03,叛逆者は出会う






「以前より本部が指定していた、【曙光ルシフェル】の第一級背信施設の所在を特定した」


 事の起こりからして不穏だったのだ。


「場所は日本の首都、東京。シンジュク区なる地の、地下三階相当の深さにある。調査の結果、奴らは人為的に悪魔を誕生させるべく、非人道的な実験を繰り返しているらしいことが分かった」


 教団の潜入調査員から齎されたリーク情報。忌むべき悪魔信仰者どもの施設内部から発信されたそれは、全ての教団員に激震を走らせた。

 悪魔信仰勢力は【曙光】と名乗っている。仰々しい名前だろう、悪魔という害虫を信仰している連中は身の程を知らないようだ。いや、身の程知らずだからこそ、悪魔を人為的に生み出そうとしているのだろう。まったく、余計な仕事を増やしてくれて……忌々しい。


「被験体を【人造悪魔】と仮称するが、現時点で二体の【人造悪魔】を確認しているらしい。それ以外の詳細は不明、潜入調査員は引き続き調査を続行する――その報を最後に連絡が途絶えた」


 記録を遡るのも馬鹿馬鹿しくなるほどの大昔から、【救世教団】に弾圧され続けているくせに、奴らはゴキブリ並みのしぶとさで生き長らえている。聞くだにうんざりする話だろう、ご先祖様がやり残した仕事が、子孫であるオレの代まで降りかかっているなんて。

 お蔭様でオレまで教団切っての名門、純血の一族にして信徒の鑑扱いをされてしまっている。全く以て不本意な話だ、何が悲しくてあんな天使害虫なんぞの走狗をしなくてはならない。

 神の名の下になら何をしてもいい、自分達こそが唯一無二の絶対的な正義である。天使達は本気でそう信じているばかりか、本音ではオレ達人間など家畜としか思っていないのだ。人間であるオレからしてみれば、敵対者である悪魔どもと同類だとしか思えない。

 

「事は急を要する。もし我々の手が伸びていると知れたとするなら、連中は小賢しい悪知恵を働かせ身を隠さんとするだろう。我々の無能で奴らを取り逃がそうものなら、罪もない市民が危険に晒されてしまうのだ。そうなる前に我らが主の庭を穢す忌まわしい者らを、なんとしても討たねばならんッ」


 居並ぶカソック姿の部下達を見渡し、オレは努めて強く宣言した。

 すると、悍しい気配が背後で動く。


$∃∆≫±&≠$>≠<使命は理解しましたね? #$%^&$#%さあ行きなさい&*^‰∀^*&^我が信徒達!」


 お高くとまった羽虫が、何事かを囀った。耳に入れるのも厭わしい、神経を逆撫でる羽音だ。なのに必死に耳を澄まし、なんとか羽音の意味を理解しようとしている己に嫌気が差す。

 コイツはオレの一族が代々仕えてきたという天使、フィフキエルだ。オレのご主人様面をして、偉そうに命じてくる声を聞く度に、堪え難い殺意を抑え込むのに苦労してしまう。

 外見は綺麗なのだろう。オレには人間様の姿を模した虫けらにしか見えないが、オレの部下はこのフィフキエルの美貌に心酔し、その神秘的な姿と力に心底から信仰を捧げている。阿呆らしい話だが、オレも表面上は同意して見せていた。同調圧力を感じるからだ。


「いと貴き御方のご意思が示された。ブリーフィングを終了する、ただちに行動を開始せよ」


 オレがいるのは空飛ぶ大型トラックとも称される、輸送ヘリの中だ。オレやフィフキエルを含めて55名を搭載した輸送ヘリは、既に日本国首都東京の上空にまで到達していた。

 東京には眠らない街があるという。その上空に来ているのだ、普通なら道行く人々は我々の乗っている輸送ヘリの存在に気づき、何事だと注目してきていただろう。だというのにカブキ町というらしい街の人々に、こちらへ気づいた様子はない。


 天使の加護だ。


 我々はその加護により、あらゆる生命や文明が捉えることができない【聖領域】内にいる。その領域の中にいる限り、一般の人々は何をされようとこちらに気づくことはないのだ。

 これにより古今、表世界の人間のほとんどは、天使と悪魔の実在を知らずに生きている。悪魔側にも【聖領域】に似た力があり、奴らも表世界からは身を隠していた。

 天使が自らの存在を隠す理由も、オレはもちろん知っている。――無知で無辜の人の祈り、信仰から摂取するマモが美味いからだ。それっぽい建前は幾つもあるが、本音はそれだけだろう。同様に悪魔の方も、何も知らない人間を弄び、利用する為に存在を伏せている。流石は太古の昔から争う敵同士。性根がよく似ていて、反吐が出そうだ。


