我々の身辺の在り来たりなる怪談集

渦目のらりく

第1話 暗い影

   1.暗い影


 ごうごうと音を鳴らして雨の降る、ある梅雨の夜の事でした。

 その日僕は夜更かしをしていて、部屋を暗くしてベッドに横たわり、スマートフォンで動画サイトを観ていました。


 内容はホラー物です。夜な夜な部屋を心霊動画を観ることが、休みの前の日課でした。――ただし心霊なんてファンタジーを信じている訳ではなく、作り物を見て、嘲笑する感じで楽しんでいたんです。


 再生していた動画が終わると、画面の上部に表示された時刻は三時二十分。


 ――そろそろ寝るかな……。でも、まだいまいち眠気が来ないな。

 先程再生していた動画が、海外の驚かせるタイプだったという事もあり、僕の意識はまだ冴えていました。


 ――もう一本だけ、これだけ観たらスマートフォンを消して、目を瞑ろう。


 そう思い、なんとなく気になった心霊スポットを撮影した動画をタップしました。

 動画のタイトルに心霊スポットの名前は書かれていませんでしたが、やがて現れた見覚えのある石造りのトンネルに、そこがつい先週に行った『Iトンネル』という場所であるという事に気が付きました。


 少し興味が増して、僕はスマートフォンを持って寝返り、壁に立て掛けて、画面をワイドにしてそこに集中しました。

 3人組の男たちが、何やらはしゃぎながら、トンネルの中に侵入していきます。画面に流れる不気味な石造りのトンネルの光景を観ながら、僕は先週ここで起きた、少し不思議な出来事を思い返していました。




 先週僕は、この『Iトンネル』に、動画と同じように3人で入っていきました。それぞれがスマートフォンのライトで前を照らしながら、同じ様にはしゃいだ様子で。


 トンネルの中程までに行くと、僕たちは何時しか口数が少なくなっていきました。そして程無くして、トンネルから滴り落ちてきた冷たい雫に首を打たれ、びくりとした男――鵜飼うかいが「そろそろいいんじゃね? 戻るのもめんどくさいし、帰ろうぜ」と口にしました。


 僕と女友達の坪湘つぼしょうは、その言葉を心待ちにしていたかの様に了承しました。


 けれど、心霊なんて信じていないと言っておきながら、少し怖い心持ちになっている自分を誤魔化す様に、僕はふざけてスマートフォンをカメラモードにして、坪湘を連写して撮影しました。


 驚いた坪湘と再び大きな声ではしゃぎながら、トンネルの中腹から僕たちは戻っていきました。

 そしてトンネルの入り口の脇に停めてあった車に乗り込んでから、今度はなぜだか少し寂しい気持ちになって、車内から振り返って、最後にトンネルの入り口を撮影してみました。


「やっぱり何もなかったな」鵜飼がそう言い、車をUターンして走らせました。


 僕は助手席に乗ってああだ、こうだと鵜飼と話しながら、先程撮った写真を見ていました。

 連写で撮ったので、画像は何十枚もありました。


 アップで映る坪湘の顔がフラッシュに炊かれ、なびく長髪のその背後のトンネルも、驚くほど鮮明に写し出されていました。


 同じような写真を観ながら、何か写ってはいまいかと目を光らせスライドしていくと、そのうちの後ろから二枚にだけ、坪湘の背後に、天井から吊るされた様な、人程のサイズの黒い影が写っているのです。次の一枚では、その影は天井から、地面の方に移動していました。


 驚いた僕は、二人にその画像を見せました。怖いというより、その時はテレビで良く見る心霊写真みたいな物が撮れて、興奮していたと思います。


 二人も同じような反応で騒ぎ、また三人で盛り上がりました。

 僕はもう一枚、最後にトンネルの入り口を写した写真を思い出し、わくわくした様な面持ちで一番上にある写真を表示しました。


 黒い影は写っていました。先程の黒い影はトンネルの中程で撮れたのですが、その黒い影は、トンネルの入り口から抜け出て、道路の真ん中に、立ち尽くすかのように写っていました。


「うおおお! 追いかけてきてる!!」と言って二人に写真を見せて、また盛り上がりましたが、程無くしてテンションが戻ってくると、鵜飼が「でも、正直フラッシュの影だよなぁ」と言いました。


