07,発想元は違法少女☆撲殺センカ
「あれっ?」
言ってみるならば、魔が差したのだ。
俺には自分の願いを叶える力があると聞き、試しにまともな衣服でもどうだと言われた。俺は半信半疑ながらも、言われた通りに服が欲しいと願ってみようとしていたのである。
だがどうだ、実際には全く別の願いを叶えてしまったではないか。
もしゴスペルの言うことが本当なら。もし本当に俺には自分の願いを叶える力があるのなら――帰りたい。明らかにヤバげな何もかもから、逃げ出してしまいたいと強烈に願ってしまったのだ。
「……やべ。どうしよ。戻った方がいいよな? 絶対」
山口県にある実家ではなく、東京の歌舞伎町にある我が家に、俺はいつの間にか忽然と現れた。
見慣れた光景である。もう何年も一人で暮らしているのだ、一番落ち着く空間だと言っていい。
そこに現れてしまった俺は、やっちまったと後悔する。早くゴスペルの所に戻らないと拙い、そう思うのに全く戻る気になれない。俺の心はあそこに戻りたくないと思っているのだろう、そのせいで真剣に念じてみても視界に映る光景が変わることはなかった。
「………」
どさりとリビングの床に腰を落とし、周りを見渡すと、無人の空間が広がっている。
花房藤太の体はない。山田くんが救急車でも手配してくれたのか? だとしたら助かる。細かい事情は分からないが、一人になれたのは幸いだった。
「はぁー……しんど。なんもやる気起きんわ」
もう座っているのも大儀だ。
ソファーやベッドに移動する気にもならず、その場に仰向けになって寝そべった。
そうして天井を見上げる。頭を空っぽにして、穏やかに流れる時間に身を委ねた。
「………」
何も考えなくても、昨日の夜から今日の今に至るまで、自身に降りかかった事態の数々が自然とリピート再生される。繰り返しゴスペルとの遣り取りも想起して、じっくりと現実を認識した。
寝転んだまま、ゆっくりと、願う。
流石に裸コートみたいな不審者スタイルは嫌だし、きちんとした服が欲しいなぁ、と。すると今度は別の願いも浮かばなかったこともあって、すんなり俺の体が衣服を纏った状態に変化する。
見てはいないが、肌触りで分かるのだ。あ、服ある、と。苦笑いした。
「マジかよ」
勢いよく立ち上がり、姿見鏡の前に早足に向かう。俺の願った通りなら、この服の正体はアレのはずだと思って。
姿見鏡の前に映ったのは、肩の辺りまで伸びていた黒髪をゴムで纏めた絶世の美人。いつも着ていた黒スーツを纏い、青いネクタイを締めてタイピンをした姿。子供の体格なだけあり普通なら似合わないはずだが、人外級の美人なお蔭で凄まじく似合っている。
「マジかよっ」
苦笑いは、ヤケの色を滲ませた笑いに変わる。
「ははは、マジだ。マジじゃんかっ」
声を上げて笑ってしまう。
鏡の中で見慣れない美人が腹を抱えて笑っている。
「あっははは! 腹減った! 肉食いたいなぁ! カセットボンベとカセットコンロも! ああ、炊きたてのお米とか肉とか超欲しい! ビールは? あったあった、コイツもキンッキンに冷えてたら最の高よ! 肝心のタレとか食器がないしそれもな!」
笑い転げながら、あれが欲しいこれが欲しいと願うと、本当に出てくる。どこにでもあるスーパーで買えるような安物ばかりなのは、俺がそういう物しか買わないからだろう。
だが、こんな夢みたいな話があるか? 願っただけ。願っただけでこれだ。これなら文明圏で暮らさなくても普通に生きていける。欲しいものを欲しいと願うだけでいいなら働かなくていい。なんて夢のようなのだろう。最高過ぎて涙が出てきた。
「美味い! 美味いなこれっ! ちゃんと味するっ! 意味分かんねぇっ!」
笑いながら泣いて、食べながら笑う。昨日買っていた缶ビールも、放置されていたのに冷えていて本当に最高――じゃない。
「ブフォッ。
口に含んだビールは最高に不味かった。味覚が変化しているのか。その事実に、更に笑う。
一人陽気に早めの昼飯を済ませる。平日の昼飯に焼き肉とか普段なら考えられないが、それでいいのだ。むしろ何も考えたくない気分だったのだから。
とはいえ一頻り一人で馬鹿笑いしていると、流石に急激に上がったテンションも沈静化する。何より腹が満たされてしまうと、心まで満たされてしまうようで安心してしまった。
「はぁー……食った食った。さぁーて、これからどうすっかねぇ」
いい加減、現実を見よう。花房藤太、三十歳。いい歳こいた男がいつまでもウジウジしていたらウザいだけだろう。今の見た目なら可愛いかもだが、中身が俺なんだから可愛げなど求めてない。
「よっこらしょ」
立ち上がってソファーに移動し、どっかと腰を落とす。
足を組んで腕も組み、目を閉じると長考を始める。
(現実。全部、現実だ。ゴスペルの言っていたことも、アイツが俺を助けた理由以外は事実だと見といていい。ってなると、今の俺が最優先でしないといけないのはなんだ?)