 趣味嗜好で表世界と裏世界を区別し、人外どもは人からマモを搾取する。祈り、信仰、そうしたものにも人のマモは宿る故に、人外にとって人は生きているだけで食糧を生む格好の家畜なのだ。


 ――そうした思想が透けて見えるが故に、オレは天使を含めた人外が憎い。


(ああ、そうさ。みんな死ぬべきなんだ、貴様らは揃って人に仇なすだけの虫けらなのだ)


 輸送ヘリのハッチが開き、そこから戦闘員たる部下達が飛び降りていく。それを見ながら、オレは切実な呪いの念を胸の内に満たした。

 憎い。オレから自由を奪う天使が。ただ天使に仕える一族に生まれたというだけで、死ぬまで奉仕させられる人生が。オレの安全を脅かす悪魔や、その信仰者、全て死ねと呪わずにいられない。


$#^@!&ゴスペル? ×≦≮≥‰∂∀∃@$*%$どうしたのです、貴方も行きなさい

「……仰せのままに、フィフキエル様」


 天使が命じてくる声を聞き、平素の様子で重苦しく応じる。輸送ヘリから飛び降りると、夜の冷たい風が全身を包み込んだ。

 パラシュートなどの降下用の装備は必要ない。忌々しいことに天使に仕えるこの身は、加護により常人を遥かに凌駕した身体能力と、それに見合った耐久力を有しているのだ。

 近づいてくる地上を見ながらオレは内心吐き捨てた。馬鹿が、と。資料を読んでいないのか? ブリーフィングで何を聞いていた。これから出向く戦場には十中八九、未知の存在がいる。人造悪魔の脅威度が明らかになっていないのに、この部隊の柱である天使の警護を薄くしていい道理はない。部隊最強はオレだ、忠実な素振りで身辺に侍ってやっていた理由にも察しがつかないのか?


 そうは思うも口には出さない。諫言などしない。意見など言わない。なぜならフィフキエルはそんなもの求めていないのだ。コイツはオレ達を、都合良く扱える奴隷としか思っていないから。


(――真の同胞・・・・との会合が待ち遠しいな)


 高度五十メートルの高さから音もなく着地する。

 オレには仲間がいる。こんな、クソみたいな教団なんかじゃない、真に人の為に戦う本当の仲間が。

 裏から人を支配する畜生共なんぞとは違う。本当の仲間達のことを想えば、こうしてここにいることにも耐えられる。今は雌伏の時だ、苦しくても耐えねばならない。全ては――


(オレの。そして全ての人間の自由の為に)


 人を家畜にする人外ども、今に見ていろ。オレ達がきっと、貴様らを絶滅させてやる。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 もしも運命が人の顔を持っているのなら、運命は確かに微笑んだのだろう。


 【救世教団】の幹部の一族として、人生を縛られて生きていたゴスペル・マザーラントという男に。


 そして支配する天と貪る魔に反攻する、抗う人々へと。悪戯げに、残虐に。


 運命は性悪だ。最悪のメシアが、間もなく産まれる。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 爆炎に包まれ墜落する輸送ヘリを見て、部下達から悲痛な悲鳴が上がった。


 兎の脚と熊の胴体、ライオンの頭を持つ醜いキメラ。悍しい姿のその化け物が、【曙光】の作り出した【人造悪魔】の内の一体だった。

 オレと部下が襲撃を仕掛けた研究所から飛び出したソイツは、フィフキエルの乗っていたヘリに突撃し、純白の天使を最寄りのマンションの一室に吹き飛ばしたのである。


「ふぃ、フィフキエルさまぁ――ッ!?」

「チッ。おい、オレはフィフキエル様の救出に向かう! お前達はあの化け物を抑えておけ! 跡形も残さずとも構わん!」


 悲鳴を上げたいのはオレの方だ。後でどうやって隠蔽するか、今から頭が痛い。

 オレを傍に置いておけば避けられた事態だったのにな、という内心を隠すように舌打ちし、正気を失くして取り乱しそうになっていた部下達に命じて走り出す。オレの指示を聞いた部下は、敬愛する天使様を傷つけた存在を思い出して殺意に染まった。

 狂気的な叫び声を上げて、キメラじみた人造悪魔に報復のため襲い掛かる部下達を尻目に、オレは立場上の義務に従ってマンションの一室に向かう。位置的には四階だろう、ベランダ沿いに跳躍を繰り返せばすぐにでも辿り着ける。しかしもしフィフキエルが無事なら、激昂してすぐにでも飛び出してくるはずだ。それと鉢合わせて八つ当たりされては敵わない。

