第22話 動かぬ証拠

「どうでした?」

 校長室を出て自席に戻ると、真っ先に森先生が尋ねてきた。

「まぁ、いろいろ話されました」

「やっぱりわいせつ行為だったでしょ? どうせホテルに連れ込んで暴行したんでしょ。ほんと嫌になっちゃう。これだから男は」

 どこでそんな話になったのだろう。森先生の発言は事実なのだろうか。彼女の発言はあまりにも軽率過ぎで、本当にワイドショーの感想のようだ。同じ学校の同じ学年で起きたことなのに、もう少し当事者意識を持って欲しい。事態を楽しんでいるとまではいかないが、まるで他人事のようだった。

「森先生が思ってるほど、ひどくないと思いますよ」

「え、ひどくないって、庇うってこと?」

 森先生の目がメガネ越しに鋭くなるのが分かった。

「あ、いえ。そういうことじゃなくて……」

 事実とは異なる、ということを伝えたかったのだけれど、言ってから後悔した。

「はぁ。春野先生。どんな行いでもダメなものはダメでしょう。教師が絶対悪い。男が悪いのよ!」

 彼女は睨むような目で私を見た。

「……はい」

「まったく。先生がそんなんだから十文字さんが狙われたのよ。ちゃんと生徒のこと見てないと」

「すみません……」

 たしかに生徒の小さな変化にも気がつけなかった私も悪いかもしれない。だけど森先生の言い方はなんだか、一歩下がったところにいる評論家のようだった。

「それにねぇ、私、入手しちゃったのよ」

「なにをですか?」

「これよ、これ。動かぬ証拠」

 森先生は二つ折りにされたプリント用紙をこっそりと渡してきた。

「これ見たら、先生の考えも変わるわよ」

 そこにはチャットアプリのキャプチャ画面が印刷されていた。


 杉本 :今、話いいか?

 十文字:なに?

 杉本 :キミがお金に困っているのは知っている

 十文字:うん

 杉本 :どうだろう

 杉本 :ここは、ひとつ一万円でどうだ?

 杉本 :それに好きなんだろ?

 十文字:なにが?

 杉本 :僕のことだよ


「あの。先生……これは?」

「見たまんまよ。二人のやりとり。ほんと自分勝手でいやらしい先生だこと」

 森先生は私の持っているプリントを自らサッと引き抜くと、まじまじとプリントを見た。

「人の弱みにつけ込んで、しかも買春だなんて、教師の資格ないわ」

 突然、森先生の持っていたプリントが宙へと舞った。学年主任の竹下先生が森先生の持っていたプリントを持っている。

「森先生、この内容は事実確認中のものです。いいですか、事実を大事にしてください。必要以上に煽ったり、生徒を不安にさせないこと」

 竹下先生が厳しい目で森先生を制した。

「私は別に……」

「ほら、生徒が来ましたよ」

 森先生はまだ何か言いたげだったが、三組の生徒が職員室にやってきて話は終わった。



***

 どこから伝わったのか、翌日には生徒たちの間ですでに噂になっていた。教室から職員室までの廊下を歩くだけでも、その話をしている生徒たちが数組いたのだ。

 噂は森先生のそれよりもひどく、あることないこと面白おかしく尾鰭がついているようだった。スクールカウンセラーがいるものの、もし万が一、本人の耳にでも触れたらと思うと心配であるが、それも時間の問題かもしれない。

 今のところ十文字さんは学校にもきているし授業もいつも通り受けている。変に刺激しない方がよいのか、それとも私からもフォローするべきか悩んでいた。


 そうこう悩んでいるうちに数日が経ってしまった。ちょうど今、進路相談の時期で、それぞれのクラスの担任と生徒が面談をしているのだ。二組も先週から五十音順に男女交互で面談をしていて佐々木くんまで終わっている。十文字さんの順番も近いし、本人に少し聞いてみようかと思う。

 一組は杉本先生が来られなくなってしまったので、副担任が面談をやるそうだ。副担と言っても業務内容は担任とほぼ変わらない。だから面談しても特に問題ないだろう。


 倫理の授業が終わった時に、十文字さんに声をかけた。

「なに? 進路相談ならまだ先だけど」

「あ、うん。進路相談とは別にちょっと話さない?」

「別に。話すことなんて何もないけど」

 十文字さんは渋々といった感じでついて来てくれた。進路相談室の扉を開ける。

「で。なに?」

 十文字さんは部屋の中央にある椅子に雑に座った。

「何か、悩んでることとかない。ほら。この前のこととかあるし」

「あー。何かと思えばその話か」

 彼女は一気に興味を失ったようにスマホを取り出していじり始めた。

「森から聞いたよ」

 スマホを見ながら話をする。

「森先生のこと?」

「そう。春野は杉本擁護派だってさ」

「えっ……」

「杉本の好意を無駄にするなって言ったんだって?」

「そんなこと……」

 森先生ったら、あれだけ言動には注意しなさいって言われたのに、本人に話してるだなんて。しかもだいぶ事実が歪曲されている。

「まあ。別にどっちでもいいけど。で? なんなの?」

「ううん。何か不安なこととかあったら言ってね。カウンセラーの先生に言いにくいこととかあっ――」

「別になんもないし。カウンセラーとも特に話してないよ」

 十文字さんは私の言葉に被せるように言った。

「そっか」

「もういい?」

 十文字さんは席を立ち上がり、扉に向かっていった。

 私は無理に止めるのもよくないと思い、彼女の背中を見ていた。

「あ」

 十文字さんが立ち止まる。

「あんたら先生って、ホント都合いいよね」

 彼女はこちらを向かず話している。

「みんな、うちを腫れ物扱いして。どいつもこいつもなんかあればカウンセラー、カウンセラーって。関わりたくないのに必死だよね」

 何も言えなかった。現に私も今日こうやって十文字さんと二人で話すまで、距離を置いしまっていたのだ。今日だって何か話せたわけでもない。

 生徒の心の問題の対処にはある程度専門背知識が必要で、事態が深刻にならぬようスクールカウンセラーに相談するのが基本方針となっている。ただ生徒としては丸投げされているように思うのかもしれない。

「だから春野もいいよ。もううちに関わらないで」

 十文字さんは吐き捨てるように言って、扉に向かった。

「待って。今じゃなくていいから。何か、何か不安なこととか悩み事があったらいつでも聞くから。私がちゃんと聞くから。ね」

 何とかつなぎ止めようと必死に伝えた。だけど十文字さんは何も言わずに出ていってしまった。

 結局私は彼女に何も聞けなかった。

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