第45話 セーフ? アウト?
——Chu♪
その瞬間、僕の脳内で何かが弾けた。
爆ぜろリ○ル! 弾けろシ○プス! バニッシュ○ント・ディス・ワー○ド!
——シュイイィィィン!
さて、ここは脳を活性化させることで現実境界線を歪ませ、現実世界の時間を引き延ばした心象世界。なんかよくわからないけど、僕の極限まで活性化された脳がそう言ってる。
ここでならいくら考え事をしようと時間は進まない。実際は進んでるけど体感しえないわけだ。
とりあえず、状況を整理しよう。
僕は体力テストの一環で上体起こしの記録を測っていた。その際、足が浮かばないように抑える人が必要なため、ペアでやることになっている。
美琴ちゃんの時は僕がやってあげたから、流れとして僕の抑えを美琴ちゃんに頼んだのだけれど、美琴ちゃんの抑えが甘かったのか、それとも僕がシン・ゴリラ過ぎたのか、前に倒れて来た美琴ちゃんに覆いかぶされて事件が起きてしまった。
なんと運がいいのか悪いのか、美琴ちゃんとキスしてしまったのだ。しかもこの前の額にとかじゃなくて、マウス・トゥ・マウスで。‥‥‥なんてこった。
さっそくだけど、事件のあらまし分かったことで現場検証をしたいと思う。これはアウトか、それともセーフなのか。
パチンと指を鳴らすといくつかのモニターが現れる。そこには僕と美琴ちゃんの状況を多角的に映した画面が表示されてる。
「ふ~む、これは‥‥‥」
「アウトですね!」
と、その時。僕以外に入れないはずの心象世界に、僕以外の者の声が響いた。‥‥‥いや、今の声は僕の声?
思わず顔を上げると、ぼんやりとした靄がそこにあって、徐々に形を成すところだった。
黒髪のミディアムへアを靡かせて、見惚れるほどに優雅な足取りでこっちに向かって来る。
「ごきげんよう」
そう言って美しい笑みを見せるのは、引き込まれるような紫紺の瞳と色っぽい左頬のな泣きほくろが特徴的な美少女‥‥‥え? 僕?
そこにいるのはいつも鏡の前で見る僕の姿だった。
「君は‥‥‥」
「そんなことは今はどうでもいいです! それよりこれを見てください! 完全にアウトですよ! これは責任を取って美琴ちゃんを娶るしかありません! やりましたね!」
混乱している僕を置いて、『私』は興奮したように一つの画面を指さす。
それは僕と美琴ちゃんを周りから見た画面になっていて、美琴ちゃんが覆いかぶさるように顔を付けあう姿は、確かにアウトだ。
「ずっと美琴ちゃんも味わってみたかったんです! このまま舌を入れて深くいきましょう!」
「はい? ちょっとまって!?」
「大丈夫、私に任せてくれればすぐに終わります!」
「いやいや! そうじゃなくて——って! なんで顔近づけてくるんだよ!」
「なんでって、私たちが深くつながるためですよ! 一度私ともキスしてみたかったんです。ほら、私ってこうして見るとやっぱり可愛いでしょう? 可愛い女の子を見ちゃうと手を出したくなるでしょう? だから、チュ~~~♪」
「ちょ、ちょちょちょ! ‥‥‥だ、ダメ——」
頬を艶やかに撫でられて身体が震える。『私』の端正な顔がグイグイ迫ってきて、まるで魔性に惑わされたように抵抗できない。
そして『私』と唇が触れ合いそうになった。その時。
「スト~~~ップ!」
僕と『私』の間に割り込んでくる人影。思わず尻もちをついてしまって顔を上げると、視界に走るクリーム色の髪‥‥‥え、ちょっと待って?
「まったく、まさか自分自身まで襲おうとするなんて。‥‥‥大丈夫かい?」
そう言って僕に手を伸ばしてくれるのは、折れてしまうのではと思うほど線の細い華奢な体躯の持ち主。
今まで一度もあったことない人だけど、心配そうに僕を見つめる瞳も、かけられるアルトな声も全部知っている。
だってこれ、元の僕だもの。大学生になるはずだった
なのに‥‥‥なのにどうして‥‥‥っ! くそぅ‥‥‥客観的に見た僕って、こんなにかわ——いや、ダメだダメだ! これ以上は言っちゃいけない! なんか敗北するぞ!
「‥‥‥うん?」
「——っ!」
だからやめろよ! そうやって耳に髪をかける仕草をするの! そういうとこだぞ!
落ち着け‥‥‥落ち着くのだ僕。確かこういう時に詠む一句があったはず。それを詠んで心を落ち着けるのだ。
『病気かな? 病気じゃないよ 病気だよ(病気)』
——って! これじゃあ病気だって! 八幡さんも言ってたろ!
