ウデムシ テイム

 闇だけの、風すらあまり吹かない森に差し込む絶望の光。

 まるで広場のようにも見えるその場所に、青年が一陣の風と共に現れた。

 加虐な笑みを隠すこともせず見せつけるクモ女。

 ぐっと奥歯を噛み締め、青年はぼそりと誰にも聞こえない音量で何かを呟いた。

 刹那、音が消えた。

 ぼとりと何かが地面に転がった。

 光に当てられ照らされたそれは、クモの足だった。


「……うるせぇよ」


 ゆっくりと目を落としたクモ女の、笑い声がピタリとやんだ。

 顎を引き、高飛車な態度を止めたクモ女は、ジッと青年を、インの兄であるハルトへと注意を向けていた。

 油断したらやられると、一本の足を代償に認知したようだ。

 腕、足、手と体の隅々にまで目を凝らしている。


「『一閃』」


 無音だった。

 剣を振った動作すらない。

 だというのに、クモ女は地面に足が突き刺さるほどの力を籠め、身を投げ出すようにして跳び出した。

 直後、衝撃で生じた風が、クモ女の汗を吹き飛ばす。


「……来いよ」


 素っ頓狂な顔を晒すクモ女を、ハルトは指を動かし挑発する。

 その瞳には炎が宿っていた。

 純粋な怒り。

 ゲームを楽しんでいた妹が、加虐の対象にされた。

 糸でぐるぐる巻きにされ、その場から動けない。

 沸々と沸き上がるマグマを内に秘め、ハルトがその場から動いた。


 口から糸を出し逃げるクモ女。

 ロープウェイのように木々の間を、空中浮遊するかのように飛び回る。

 あくまでインを逃す気は無い様で、広場周りを中心に。

 時折ハルトにも目を向けていた。

 恐らく警戒しているのだろう。


「逃げんなよ」


 苛立たし気に、クモ女の指先から発射される毒液を斬り捨てハルトは追撃する。


「『集中』」


 肩から腕、腕から手と血脈を巡り、ハルトの持つ剣へと闘気が集まっていく。

 抑えきれない力の奔流が、波状となって森の葉を吹き飛ばす。

 踏み出した土は抉れ、空気が脈動する断絶の剣を振り下ろした。


「『流星』」


 瞬間、クモ女の顔が見にくく歪んだ。

 何かがあると警戒する間もなく、糸が四方から伸びてきたのだ。

 元々毒や糸と、どちらかといえばトラップ寄りの性能をしているクモ女。

 自分よりも圧倒的実力を持つハルトを倒すには、クモの巣のように徐々に追い込もうと考えついたようだった。

 スキルをキャンセルする事もできない。

 狂ったように笑うクモ女の前で、ハルトの手足が囚われていき、


「効くかよ」


 その全てを集中の余波で消し飛ばした。

 霧散する糸。

 クモ女は驚きを隠せていない。

 そこには、遥かすぎるほどの実力差があった。

 剣が振り下ろされる。

 追い詰められたクモ女は、更なる最悪な手段を取った。


「イン!」


 繭に囚われたインを糸で操り、ハルトの真ん前に投げつけたのだ。

 助けようとした妹が盾にされる。

 いくらでも生き返られるとはいえ、試合でもないのに妹を斬れる兄がいるだろうか。

 否、そんな非常な兄はいなかった。


 体を強引にねじり、『流星』を何もない場所に振り下ろした。

 それこそ星がぶつかったかのような威力と一緒に、ドーンとけたたましい爆発音が鼓膜を刺激する。

 再び世界は白銀に染まる。

 爆音すら消え失せ、これ以上ないほどの風圧が、遅れてイン諸共吹っ飛ばす。


 はるか上空に飛ばされたインの繭。

 糸は引きちぎれ、片腕だけが露出する。

 愚直なまでに手を伸ばすハルト。

 そんな二人に、クモ女は切羽詰まった表情で指先を向けた。


「いるんだろ、ミミ! 来い!」


 ハルトの叫びで、広場近くの土から木のように太い青い触手が伸びる。

 轟き音と共に、地面が大きく振動する。