 僕は「うーん、そうかなぁ」と相槌を打ちながら、連写した写真のはじめの方には黒い影が写っていなかった事を訝しく思いながらもひとまず納得しました。




 ――そんな先週の事を思いながらぼうっと動画を観ていると、トンネルの壁を、黒い影が横切っていくのに気が付きました。

 ぎょっと驚き、動画を少し巻き戻して、そのシーンで画面を止めました。

 そこには確かに黒い影が写りこんでいました。


 僕は、心なしか震えだした指で画面をタップして、動画を再生しようとしました。


「あっ」


 思いのほか力が込もっていたのかもしれません。スマートフォンはそのまま壁に押し付けられ、壁とベッドの隙間にするりと落ちて、音をたてました。


 この間模様替えをして、ベッドの位置を動かしたので、少し隙間が出来ていたのです。ベッドの下からは、煌々と光が上に向かって漏れています。

 隙間から手を差し込もうとしましたが、とても手が入りそうではありません。僕は仕方がなく、ベッドから起き上がり、部屋の電気を点けました。


 そしてベッドの方へそそくさと振り返ると、居たのです。


 ――僕の背丈程もある黒い影が、僕の目と鼻の先に。


 目を見開いて驚きましたが、声は出ませんでした。絶句したのは人生でこの時が初めてだったように思います。


 目前にあるのに、黒い影はぼんやりとしていました。距離は一メートル程で、手を伸ばせば届いてしまう距離にいるのに関わらず、その存在は虚ろでした。しかし、少しずつ、影は僕に顔を近付けてきている様に思えました。


「……ッ!!」


 その瞬間、部屋の電気が落ちました。外は雨、時刻は夜中。窓からは一筋の光も射しません。一度明るくしたので目が慣れず、部屋の中は暗闇で満ちました。脂汗が額に滲んで、腕には鳥肌が立っていたと思います。


「あぁあああ!!」


 僕は後ろに飛び退いて、腕を前にだし、探るようにブンブンと振りました。


「……っ」


 しかし空を切るばかり。僕は壁を背にして部屋の電気を点けようとしました。


「なんで点かないんだよ!」


 明かりは灯りませんでした。その時に僕はなってようやく、外で雷鳴が鳴っていた事に気付いて、ブレーカーが落ちた事に気付きました。


 しかし、この家には懐中電灯など用意しておらず、こうなった時明かりとなるのは、やはりベッドの下で未だベッドの底を照らしているスマートフォンだけだったのです。


「く……」


 ずぼらな僕が家のブレーカーの位置など記憶している訳も無く、そうなるとやはり、どうしたって明かりとなるスマートフォンが必要だと思い、怖くて、早く家から飛び出したいよりも先に、すぐそこのベッドの下にある、スマートフォンに手を伸ばすという判断となったのです。


 目を強く瞑って恐怖を押し殺し、僕は勢い良く前に出て四つん這いになりながらベッドの下に手を差し込んで、スマートフォンの明かりを覗き込みました。


 スマートフォンの画面が上を向いて、明かりはベッドの底を照らしていました。かなり奥の方にあるので、僕は肩まで右腕を捻り込ませ、手を伸ばしていまました。


「うわぁッ!!」


 伸ばした右腕の甲に、ベッドの底にゴキブリでも居たのか、触覚の様な細長い物が触れて、思わず腕を引っこ抜いて、後ろに尻餅を着いてしまいました。


 こんな時に虫がどうだの言ってられない事を思い直し、僕は急いで再び四つん這いになって、ベッドの底を覗きました。


 そこに、スマートフォンの明かりに照らされたがありました。


 長いざんばら髪の女が、今まさに首を絞められているかのように青紫の表情をして、血走り、飛び出しそうになった瞳を天井に向けていました。だらしなく開けられた口からは、しだいに血が流れ落ち、左の眼球が飛び出してプツッと音をたてました。そして痙攣する様にカタカタと震えだし、徐々に徐々に、その顔は激しく動き、ガタガタとベッドが音をたて始めた。


「かっ…………!」


 二度目の絶句でした。そして体が強張って、身動きもとれず戦慄の光景から目が離せないでいると、暴れ馬の様に激しく揺れていた女の顔面がピタリと止まって、残った右の眼球が僕を見つけたんです。


 狂った様に笑う掠れた金切り声と共に、僕を凝視した。ボトリと左の眼球が長い糸の様なものを垂らして地面に落ちた。


 そして唐突に、僕の耳元で、吐息がかかる程近くで――





「ねぇミデェ!」





 ――可笑しそうに、声帯が押し潰されているような掠れた声で。振り乱す髪が僕の顔面を埋もれさせる。少し目を向けると鼻先で、先程の女が、歯の無い口をあんぐりと開け、眼球の無くなった空洞で僕を凝視していた。



