、今後学校内で多くの軋轢あつれきが生じるだろう。

 講堂内には一種異様な空気が漂っている。多くの人間が波乱の予感を抱きながら、しかし制止することもできず、ただ固唾かたずを飲んでシルビアを見つめる。会場中の視線を受けながらも、シルビアは平然と言葉を続ける。


「素晴らしい伝統に則り、が公平に実力を評価される事を――わたくし、心より望んでおりますわ」


 話しながらも、シルビアの視線はクロイの方に向いている。いや、距離はあるが間違いない。シルビアの視線はなぜか、クロイをじっと見つめている。


「もしかして……俺、もう目を付けられてる?」


 声が届く距離ではない。しかしクロイの呟きが聞こえたかのように、シルビアは冷たい微笑みを浮かべた。

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