 柱のように伸びた触手は、一直線に天に転がるインの元へ。


 ミミズの個体であるミミに目はない。

 においを嗅ぐ鼻もない。

 感覚が機敏とはいえ、掴まなければ判る訳もない。

 ミミからすれば、砂埃舞う空中からインを助け出すのは、荒れ狂う荒野から、何のヒントもなしに米を見つけ出すのに等しかった。

 はずだった


 突如として、何の脈絡もなく繭が光り出す。

 その光に、ミミは覚えがあった。

 何度も何度も受けてきた、主の行使する光の魔法。

 暖かくポカポカとした気分になる、命を脅かす光の中で、唯一安心できる光。


 ミミは希望を掴み取るかのように手を伸ばし、しっかりとインの体を包み込んだ。

 それを見たハルトはほっと一安心すると共に、さらに外部へと放射される奔流が増す。

 それこそ嵐のように。


「……」


 既にクモ女を見る目は変わっていた。

 より冷酷に。

 抑えきれない怒りが電気となって、ハルトの周囲に走る。


「『集中』」


 再び闘気が剣へと流れていく。

 再び『流星』を使用。

 先ほどとは比べ物にならないほどの威圧がハルトから放たれ、まるで地震が起きているかのように空気が揺れ、――長剣がブレ、パリンとガラスのような音を立てて砕け散った。


 『流星』はハルトが今まで使ってきた闘気の中で、属性の無い高威力な剣技だ。

 現在使用できる人物はエルミナの中でもそういない。

 そしてその多くが、例え強敵相手であろうとしようを控える剣技でもあった。

 それは何故か、答えは簡単で反動である。

 まだまだ開拓されていない未完成の『流星』は、使用者の剣に強く負担をかける。

 大振りな剣であっても、生半可な技術では使用したと同時に砕け散るのが普通だ。


 それをハルトは、長剣だというのに次の剣技の威力を上げる『集中』まで重複させた。

 プレイヤーの中でも最高の逸品を作り上げるマーロンであっても、砕け散るのは火を見るよりも明らかだった。

 怯えたようなクモ女の目が徐々に色を取り戻す。

 口元が徐々に緩んでいき、これまでにないほどの声量を以てハルトを嘲笑う。


「お前は人を、いや、虫を怒らせすぎたようだな」


 負け惜しみをとでも言いたげに笑い続けるクモ女は、ガクンと膝から崩れ落ちた。


「俺ばかり見ているからそうなる」


 クモ女が下に目を向けてみれば、全ての足に青い何かが絡みついていた。

 引き離そうと焦った表情でクモ女は指を向け、衝撃波が飛び苦悶の叫びを上げた。


「お~! お~!」


 助けを求めるようにクモ女は手を伸ばす。

 そんな彼女に、ハルトは冷ややかな目を向けていた。


「喋れたのか。止めときゃいい物を」

「アンちゃんゴー!」


 エルフ耳をした金髪の少女がそこに立っていた。

 恐らくミミの分泌液で糸を溶かしたのだろう、白い粘液が滴っていた。

 インが腕を振り上げると同時に、弾丸をさらに加速させた速度でアンが飛び出した。

 クモ女の下半身に張り付き、目と思しき部分全てにハサミを突き立てる。


「うっわ、えっぐ」


 すっかり怒りも沈静化したのか、ハルトがそのような感想を述べている間にもアンは動く。

 下半身から上半身へ。

 顔へと移動した。ハルトの顔が真っ青になる。


「イン。後で家族会議」

「なんで?」

「流石に限度がある」


 インとハルトがそんな風に会話をしていると、アンの仕事も終わったようだ。

 クモ女は指の無くなった手で顔を抑え、咆哮とも似た音量で叫んでいた。

 心の中を全て吐露するかの如く、苦しみを忘れ去るかの如く叫んでいた。

 そこに、ゆっくりとだが確実に忍び寄るエイリアン、ウデムシが折り畳まれたUFOキャッチャーのような触肢を広げ、――クモ女の体が成仏するかのように上空へと昇って行ったのだった。


