やり過ぎた

 しばらく試験の様子を眺めていると、遂にエマの番がやって来た。案内に来た試験官が彼女の名前を呼ぶ。


「次、エマ・フロース。こちらについて来て下さい」

「ひゃっ、ひゃい!」

「エマさん、がんばって!」

「う、うん!」


 緊張した面持ちのエマだったが、クロイが声をかけると、少し落ち着きを取り戻した様子だ。試験官の案内に従って的の前に立ち、手を前方に突き出して構える。


「準備が出来たら、自分のタイミングで魔法を放って下さい。では、試験始め!」

「すぅー、はぁー……」


 深呼吸して息を整えた後、エマはよく通る声で詠唱を始める。


星の息ルミス目覚めの蕾ジェルメイ届いてミーティオ、【光針ラディクラ】!」


 突き出した手の前方に生成された、細長い光の針。詠唱が完了すると、それは前方に勢いよく飛び出し、見事的の中心に向かう。しかし、先端が命中する直前に形を保てなくなり、的に到達することなく雲散霧消してしまった。


「あっ、あぁー……」

「はい、そこまで。お疲れ様でした」


 嘆きの声を発するエマには構わず、試験官は無慈悲に試験の終わりを伝える。エマは肩を落とした様子で、トボトボとクロイの近くに戻って来た。


「う〜ん、残念。頑張って練習したんだけどなぁ……」

「いや、いい魔法発動だったよ。魔力制御は丁寧だったし、術式構築も正確だった。魔法力は少し込め足りなかったけど、そこはこれから慣れていけば良い話だし」

「そ、そうかな?」


 クロイは落ち込みむエマを慰め、和やかに会話を交わす。

 と、その時突然、会場内に怒声が響いた。


「おいっ、いつまで待たせるつもりだ!」


 声の出処に目を向けると、試験官に詰め寄る新入生の姿が見えた。赤い髪、いかにも高級そうな身なり、溢れ出る傲慢な態度。有力な貴族の子息だ、とクロイは思い当たる。直接会った事はないが、彼の情報は見たことがあった。


「いえあの、試験は順番に行いますので……」

「我がプロミネンス家がこの学校にいくら寄付していると思ってる! 順番なんて関係あるか! 今すぐ俺の試験を始めろ!」

「プロミネンス家の……! は、はいわかりましたぁっ!」


 返事も待たずに、貴族の少年は的の前に進んでいく。家名を聞いた途端に試験官も態度を変え、それに続く。どうやら、そのまま試験を始めるようだ。


「貴族家の方かな? みんなだって順番待ってるのに……」


 小声で眉をひそめるエマに、クロイも苦笑いを返す。


「ダグラス・プロミネンス。火系統魔法の大家、名門貴族プロミネンス家の三男だよ。御当主様は立派な方だけど、息子の方は……ちょっと違うみたいだね」


 とは言え、とクロイは思う。傲慢な態度を取る貴族なんて、別に珍しくもない。どちらかと言うと、身分に拘らず真摯な態度を取る貴族の方が珍しいくらいだ。それはこのトリコンコルディア魔法学校においても変わらない。

 この学校は名目上、「学校内に身分の上下は存在しない」と言うことになっている。しかし実際のところ、多額の寄付をしている貴族家の学生は、あらゆる面で優遇されている。

 ヒソヒソと他の新入生たちも非難の目を向けるが、ダグラスはまるで気にしていない。それどころか、彼は周囲を更に煽るような事を言い出した。


「大体なんだ、この試験のレベルの低さは。まともに魔法を扱えている奴がまるでいない。ましてや、的にすら当てられないぃ!? 論外にも程がある! 伝統あるトリコンコルディア魔法学校の入学者がこの程度とは、恥ずかしくないのか!?」


 自分にも当てはまる言葉に、エマが赤面する。他にも多くの新入生が、ハッと顔を伏せていく。彼が指摘するまでもなく、多くの生徒が自身の実力不足を痛感していた。

 だが、とクロイは思う。入学前の時点では、魔法の練度が足りなくても当然だ。ダグラスのような貴族は家庭教師をつけられ、入学前から十分な魔法訓練を受けている。しかし、多くの新入生はそうではない。独学に近い環境で、日々の生活の合間に何とか魔法を習得した者がほとんどだ。現時点での練度の低さを恥じる必要はないし、入学してから勉学と訓練に励めば良い。ダグラスの主張は、一方的で的外れなものだ。


