新たな虫? 2

 酷く興奮した様子で見上げるインの隣では、シェーナとフィートは若干引き気味に体を逸らした。

 だがそれでも、インが止まることは無い。

 敵対しているとはいえ、相手は虫なのだから。

 警戒心そのものを忘れ、アンを腕に抱きかかえ、その場でウデムシと呼称した虫を見上げていた。


「なぁイン。あれ、倒してもいいのか? それとも……テイムするのか?」


 ハルトが武器を下ろした。


「その前にお兄ちゃん! フレンドのピジョンちゃんにどうやって連絡すればいいのかな?」


 インとしては絶対とは言わないがテイムしたい。

 あの今までのクモやサソリとは違う造形。

 あの触肢が広がった姿などもうカッコよさそのものだ。

 しかしインはピジョンとファイからきつく言われていた。

 ファイの精神衛生上、気持ち悪い虫は絶対にテイムしないと。

 自分では判断がつかない。

 だからこそピジョンと連絡を取る手段を聞き出そうとインがハルトに近くに行こうとしたところで、ウデムシの背後から三匹の影が躍り出た。


「トカゲ系か」

「トっ、トカゲ系!? ということは……」


 少し大きいトカゲから逃げるように、ウデムシが飛び出した。

 鬼気迫る勢いで、初速で速さが増す。

 いきなりの事で、インの動きが遅れる。

 ウデムシはその大きな触肢を一気に広げ、インの腕からアンを持ち上げた。


「アンちゃんっ!」


 追うようにインとトカゲも飛び出した。

 イン達には目もくれない。

 ウデムシの背中を目がけ、足に力を込めて、腕を振り、全力疾走。


(速っ! 速いよ! 追いつけないっ!)


 速度の問題もあるが、元々学校での運動は苦手な部類に入るインだ。

 見る見るうちに差が開き、ウデムシとトカゲの後姿が見えなくなっていく。


(ミミちゃんなら! けど!)


 インよりミミの方が速いのは事実。

 事実なのだが、だとしてもウデムシ達に困難を極めるだろう。

 せめてアンが自分で逃げてくれるのが一番なのだが、首根っこを捕まえられている限りそれも無理だろう。


「落ち着けインっ! 『送還』は使えないのか?!」

「それがさっきから使えないの! どうしようお兄ちゃん、アンちゃんが! アンちゃんがっ!」


 戻すこともできない、追いつくこともできない。

 慌てふためき、完全に冷静を失ったインの頭にハルトが手を置いた。


「だから落ち着けっ! 手分けして――」


 シェーナとフィートへと目を向けたハルトだったが、二人から実に嫌そうな顔を返される。


「……上から探そうにも、こう木が生えているとなると難しいか。アリの習性とかは使えないのか?」

「使えるけど……、その肝心のにおいを識別できる同じアリがいないんだよ」

「いっそやられるって方法もあるにはある」


 テイムされた魔物たちは、HPが0になると自動的に主の元へと還るようになっている。

 しかしその間、インを守るものはミミしかいない。

 乾燥肌の心配は出て来るが、ここは太陽を遮るほどの森である。

 恐らく発動することは無い。

 とはいえ、ミミだけだときつい所も出て来るだろう。

 そうでなくとも、死に戻りをさせるのに、インは抵抗があった。


「ダメだよ! わざとやられるなんて、可哀そうだよ!」

「だよなぁ。……フィート! ウルを使ってみるのはどうだ?」

「ヒッ……」


 ハルトが声をかけると、フィートは顔をゆがませてシェーナの後ろに隠れた。


「多分、いや絶対無理だよお兄ちゃん。昆虫がだすフェロモンを、オオカミのウルちゃんが嗅ぎ分けられるはずがない」

「マジか……。しかしそうなると……、アンが自害すればら――」


 そうハルトが呟いた瞬間、インの目が虚ろになる。


「今なんて言ったのお兄ちゃん?」

「いや何でも。……こっわ」


 後ろでも同じようにシェーナが小さく悲鳴を上げているが、恐らく何かが出たのだろう。

 そう結論付けたインではあるが、状況は芳しくない。

 振り出しに戻されたわけなのだから。


(ミミちゃんに判断してもらう? いやでも、シェーナさんとフィートちゃんがいるし)