くえすちょん。あなたはなにをしたい?
(元に戻りたい。でもそれは無理だ。だって今の俺はフィフキエルなんだろ? このまま逃げ隠れしていても、天使様の仲間が俺のことを連れ戻しに来るっぽいぞ。そんで俺がお求めのフィフキエルじゃないってバレたらお終いだ、そうなれば俺は殺される……らしい)
元に戻れない、どころの話ではない。生きるか死ぬかの瀬戸際に今の自分はいるのだ。ならばどうする? 安全の確保のために誰かに保護してもらいたいところだが……。
(警察……は、無理だろ。自衛隊? 個人のために動くのかよそれ。国も役に立たねぇ。というか普通の人間がどうやって今の俺を守るんだ? なら事情を知ってる人……ゴスペルしかいねぇ)
ゴスペルの所に戻るか? ダメだ。
(アイツん所に戻ったらいずれ俺以外の天使と会うことになるだろ。その時に俺はフィフキエルでござい〜って誤魔化せる自信がない。どんだけ先延ばしにしても詰むのが目に見えてる。だいたいゴスペルの野郎が信頼できるとも限らないだろ。副業やってんだぜアイツ)
副業が何かは考えても仕方ない。予想して当たっていたら凄いが、外れていたらアホだ。馬鹿の考え休むに似たりと言う、なら馬鹿丸出しの無駄なことは考えなくていい。
(誰だ? 誰に守ってもらう? 悪魔は論外、曙光とかいう連中も。今の俺は天使の体になっちまってるんだ、何されるか分かったもんじゃねぇ。ってなると自分の身は自分で守りましょうって? アホかよ、右も左も上も下も理解してない奴が、一人でなんでもかんでも上手く回せるもんか。絶対にどこかで躓く、早いか遅いかでしかない)
今の俺に一番必要なのは、庇護してくれる誰かだ。そしてその誰かとは組織であることが望ましい。それも俺が天使だと知っても構わないような。
(問題はそれを、俺が一人で探せるもんなのか、ってことだ。ま、無理だな)
あてもないのに出来ます! 頑張ります! なんて意気込んでも無駄だ。
それを弁え、すっぱりと諦める。
(ならどうすんの? 今の俺には情報が足りない。ゴスペルに聞きに行くか? ごめんごめん、腹減ってたから飯食ってたわって謝ればいけるだろうけど。できれば関わりたく――待てよ?)
嫌々ながら、ゴスペルの所に戻る方が賢いかと思い悩んでいると、不意にそれを覆す閃きを得た。
(ほしいのは情報……で、俺には願いを叶えるって力がある。ならあるんじゃないか? 情報源が)
ちらりと横目に姿見鏡を見ると、絶世の美人な子供と目が合った。あっ、すげぇ可愛い。
自分なのにそう思ってしまう。いかん、これは邪念だ、雑念だ、気を取られてる場合じゃない。
(俺は……あのクソ女天使フィフキエルの全てを継承してるんだよな。ならソイツの知識が頭の中にあってもいいはずだ。俺はゴスペルに名前を聞く前からアイツの名前を知っていた……だったら引き出せるはず。フィフキエルの知ってることを)
解決するべきは、上手いこと引き出せないそれを、どうやって出力して形にするかだ。
さらなる閃きを求めて右を見て、左を見て、スマホを見た。分からない時は検索するべし。
では何を検索する? 無論、アニメだ。現実的じゃない状況の中で、現実に発想を求めるのは馬鹿馬鹿しいことだろう。空想の世界の方が、却って俺に閃きを与えてくれるはずだ。
「今月の放送予定アニメは……ん、違法少女☆撲殺センカ、か」
スマホの画面に表示されたのは、拳で戦う幼い少女の物語。なんだか凄く気になる色物系っぽいが、そんなことより俺の目についたのは主役らしき少女の足元に転がる、スポ根のトレーナーじみた渋い顔をしている、白いリスっぽいマスコットキャラだった。
(……これか? ……これ、だな)
イケるかどうかは実際怪しいが、イケるという自信がある。自信があるならやってみよう。
願う。俺は願う。
情報がほしい、絶対確実に裏切らない情報提供者が。それを自分の中から汲み取りたい。自分の頭の中にある知識を取り出したい。もしフィフキエルの知識があるなら教えて欲しい。俺の疑問の全てに、懇切丁寧に応えてくれる便利なマスコットキャラが。
頼む。頼む、頼む頼む頼む! お願いだから教えてくれ!
