第43話 想い
こうして今年も無事に担当クラス全員を送り出すことができた。教師生活七年目で三年生の担当になることは何度かあったけれど、その度に最後のホームルームが終わるとホッとする。特にこの子たちは高校入学時にコロナ渦になった世代で、今まで以上に苦労があったと思う。そんな中、みんな本当に頑張った。
誰もいなくなった教室で、自分で書いた黒板の文字を見る。「卒業おめでとう」と中央に書かれ、その周りには桜の花がいくつも咲き乱れている。黒板アートほどすごいものは描けなかったが、自分なりに時間を掛けて描いた生徒へのメッセージだ。
教壇から教室を眺める。普段の教室なら生徒の私物もあるのだけれどそれも今はほとんどない。卒業式後も数名の生徒は合否発表のため学校に来る。けれど伽藍とした教室を見ると寂しく感じるものだ。
職員室に戻ろうと廊下に出たところですぐに教室に戻った。教壇の上に置き忘れたペンケースを取る。いつもは佐々木くんが持ってきてくれてたんだっけと思ったところで、約束していたことを思い出した。急いで指定された体育館へと走る。
「佐々木くん! ごめん遅くなっちゃった!」
佐々木くんはパイプ椅子の片付けをしている最中だった。
「ん、佐々木?」
佐々木くんは驚いたように目を丸くしている。
「先生、どうしたんですか、急に。僕もう佐々木じゃないですよ」
「え……あ。そうだった。急いでたら、つい佐々木くんになっちゃった。ごめんなさい、田鎖先生」
「まぁ佐々木でもいいですよ。父親とは今も良好ですから」
マスク越しでも佐々木くんは昔と変わらず犬みたいな顔で笑ったのが分かった。でもあの頃よりも晴れ晴れしい。
「それで田鎖先生、用ってなんですか?」
「春野先生、田鎖先生、ぺちゃくちゃお喋りしてないで、早く片付けてください」
森先生がパイプ椅子を運びながら注意した。
「あ、すみません」
「それに、昔の教え子だからって特別扱いしないでくださいね。はしたない」
私と佐々木くんは目を合わせた。
「そうですね、先に片付け終わらせちゃいましょうか」
そうして私たちは卒業式の後片付けを行った。パイプ椅子を集め、紅白幕を外し、音響機材を片付けていく。教室から私物のものがなくなるかのように、体育館もいつもの体育館へと戻っていった。
「何もなくなっちゃいましたね」
私はステージの縁に腰掛けて体育館を眺める。
片付けをした先生たちはすでに職員室に戻り、体育館には私と佐々木くんだけだ。
佐々木くんはひょいっとジャンプして私と同じくステージの縁に腰掛けた。二人して体育館を眺める。
「春野先生の隣に座るなんて、さんさ踊り以来ですね」
「ん?」
私は佐々木くんとさんさ踊りのパトロールをした時のことを思い出していた。隣に座るようなことはなかったけれど、何のことだろう。
「昨年のさんさ踊りのことじゃないですよ」
佐々木くんが目を細めて笑う。
「ほら、西高の時。僕がさんさ踊りで騒ぎを起こしちゃった後のことですよ」
「中津川のベンチね」
「はい。僕、春野先生みたいになりたくて教師目指したんですよ」
佐々木くんはあの時のように隣に座って語り出した。
私が初めて赴任した盛岡西高校で教師二年目の時の話だ。私は三年生の副担任で、佐々木大地くんは私の受け持つ三年二組の生徒だった。
あの時、佐々木くんは進学に対して悩んでいた。ご両親の問題で家庭が不安になっていて、そんな中、費用のかかる進学という道を選ばずにいたのだ。
私自身、副担任と言っても三年生を受け持つのは初めてだったし、どう対応していいのか、分からなかった。
けれども彼は担任の須藤先生ではなく、私へ相談をしてきた。須藤先生は割とハッキリ物事を言う先生だったので、話しにくいところもあったかもしれない。
佐々木くんの話を聞くと、自分の学生時代を思い出した。佐々木くんはあのさんさ踊りの日以来、人が変わったように勉強に取り組んでいた。だから進学が決まった時には本当に嬉しかった。
佐々木くんが言う。あの時、さんさ踊りの時、先生に想いを伝えて、でもダメだったこと、それが自分の中で原動力のようなものになって、このままダメな生徒で終わりたくない、せめて先生には笑顔で送り出してもらいたい、そうして頑張ったと。
彼は卒業後の話をしてくれた。
憧れの春野先生みたいになりたくて教師を目指したこと。教師免許を取った時も、一番に先生に伝えたかったこと。だけど、連絡先も知らなくてもどかしい思いをしたこと。
初めての赴任で、まさか春野先生がいたことに驚いたこと。マスク越しでもすぐに春野先生だって分かったこと。本当に奇跡のような偶然でただただ嬉しかったこと。
もしかしたら気がついてくれるかな、と探ってみたこと。でも名字も変わっているし、マスクもしてるから気がつかないだろうなと少し落ち込んだこと。先生は昔と変わらずペンケースを忘れていたこと。いつになっても気がつかないのでやっぱり不安になったこと。
そしてさんさ踊りパトロールが一緒になって本当に奇跡なんだと思ったこと。パトロールの後にふたりで食事に行けたことが嬉しくて「ずっと会いたかった」なんて直球で恥ずかしい告白まがいの言葉を言ってしまったこと。それから五年越しにようやく連絡先を教えてもらえたこと。夏休み明けに会った春野先生はなんだかぎこちない態度になっていてかわいかったこと。
職場で話が出来るようになったこと。何度か食事に行ったこと。
実は高校の卒業式の時、もう一度想いを伝えようとしたのだけれど、結局勇気がなくて言えなかったこと。
そして、佐々木くんは私の方を見て言った。
「僕、今でもずっとあの時、さんさ踊りで先生に言った想いは変わってません」
佐々木くんはまっすぐな目で私を見つめる。
あの時、川辺で私を見つめた時のように。だけどその瞳はあの時と違って、大人になっていた。
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