 こういう時はまずフィフキエルの認識外から近づき、機嫌の良し悪しを見定めてから接触するのが賢明である。もし不用意に近づいてしまえば、あの女にマモを吸われかねないからだ。


(――それにしても【曙光】の連中、とんでもない化け物を造り上げたものだな。三種の属性を具えたキメラ体の悪魔……あれは天然物にも匹敵するぞ)


 性交、不幸、破滅。複数の獣を掛け合わせたような姿の人造悪魔が有していた属性だ。その組み合わせは見ただけで、どんな用途で生み出されたのかが解る凶悪さだろう。

 加えて不意打ちになったとはいえ、一撃であの・・フィフキエルを戦闘不能にした。油断しきっていた上に天使以外を見下す性悪とはいえ、フィフキエルは生粋の戦闘天使。生半可な実力では、たとえ上手く不意打ちしたとしても返り討ちに合うはずだ。


(悪魔の人為的な製造か。侮れん……この情報は仲間達にも伝えておかねばならんな)


 遠回りをする為にわざわざマンションのエントランスから侵入する。オートロックの自動ドアを、自らの一族に由来する加護により、透過・・して通り過ぎると階段を駆け上がっていった。

 オレの頭には、キメラに挑んでいる部下の安否などない。所詮は薄汚い教団の信徒どもだ、天使の報復のために死ねるなら本望だろう。互いの言動を無自覚に監視し合うような、表世界の共産主義者じみた密告合戦に熱心な奴らなど、どうなろうと知ったことじゃない。

 だがフィフキエルを救出した後は、どうあれあの化け物と交戦せざるを得ない。それまでに部下が相手を消耗させていることを期待したいところだ。そうすれば、幾らか楽に仕事を終えられる。


 そんなことを考えながら、オレは四階の渡り廊下にまで到達した。


 この間、10秒しか経過していない。わざと遅くした方だが、これ以上遅ければ流石にフィフキエルにも怪しまれるだろう。頭の中身が軽い奴だが、あれでフィフキエルは頭も悪くはない。性格が致命的に終わっていて、何も考えていないから宝の持ち腐れだが。

 仮初の主人を貶しながら走り、目的の部屋の前に到着する。この部屋の住人は、おそらくフィフキエルにマモを吸われているだろう。死んでいなければ助けてやれるが……どうなっている?

 巻き込まれたかもしれない人間の安否をこそ気に掛けつつ、オレはドアを蹴破ろうと脚を上げた。


 しかし、ピタリと脚が静止する。


「……何?」


 自分の意思ではない・・・・・・・・・。にも拘らず体が動かないのだ。

 だが原因は明らかだ。この感覚、フィフキエルの力の気配だろう。

 フィフキエルは入って来るなと命じているのか。


(あ、の……アバズレが!)


 食事中なのだろう。となると、部屋の住人はもう……。

 また罪もない一般人を貪っているとは、百度八つ裂きにしてなお足りない怒りに襲われる。

 唇を噛み締め、グッと堪える。まだだ、まだ時は来ていない。まだ忠実な下僕のフリをしていないといけない。そう自分に何度も言い聞かせる。


 仕方なく部屋の前で待機した。食事が終われば、この強制力は消える。それまで待とう。――怒りで意識が白熱するが、暴発して独断専行しても良いことはない。自身を必死に律した。

 だが――遅い。待っても待っても、全く強制力が消えない。これはどうしたことだ? 流石に不審に思っていると、階段の向こう側から複数の気配が走ってくるのを察知して視線を向けた。


「隊長! 何をしているのですか!?」


 やって来たのはオレの隊の副長だった。他に三人の部下を引き連れている。

 渋面を作り、オレは返答した。


「シモンズ、貴様こそ何しに来た。あの汚らわしい化け物の始末を任せたはずだが?」

「それはっ! グッ……も、申し訳ありません、逃げられました……」


 逃げられた? ……逃げただと? 人造とはいえ悪魔には変わりないはずだろう。なのに、人間を舐め腐っているプライドの塊である悪魔が逃げた?