 そこで気を失いました。


 気付くと、スマートフォンを強く握り締め、仰向けに倒れた姿で、僕は朝日に照らされていました。


 そうして昨夜にあったことを思い出し、肌に粟が立った僕は、また震えだした手で、鵜飼に連絡しようとスマートフォンを起動した。

 すると、すぐに着信がありました。画面にはタイミング良く『鵜飼』と表示されていた。


「……もしもし」

 何処と無く暗いトーンで、鵜飼は話し始めました。

「あのさぁ……まだ俺も整理出来てないんだけど……」

「なんだよ? それより、俺昨日――」

 言い淀む話しを遮ろうとしたその時、鵜飼は強い語気で二の句を継いだ。


「坪湘が死んだって」


「は…………?」

「昨日の深夜、交通事故で……即死だったって……あいつ、ぺしゃんこになった車に首を潰されてたって……だから直接の死因は、窒息らしい……しかもそのあと、後ろの車に追突されて、更に首が圧迫されて――」


 捲し立てるように語る鵜飼。小さくなるその声が、恐怖と悲しみを内包している事に気が付くのに少し時間がかかった。


 そして鵜飼はこう締め括った。

「――左目が飛び出して、首が切断されてたって」


 ――左目が飛び出して――首が切断。それはまるで、昨夜見た女の……。


「あぁ……そうだ……」


 思い当たり、ひきつった表情で蒼白になった僕に、鵜飼は先程までの消え入りそうになっていた声とは反して、淡々と、彼の物ではないような野太い声で――。


 そうまるで、あの女の様な潰れた声で





「まダ終わってなィ゙よ」





「えっ……? もしもし? もしもし、どうした? 鵜飼おい……」


 スマートフォンからの応答はありませんでした。



 ――そして僕は、先程気を失った最後の瞬間に戻っていたのです。


 

 辺りは暗闇で、壁にかけられた時計は午前三時三十分を指し示しています。僕はまだ四つん這いのままベッドの下を覗き込んでいて、耳元にまだぞわぞわと無数の髪がかかっている感覚がありました。

 時間が巻き戻っている?

 夢であったという――夢を、見ていた?

 この異様な状況に置かれた僕にはもう、応答のないスマートフォンを力強く耳に押し当てるしか出来ませんでした。


 ――そしてカタカタ。カタカタ。と女は音を立て始め、次第に激しく揺れ始めたのがわかりました。僕はそちらの――右背後の方へと振り返らないように、目を瞑って俯きました。


「……ミデェ! ミデェ!! ミデエっ!!!」


 つんざく様な、金切り声。首を潰された様な掠れた声。


 不思議なことに、僕の俯いた首は、次第に次第に右側に、向いていきました。そして首に熱い感触を感じる。女が、僕の首を直接掴んで、右側に捻ろうとしているんです。いやもしくは、僕の首を絞めていたのかもしれないとも思えました。


 徐々に強くなってくる首の締め付け、意識とは裏腹にして強引に右側に向けられていこうとする僕の視線。僕はそれでも反発するように、固く目を閉じて、顔を思い切り反対に背けていました。


 すると、固く閉じていた瞳が勝手に開いた。

 背後から、死体のような冷たい指でこじ開けられていた。


 背後の女とは別の、長身で細身の男がいた。両手と両足の関節が反対向きになって、まるで糸の切れたマリオネットの様に不自然な格好でもって立っていました。関節からは血が滴って、顔面は死体のような白色でした。


「う……鵜飼?」

 僕はその存在を認めて、思わずそう呟いていました。



「しんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだ」




 怨嗟の様に繰り返される声が一歩僕に詰め寄った。


 火のついた様に下品に笑う背後の女に振り向くと、破裂しそうな青紫の顔面で嬉しそうに、僕の首を絞めていた。次第にその力は強くなって。僕の意識は朦朧となっていく。力んでいるのか、女の口と左の眼球の空洞から、ぶくぶくと泡沫の血が垂れて僕の顔に落ちた。


 ――あ、駄目だ。


 僕は仰向けになって倒れた。僕の顔を嬉しそうに覗き混む鵜飼と坪湘の顔を、交互に見つめ続ける事しか出来なかった。けたけたと、二人は笑っていた。




 そこからは記憶にありません。ただ、気付くと僕はベッドから落ちたような形で目覚めていました。


 ――今度こそ本当に夢だったのか?


 助かった様な心持ちで胸を撫で下ろしていると、スマートフォンがけたたましく鳴るので画面を見てみた。

 鵜飼の母親からでした。先程の恐ろしい夢の事をを鮮明に思い出し、何となく出るのは躊躇われましたが、僕は電話に出ました。


 そして知る事になりました。



 昨夜のは、夢ではなかった。二人は昨夜の午前三時頃に、交通事故で死んだと言うのです。鵜飼が運転していた車が、大型トラックと正面衝突をして。助手席に乗っていた坪湘と運転席の鵜飼は、即死だったとの事でした。


 先週まで、そこには僕もいました。とても仲が良く毎日のように遊んでいましたが、この日に限って、僕は不在でした。


 だから二人は、僕を迎えに来たのでしょう。


 時計の下に掛けてある鏡には、真っ赤な手形のついた僕の首が映っていた。


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