人質令嬢の遺書

亜逸

人質令嬢の遺書

 親愛なるリシャール様へ



 この手紙がリシャール様に届くという保証がないことは重々承知しておりますが、それでも、どうしても、リシャール様に最後の言葉を残しておきたいと思い、筆を執らせていただきました。


 まず最初に断っておきますが、リシャール様の父君であらせられるエリック王が、わたくしをの帝国に人質として差し出したことは、これっぽっちも恨んではおりません。


 むしろ、エミール王国の未来のために、ひいてはリシャール様の未来のためにこの身を役立てることができたことを嬉しく思ってるくらいです。


 ですのでリシャール様は、わたくしを護ることができなかったなどと気に病んだりはしないでください。


 わたくしのせいでリシャール様が哀しんでいることが、わたくしにとっては何よりも哀しいことなので、どうかお気になさらずに。


 ただ、人質という形で王国の役に立てたことを嬉しく思っていたからこそ、周辺諸国が連合を組んで横暴極まる帝国を打ち倒そうという動きを見せた折に、わたくしのせいで王国が動くに動けないという事態に陥ったことは、どうしようもないほどにつらかった。


 このままでは、帝国はわたくしという人質を利用して、こちら側につけと王国を脅すかもしれない。


 なにかの間違いでエリック王が脅しに屈してしまった場合、王国は帝国とともに諸国の連合軍と戦うことになる。


 勝とうが負けようが、王国に待っているのは破滅のみです。


 わたくしのせいで王国が破滅の道を歩むことが、そのせいでリシャール様のお命を脅かすことが、どうしても耐えられなかった。


 だからわたくしは、この命を絶つことを決意しました。


 わたくしの命一つで王国が、帝国の呪縛から逃れられるのならば安いものです。


 心残りがあるとすれば、もう一度リシャール様に会えなかったこと。それのみです。


 ですから、最後にこれだけは言わせてください。


 リシャール様。


 心から愛しています。


 誰よりも。


 なによりも。




 エレノア・メリダンより






 ◇ ◇ ◇







「エレノア……」


 エミール王国の第一王子リシャールは、将来を約束した相手の遺言を握り締め、涙を流す。

 エレノアという人質が亡くなったことで、エミール王国は連合軍に参加することができ、無事帝国を打ち倒すことができた。

 エミール王国を傘下に収めようと、長年王国を苦しめてきた帝国は、もうない。


 王国は、平和を手にすることができた。


 なのに、


「君が……いない……」


 町外れにある、打ち捨てられた教会の聖堂でリシャールはむせび泣く。

 まだ子供の頃、王子としての習い事が嫌で城を抜け出したリシャールと、公爵令嬢としての習い事が嫌で館を抜け出したエレノアが初めて出会った、思い出の場で。


 しばし哀しみにくれた後。


 リシャールの近衛にして、エレノアの遺言を届けてくれた執事に、未練がましく訊ねる。


「エレノアは、本当に死んでしまったのか?」

「周辺諸国が連合を組み始めた折、エレノア様は幽閉場所を、帝国の皇城から絶海の孤島へと移されました。その後、エレノア様が館から抜け出し、断崖絶壁から飛び降りたことは、当事者である帝国人全員から証言を得ています」

「だが、エレノアの遺体は見つかっていないという話なのだろう? だったら……」

「あの辺りの海は潮流が早く、最も近い陸地でも十数キロほど離れています。いくらエレノア様がリシャール様よりもご壮健とはいっても、生きて陸地まで辿り着くのは絶対に不可能です」


 王子の未練を断ち切るためか、〝絶対〟という強い言葉を使ってまで執事は断言する。

 リシャールはどうにかしてエレノアが生きている可能性を探ろうとするも、結局見つからず、


「……しばらく、一人にしてくれ」

「畏まりました。外で見張りをしていますので、ご用の際はいつでも声をかけてください」


 それだけ言い残し、立ち去っていった。

 一人聖堂に残ったリシャールは、エレノアのことを思い出し、咽び泣く。


 エレノアは、太陽のような娘だった。


 傍にいるだけで元気を分け与えてもらえるような、明るい娘だった。


 下々の者にも分け隔てなく接し、誰からも愛される娘だった。


「エレノア……君の顔が……見たい……」


 太陽のような、君の笑顔を。


「君の声が……聞きたい……」


 死んだことが信じられないくらいに元気な、君の声を。



「リシャール様っ!! エレノア・メリダンっ!! ただ今帰って参りましたっ!!」



 う。

 こんな感じに元気な――……


「――……んん?」


 リシャールは、思わず眉をひそめる。

 今の声、夢想したものにしては、なんというか、あまりにも現実味がありすぎる。


 まさか。そんなはずは。

 期待と不安を胸に、恐る恐る振り返ると、



 そこには、襤褸ボロを身に纏ったエレノアの姿があった。



「エエエエエレノアッ!?」


 思わず、腰を抜かしてしまう。


「はいっ! エレノアですっ!」


 返ってきたのは、リシャールもよく知る元気なエレノアの返事だった。


「ど、どうしてここにっ!?」


「リシャール様と初めて出会ったこの教会の近くをたまたま通りかかったら、リシャール様の護衛の方を見かけましたからっ」


「そ、そうじゃなくてだな! その……断崖絶壁から身投げしたのだろうっ!?」


「はいっ! しましたっ! あの時はもう死ぬ気満々だったんですけど、いざ海に落ちてみたら『あれ? 意外となんともなくね?』とか『これ、ドレス脱いだ泳いだら脱出できんじゃね?』って思いましてっ!」


「泳いできたのかッ!? 十数キロをッ!?」


「はいっ! 泳いできましたっ!」


「君の壮健っぷりは知っていたが、いくらなんでも壮健すぎだろうッ!?」


「はいっ! わたくしもビックリですっ!」


 最早、笑うしかなかった。

 笑いすぎて涙が出るほどに、笑うしかなかった。


 こうしてエレノアは奇跡の生還を果たし、この半年後にリシャールと結婚した。

 エレノアの奇跡の生還は演劇となり、エミール王国の誰もが知ることになったわけだが、


「いや、さすがにお嬢様が十何キロも海を泳ぎ切るとか無理だろ」


「いくらなんでも荒唐無稽すぎる」


「まあ、演劇向けの脚色だな」


 エレノアが海を泳ぎ切ったという話を信じた者が皆無に等しかったのは、最早言うまでもなかった。

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