 いや……と思い直す。悪魔のプライドの高さは、長く生きてきたが故の物。能力の高さを自覚しているからこそ、短命な上に脆弱な人間を見下す。であれば、あの人造悪魔が産まれたばかりと仮定した場合、無駄なプライドを醸成する期間などあるはずがなく、身の危険を感じたら逃走するのに躊躇うこともないのかもしれない。それは、却って厄介な性質だ。

 付け加えてこの副長だ。オレの直属の部下に当たる副長は、名をエーリカ・シモンズという。女の身でありながら熱心な信仰心を武器に、男の信徒以上に過酷な修練を経て、天使級の実力を身に着けつつある若手のホープである。彼女は【浄化の追っ手】という加護を、フィフキエルから気に入られて授かるほどの才媛。加護の性質と実力を鑑みて、逃走は決して容易ではない。

 ダークブラウンの髪を短く切り揃えた、藍色の瞳の戦闘シスター。シモンズが逃げられたと言うのならオレでも追跡は不可能だろう。責められはしない。


「そうか。だが所詮は悪あがき、すぐにでも行方は知れるだろう。次の機会に備え、今度こそ確実に仕留めればいいだけの話だ。気に病むなよ、シモンズ」

「は、はい。ありがとうございます、隊長。それで……なのですが」

「ああ……フィフキエル様は中にいらっしゃる。貴様も感じるだろう?」

「え、ぁ……た、確かに。これはいったい……」

「詮索するな。我々はフィフキエル様のご意向に従い、ここで入室の許可が降りるまで待てばいい」


 シモンズと他の部下達も、オレが感じた強制力を察知したのだろう。中で何が行われているのか察したらしく、微かに羨ましそうな顔をした。

 天使フィフキエルにマモを吸われる。それほどの幸運に与れた一般人に嫉妬してもいた。

 屑どもが。内心そう吐き捨て、オレは無言で待機する。


 しかし……。


 余りにも……。


 長い。


「……妙だな」


 待ちくたびれて呟く。既に二時間が経過していた。なのに一向に強制力が衰えない。

 数分待つだけでいいと思っていたのに、なぜこんなにも待たされる? 最初の10分が過ぎた辺りでシモンズ以外の部下に命じ、墜落したヘリの隠蔽と、代わりのヘリの手配をさせたが、流石に二時間は待たせすぎだ。部下達もヘリの処理を終え迎えを待っている段階である。

 他の奴らには無理だが、オレはその気になればフィフキエルの強制力を無視できる。だがそのことを明かす気はない。故に大人しく待っているわけだが、そろそろ困惑が勝ってきた。


「隊長。中でフィフキエル様は何を……」

「知らん。知る必要もない。黙って待っていろ」


 不審に思っているのはオレだけではなかった。襲撃した先の研究所から、研究資料やら何やらを接収し終えた部下達や、ヘリの処分と代わりの手配をした部下達、そしてシモンズも渡り廊下で待ちぼうけを食らっている。だがオレには突っぱねる以外の選択肢はなかった。

 辛抱強さが教団の信徒の長所である。待てと言われたら延々と待ち続けるのが彼らだ。まるで忠犬みたいで可愛げがあるが、オレからしてみると情けない奴隷にしか見えない。

 苛立つ。フィフキエルにも、部下達にも。内心の侮蔑を隠すのに、また随分と苦労した。


 ――やがて、強制力が消えた。


 夜が明け、完全に外が明るくなっている。作戦開始から七時間以上も待たされたのだ。

 しかしその頃になるとオレの苛立ちも消えている。幾らなんでも尋常ではない事態だ、これだけフィフキエルが時間を無駄にするのかと、微かな不安が胸中に満ちてきている。

 それは部下達も同じなのだろう、強制力が消えると露骨に焦りを浮かべた。


「た、隊長!」

「待て。今、オレが入る。貴様らはもう暫し待機せよ」


 言って逡巡し、オレはゆっくりとインターホンのボタンに手を伸ばす。

 何があるか分からない。気紛れなフィフキエルが、これだけの時間を浪費したのだ。不用意に顔を合わせたくはなく、顔を合わせるまでにワンクッション置くためにインターホンを押した。

 ピンポーン、と。ひどく平和な呼出音がする。


「………」


 反応がない。もう一度押そうか悩むも、部下の手前これ以上惰弱な姿勢は見せられない。意を決してドアノブを掴んで回す、すると施錠されていなかったらしいドアは簡単に開いた。


 そうして、オレは目撃した。

 本質を視る・・・・・瞳を生まれ持ったオレは、束の間、瞠目する。


 ――黒髪に黒目という、天使にはない特徴を持つ天使の子供。


 中にいた天使を目にしたオレは呆然とし、有り得ない本質に我が目を疑う。

 凡庸だった。平凡だった。


 それは、人間の魂を持った天使だったのである。








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