「優れた魔法は優れた詠唱から生まれる。よく見ておけよ、愚民ども。お手本を見せてやる!」


 ひと通り演説をぶって満足したのだろう。ダグラスは意気揚々と的に向き合うと、朗々と詠唱を始める。


猛き炎輪ハング狂える獅子アイオ燃やしバナップ貫けペントレ、【火弩矢フレイボル】」


 ダグラスの手元に生じる、丸太のように太い火の矢。詠唱の完了と共に放たれたそれが、激しく的にぶち当たる。一瞬の爆炎と大きな衝突音。魔法が消えた後、的には大きなクレーターが刻まれていた。


「な、なんて魔法の威力だ……」

「口だけじゃない、実力でも……」

「さすがプロミネンス家、ってわけか……」

「やっぱり、貴族には敵わないのか……」


 ザワザワと、口々に感想を口にする新入生たち。ダグラスの魔法は彼らに大きな衝撃を与え、会場の雰囲気を一変させていた。魔法を放つ前はダグラスに批判的な目を向けていた者たちが、今は絶望の表情を浮かべている。


「ま、ざっとこんなもんだな。これで実力の差がわかっただろ? 愚民どもは精々身の程を弁えて、我の邪魔にならないよう、隅っこでコソコソ生きてれば良いんだよ! ハーハッハッハッハッ!」


 馬鹿みたいに高笑いするダグラスを横目に、クロイは小さくため息をついた。


「ダグラスは先に訓練を受けてて、少し魔法に慣れてる。それだけの話だ。これから学校で学べば、皆すぐに追い越せる。だからあいつの言う事なんて、全然気にしなくて良い。……そうでしょ、エマさん?」

「う、うん。そうだよね。きっとそうだよ、そうだよね……」


 口ではそう答えつつも、エマは浮かない表情のままだ。見せつけられた魔法の衝撃が、目に焼き付いてしまったのだろう。ダグラスの方が優れていて、その差を覆せない。そんな誤ったイメージを、エマだけではない、多くの新入生が抱いてしまった。これから先の学校生活、ずっと貴族にかしずいて、身を低くして生きなければならない。そう、想像してしまった。


「エマさん……」

「次、クロイ・スミス。着いてきて下さい」

「ああっ、もう。……はいっ!」


 続けてエマにかける言葉を探しているうちに、クロイの番が来てしまった。試験官に着いて行きながら、クロイはぶつぶつと呟く。


「クソっ、どうしてこうなるかな……」


 この程度の貴族の振る舞いは、何度も見たことがある。何も考えず、受け流すべきだ。頭ではわかっているつもりでも、クロイの胸中はもやがかかったように晴れなかった。

 その気持ちのまま標的の前に立ち、ノロノロと構えの姿勢を取る。


「えーっと、何だっけ。『普通の学生』らしく、普通に、普通に……?」


 ブツブツと自己確認をしようとするが、胸中のモヤモヤは消えるどころか、どんどん大きくなっていく。脳裏に過るのはダグラスの魔法、高笑い、周囲の反応、そして……エマの浮かない表情。


「準備が出来たら、自分のタイミングで魔法を放って下さい。では、試験始め!」


 淡々と告げられる、試験開始の合図。それに続いて、エマの声援が響き渡る。


「クロイくん、がんばってー!」

 

 ――その瞬間、クロイの中で何かが弾けた。


一握の燐リムフォス鳴く殻エガ噴上げガジェ烈しくアーダン爆ぜろイクシス――【極大焔轟撃アストヴォルゼン】」

 

 流れるような詠唱。クロイの頭上に生じる、身の丈よりも巨大な炎の玉。静かに詠唱が完了した瞬間、それは恐ろしい速さで放たれ、標的に激突する。と同時に、周囲一帯が激しい閃光に包まれ、雷の如き轟音が鳴り響く。

 光と音の両方が収まった時、人々は魔法が着弾した場所を見て、さらなる衝撃を受けた。確かにそこにあったはずの標的は、跡形もなく消滅していた。


「…………あっ、やり過ぎた」


 我にかえったクロイが、小さく呟いた。

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