  *  *  *


「で、結局手助けしたってわけか。発言と行動が一致してないぞ、虫魔人」


 クモ女が上空に消えた後、インはハルトの前で正座していた。


「ごめんお兄ちゃん。それと武器まで壊しちゃって」


 インが申し訳なさそうに頭を垂れると、ハルトはボロボロに崩れ去った長剣へと目を向け笑い飛ばす。


「何言ってんだ。大事な妹に比べれば安いもんだ。……安いもんだ」


 インの肩に手を乗せ、青ざめた表情で震えながら言う。


「うん、ありがとうお兄ちゃん! アンちゃん! ミミちゃん! そして、ウデちゃん!」


 すっかり笑顔になったインは、アンとミミ、ウデムシをギュッと抱き上げ盲目的なまでに頭を撫でた。


「助けてくれてありがとぉぉぉ!! 三匹ともカッコよかったよォォォォ!! ああぁぁ、可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いィィィィィィ!!」

「落ち着け」


 頭に軽いチョップを入れたハルトは、「それよりどうするんだよ、ウデムシ」と話しを本筋に戻せば、インも「そうだった」と三匹を放してウデムシへと向き直った。


「ねぇウデちゃん。私達にできるのはここまで。いろいろ手を出しちゃったけど、最初にも言った通り、あんまり自然界に人間が手を出すべきじゃないと私は思うんだ」


 絶滅しない動物が、人の手が加わった事で絶滅したケースがある。

 逆に絶滅しそうな動物を保護した結果、数が増えすぎてしまったケースも存在する。

 人がやらなくとも、人が連れてきて捨てた生物のせいで生態系が変わってしまったケースがある。

 川や海にゴミを投げ入れ、餌となる生物がみんないなくなってしまい、ピラミッドが崩れ去ったケースもある。


 あれよあれよとアンとミミの戦い方が危なくて、その延長線上でウデムシを助けてしまっていた。

 が、今もずっと、自然で生きている生物に人が手を出すべきではないというインの考えは変わっていない。


 見て見ぬふりはしたくない。

 努力が実を結んだというケースも忘れてはいない。

 けれど、その見て見ぬふりをした結果が生態系ピラミッドが崩れた原因なのだ。


 これ以上いれば、間違いなく情がうつる。

 瞼を閉じてインはもう一度ウデムシを撫でる。

 そして再び開いた時、インは立ち上がって背を向けた。


「行こっ、アンちゃん。ミミちゃん。お兄ちゃん」

「本当に良いのか?」

「良いんだよ。これ以上は」

「そうじゃなくて、インの後ろ。ついてきているぞ、ウデムシ」


 えっ、と驚き振り返ったインの足を、ウデムシが触肢で掴んでいた。

 絶対に放さない様に、そしてダメージが入らない様に、強い意志を宿してウデムシはインの足にくっ付いていた。


「良いの、ウデちゃん?」


 インの言葉をアンが通訳しているのか、ハサミをガチガチと動かしている。

 そしてウデムシは、インを見上げてコクリと頷いた。

 とはいえ、まだ問題がない訳ではない。


 その問題とはファイの事だ。

 気持ち悪い虫は決してテイムしないと約束を施している。

 流石のインも姉である。

 妹に泣かれては弱いのだ。

 その時に、インがテイムする虫はピジョンの検閲を通ってからする手はずとなっている。


「ねぇお兄ちゃん」

「ああ、わざわざクソ鳥に会ってきた」


 心底嫌そうに吐き出すハルト。

 優しい兄にここまで言わせるなんて、ファイといい本当に何をしたのかとインが疑問に思っていると、ハルトが口を開いた。


「オーケーだそうだ。エイリアンの造形は、こう魂に突き刺さるとかなんとか。まさかクソ鳥に共感する破目になるとは思わなかったがな」


 ファイの願い届かず。

 そもそも情報屋であるピジョンは、廃人プレイヤーの多くに嫌われているという一線を引きすぎているプレイヤーなのだ。

 その分、一般人との感覚も違ってくる。

 情報や新しい事なら全てを知りたいというニュアンスでプレイしている彼女にとって、ウデムシはむしろぐっと心を動かされる虫であったようだ。

 ピジョンの了承も得られると、インの笑顔はより一層輝いた。


「ウデちゃん……。うん、一緒に行こっ!」


 インが魔物のえさを取り出すと、ウデムシは遠慮なく触肢で口まで持って行った。

 周囲に光の粒子が輪をかけて踊るように出現し、そして吸い込まれ消えた。

 そうして、インの仲間がまた一人増えたのだった。

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