「はぁっ‥‥‥はぁっ‥‥‥はぁっ」
「息が荒いね。深呼吸して落ちついて」
「私、
「「僕は男だっ!」」
「あらまぁ、ふふっ♪」
なんだこれ‥‥‥いや、ほんとに。僕の心象世界に『私』と『ボク』が‥‥‥こんがらがるな。よし、ミオとレイって呼ぼう。
僕は言われた通り深呼吸を繰り返してなんとか心を落ち着ける。呼吸はすべての基本なのだ。
「ふぅ‥‥‥。それで、君たちはいったい‥‥‥?」
やっと聞けたその質問は、しかしレイに受け流された。
「あ~、それはその内にわかるからさ。まずは美琴ちゃんのことをどうにかしよう」
そうだった。なんかおかしなことになってるけど、今は美琴ちゃんとの事件の検証をしてるんだった。
「ちなみに僕はセーフだと思うよ。そもそもこれ、事故だし」
「あら? これはどう見てもアウトでしょう? このままアウトってことにして既成事実を作って美琴ちゃんをお持ち帰りましょう!」
「それは君の欲望だろうに‥‥‥。ほら、見てここ。よく見ればギリギリ唇じゃないだろ?」
レイが示すのは二つの画面。それは僕と美琴ちゃんの顔をアップで映しているシーンで、確かによく見れば触れ合っているのは唇というよりは、口の端って感じがする。
「そんなの誤差です! 重要なのは周りからどう見られているかどうか。だから完全にアウトですよ!」
「それも問題ないと思う。周りはみんな体力テストをやってるし、もし見られたとしてもその前の状況を把握していれば事故って分かるから。この後すぐに離れれば大丈夫なはず」
「そうかもしれませんが、こんな絶好のチャンスを逃せません!」
「なんのチャンスなんだ‥‥‥。まぁ、僕たちがここで言い合っても仕方ないよ。決めるのは君だから。どっちにする? セーフかい? アウトかい?」
「アウト! アウト一択ですよね!」
え、ここで僕に振るの!? まぁでも、僕もこれは事故って認識だし、美琴ちゃん的にもそっちの方がいいはずだ。
「え、え~っと、それじゃあセーフで‥‥‥」
「えぇっ!? なんでですか!? アウトにすれば、美琴ちゃんのあのメロンを触り放題なんですよ!」
な、なに‥‥‥っ!? あのメロンを‥‥‥だと。
「美琴ちゃんがFカップになりかけって聞いたとき、思わず我慢できなくて手を伸ばしそうになったんです! あの時はつい衝動的に九条さんのを揉むことになったけど‥‥‥九条さんもなかなかでしたねぇ」
ん? ちょっと待て、今聞き捨てならないことを聞いた気がするぞ!? あの時の乗っ取られたような感覚‥‥‥まさか、ね。
でもこれで決まった。僕はメロンの煩悩を振り払って言う。
「セーフで!」
野球の審判のように両手を広げる僕。
僕の答えを聞いた二人は目を合わせて苦笑した。
「それなら少し作戦を立てる必要があるね」
「もうっ! このヘタレ! でも、あなたは私なのに、
そんなことを言い合って、僕たちは三人でがやがやとこの事故をセーフにするために話し合った。
■■
——シュイイィィィン!
戻って、来た!
美琴ちゃんの重みと、重なり合う吐息が僕を現実世界に戻ってきたことを教えてくれる。
さて、ここからの動きが重要だ。
この事故をセーフにするにあたって大事なことは、決して動揺しないこと。
これが何でもないことだと、当たり前のことだと振舞うことが求められる。
『姉ちゃんも言ってただろ? 仲のいい子同士ならキスくらい普通だって。ならほっぺにしようとして、間違えて口の端にするのも普通だよ』というのはレイの談。
確かにその通りだ。そう思えば落ち着いていられる。
でも、それは僕だけで‥‥‥。
「——っ!?」
予想通り、声にならない声をあげて起き上がろうとする美琴ちゃん。その姿からは動揺してるのがまるわかりだ。
だから僕は美琴ちゃんの頬に改めて口づけを落とす。そして間髪入れず人差し指を唇に当てひと言。
「ナイショ、ですよ?」
「~~~~~~~~っ!?!?」
美琴ちゃんは、バフッ! と音が出そうなほど顔を真っ赤にさせて手を頬に当てると、コクコクコクと何度も頷いた。
『動揺を隠すのなら更なる動揺で上書きすればいいのよ。だからこうすれば有耶無耶になるわ!』というのはミオの談。
そして、その通りにやったのだけど‥‥‥これって本当に大丈夫なのか? というか今更だけど、動揺を動揺で上書きしても意味ないのでは‥‥‥?
そう思い至った瞬間。
「「「「きゃ~~~~~~~っ!!!」」」」
体育館に響き渡る黄色い歓声。
「澪さま今のはどういうことですか!? 私にも! 私にもほっぺにちゅうをください!」
「澪お姉さまからのほっぺにちゅう‥‥‥わたくしも欲しいですわぁ!」
と、詰め寄ってくる紗夜と麗華。九条さんは通常運転。
まさか‥‥‥これは‥‥‥。
『ね? マウス・トゥ・マウスのキスは有耶無耶になったでしょう? 一件落着ね♪』
どこからかそんなミオの声が聞こえてくるような気がした。
確かに‥‥‥確かに、キスどころか事故そのものが有耶無耶になった、けど‥‥‥。
これはこれで、また別の事故が発生してませんか? ミオさん?
近衛澪、アウト~っ!
上体起こし記録。
澪『37回』 紗夜『26回』 美琴『10回』 麗華『13回』 輝夜『30回』
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