――切実な念を込めてそう願うと、何かが俺の頭の中から抜けていく感覚を覚えた。
白い光が目の前に現れる。粉雪みたいな光の粒が乱舞して、次第に一つの形になった。
それは、今の俺を更に小さくし、デフォルメした小さな人形。掌サイズのぬいぐるみだ。
「………」
どうだ、という確認の意思を持ってその金髪の人形を見る。その人形はフィフキエルをマスコットキャラにしたら、こんな感じだろうという外見であり、羽根もあった。ソイツはゆっくりと目を開き、そして俺の方を見るなり首を傾げる。
「……あら?」
喋った。ぬいぐるみが。知らず生唾を飲み込む。本当に出来たぞ、と自分自身に驚きを覚えて。
ソイツはきょときょとと視線を左右に走らせ、焦ったように俺を見上げた。
「あなた……誰? すっごく大きいけれど……天使よね?」
「……ああ。それで、そういうお前は自分が誰か分かるか?」
「わたくし? わたくしは……えぇっと。そう……フィフキエルよ。見たことのない顔……お姉さまに似ている気もするけど、あなたは誰なのかしら。新しく下界に降りてきたの?」
フィフキエル。コイツがそう名乗ったのを聞いて、つい会心の笑みを浮かべてしまった。
成功だ。思いつきのぶっつけ本番だったが、マジでなんとかなった。もしかして俺って天才なの?
安堵の吐息を零してまずはフィフキエル――よし、コイツがフィフキエルだ――を手に乗せる。抵抗しようとしたが無意味だ。コイツは俺の被造物、単なる知識の出力装置。抵抗する力はない。
「ちょっ、ちょっと! いきなり何するのよ!」
喚くフィフキエルに、俺は失笑しかける。人格まで出来ているのは面倒だが構わない。話が拗れるのも面倒だから適当に合わせ、追々調整すればいいだろう。今は話を聞くのを優先する。
「いいから聞け。いいか? 俺はフィフキエル、お前だ」
「……何を言っているの? フィフキエルはわたくしよ」
「いいや違う。お前は俺から切り離された『知識』だ。ちょっと訳があって、あー……そうだな。人造悪魔? とかいう奴の呪い……みたいなのを受けて、徐々に記憶を失くす状態になった」
「……え? そ、そうなの……? 大変ね」
即興の作り話をした。意味が分からず困惑するフィフキエルに、良いから信じろと願いという形の命令を送る。するとすんなりと俺の言い分を信じた。
確かな手応えを感じる。
しかし些か勢いだけで作り過ぎたようだ。コイツは試作品ということにしよう。次に作る際には最初から命令を聞く仕様にして、俺の言うことに疑問を覚えないようにしないといけない。
「ああ、大変なんだ。だから全てを忘れてしまう前に知識を切り離して、いつでも思い出せるようにお前を造った。知識にAIじみた擬似的な人格を与えておけば、俺の質問にいつでも答えてもらえるだろ? そういうわけで、お前はフィフキエルじゃない、俺の知識だ」
「そうなの。言われてみたら確かにそんな気もしてくるわ。流石はわたくし、冴えてるじゃない」
「それほどでもある」
褒められて悪い気はしなかった。
フィフキエルは俺を食い殺したクソ女天使だ。しかし、実を言えばそこまで悪感情はない。
というか悪感情を懐きようもないのだ。なんせあの時は色々なことが突然過ぎたし、理解が追い付いていなかった。殺されたという実感もない。俺がこんなことになってる元凶ではあっても、本音を言うと恨んでやるという気持ちはなかった。
だからか、この人形が普通に可愛く見える。
「それじゃあ面倒だし、お前のことはフィフキエルって呼ぶな? 俺の質問に答えてくれ」
「ええ、いいわよ。でもその前に、あなたはなんて呼べばいいのかしら? どう呼びかけたら良いか決めてないと、後々不便に感じるわよ」
「は? あぁ……そうだなぁ……」
言われて考えてみる。名前、名前か。俺の名前は花房藤太だが、俺の元の体は一応生きてる。ならそっちを花房藤太として、今の俺は別の名前を名乗っとくべきか? いやいやそんな面倒で無駄なことはしなくていいだろ、俺は俺、花房藤太だ。それしかない。
普通に本体って言えばいいだろ。
そう言おうとした。しかし、その直前。
不意に何事かに気づいた様子で、フィフキエルが顔を外に向けた。
「っ!? あなた、伏せて!」
「はあ? なんで――」
直後。バサッ、バサッ、と何か大きな物が羽ばたく音がして。
なんだと思いそちらに顔を向けた俺は、驚愕の余り固まってしまった。
『見ヅケダッ! 見ヅケダッ! 女、オレノ女ァッ!』
――兎の脚と、熊の胴体。ライオンの頭とコウモリの羽根。体長三メートル近い巨大な化け物が、ベランダの向こうで嬉しそうに嗤っている――そして、俺に向けて一直線に突撃してきた。
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