 インはこのゲームを通じて、より深く学んでいた。

 多くの女性は虫が苦手であると。

 そして毎回決まって、アリはまだ平気だが、ミミズともなると絶叫ものであると。

 一緒にいたピジョンとファイの努力が、ようやく実を結んでいたのだ。

 とはいえ、いたところで、虱潰しになるのは確実だろう。

 そう考えていると、重い空気を吹き飛ばす様にハルトが手を叩く。


「よし、とりあえずこうしよう。シェーナとフィートの二人は、虫の素材を集めてくれ。倒すだけで良いから、簡単だろ?」

「あたしはそれでもいいけど……いいの?」


 シェーナはちらとインの顔を窺ってくる。


「弱肉強食って言葉がありますから。別に倒しちゃいけないなんて事は無いと思いますけど……」

「……オッケー。じゃあそれで。お互い、妹には甘いよねー。じゃあまたっ」

「ああっ、またっ。何かあったら連絡してくれ」

「……はぁ」


 そうシェーナは名残惜しそうにハルトへ目を向けると、フィートを連れて森の中へと入っていった。


「ごめんお兄ちゃん。けど」

「良いってことよ」


 心配そうに俯くインへと、ハルトは笑って見せていた。

 きっと兄ならではの慰めなのだろう。

 そう同じくして、インもハルトを連れて森の中へと潜っていくのだった。


  *  *  *


「アンちゃーん! アンちゃーーん!! いたら返事してぇぇ!」

「返事したところで俺達が気づけるのか」

「それもそうだよね! ミミちゃん!」


 インは早急にミミの輝石を取り出すと、早速とばかりに呼び出した。

 太陽すら通さぬ暗き森に、サファイアのように青いミミズが生える。

 雄々しい体を持ち上げ、口を開けてインをパクリと包み込んだ。


「ちょっ! イン! インっ!」

「大丈夫だよ、挨拶だから!」


 再びミミが体を持ち上げると、五体満足なインが姿を現した。

 白い粘液まみれで。

 あまりの衝撃的な挨拶の為か、ハルトは半分口を開けて絶句しているようだ。

 インは一度その事を隅に置き、ミミの頬に手を当て頼みごとをする。


「……ァ……」

「ミミちゃん! アンちゃんが攫われちゃって! 見つけ出すのを手伝ってほしいの! 地中から探して、ダメそうだったら『巨大化』して上から。できそう?」


 インの言葉に、何よりも先輩であるアンの危険となれば断れなかったのだろう。

 ミミはすぐ大きな頭で頷くと、地中へと潜っていった。

 ひとまずはこれで大丈夫そうだろう。

 モグラなどに出会わない限りは。

 自分も探すのを続行しようとインは歩き出そうとする。


「いやいやいやいやいや! その姿は何だ!? あの挨拶は何だ!? その粘液は!? お兄ちゃん流石にそれはダメだと思うぞ」


 絶句から復帰、次いで声を荒げるハルトにインは首を傾げる。


「なんで?」

「ああいや、それはだなぁ……」


 何か言いたそうで何も言わないハルト。

 変なお兄ちゃんと、疑問の表情を浮かべるインから粘液がしたたり落ちた。


「マジかよクソ鳥。……逃げやがったな。とにかくその挨拶だけはお兄ちゃんとして看過できない。前と同じ、触手を握るってことで勘弁してくれ。それでもかなりアウトのような気がするが、問題ないから」

「よく分からないけど、お兄ちゃんがそう言うなら。後でミミちゃんにも伝えておくよ」


 インはそう言うと、再び歩みを進めていく。

 まったく意味が分からないまま。

 茂みの中、木の裏、地面に穴ができていないか等を、アンの名前を叫びつつ調べていく。


「今度誰かに……いやそれだと明らかあれ……ってうお!」


 そうブツブツ呟くハルトのすぐ近くから、土ぼこりを巻き上げてミミが突き出てきた。

 インが急いで駆け寄ると、ミミは触手で南の方角一方を指示した。


「そこにいるんだね!」


 インの言葉に、ミミは頷いて見せた。

 尻もちをついてしまっていた、ハルトも同じように走るインについていく。


(アンちゃん。ごめんね。ウデムシは昆虫を獲物としているのに。なのに私)


 速度の問題で、ハルトが一瞬にしてインを追い抜いていく。

 自分よりも速いミミの背中を叩き、インはロデオに跨った。

 そうしてしばらくしたところにアンはいた。

 三匹のトカゲに囲まれたウデムシと一緒に。

 HPは1しかないので、そこにいるという事は無事なようだ。

 だがしかし一瞬たりとも気の抜けない状況なのか、じりじりとトカゲたちはウデムシへと距離を縮めていく。


「アンちゃん!」


 インが叫ぶ。

 トカゲは乱入者の声に気づいたのか、三匹の内一匹がインへと目を向けた。

 ハルトが庇うように剣を抜き放つ。


「大丈夫お兄ちゃん。ミミちゃん、『バインド』して薙ぎ払っちゃえ! アンちゃん、こっちこっち!」


 ミミは数本の触手を伸ばす。

 一匹のトカゲが口を開けて触手に噛みつこうとするが、ミミは柔軟に自由自在な動きで、逆に翻弄して見せる。

 目を回し、トカゲの足取りがおぼつく。

 その隙を見て、一気に掴み取った。

 触手で固められ、抜け出せなくなったトカゲ。

 ミミはそのトカゲを錘に、うねり上げて他ニ匹を薙ぎ払った。

 仲間という、同じ強度で殴られたトカゲ。

 地面に転がったニ匹は、起き上がると同時にどこかへと逃げ去っていった。


「アンちゃん! こっちこっち! こっちだよ!」


 あっけにとられたのか、それとも他の理由があったからなのか。

 アンはウデムシから簡単に抜け出し、そのままの勢いでインへと飛びついていった。

 衝撃に疼くイン。

 しかし触角で甘えるように擽ってくるアンに笑って見せる。


「あはは! くすぐったいよぉ」

「やるなぁ。インは指示だけで何もしないのか?」

「『光魔法』で回復くらいかな。土か木のどちらかを取るか迷っている最中だよ」

「それはまた。で、もう一匹残っていたなぁ」


 ハルトがそう言い、ウデムシを鋭い眼光で睨みつけた。

 一歩、また一歩と死へのカウントダウンを始めるが、その前にインの腕からアンが飛び出した。


「アン? そいつは」


 流石にインのテイム魔物とあれば、おいそれと傷つけるのは難しいのか、ハルトは剣を振り下ろせないでいる。

 恐らく、インが後ろからじっと見つめているのも一役買っているのだろう。

 ハルトは悩んだ様子を見せた後、剣を鞘に仕舞いこんだ。


 アンはウデムシの近くまで寄っていくと、何かハサミをガチガチと鳴らしている。

 一体どういうことなのだろうか。

 インが怪訝な様子でアンの行動を見る。

 一体何をしているのか。

 攫われたというのに、何かの感情が芽生えたとでもいうのだろうか。

 他の虫を操るなんてことはしなかったはず。

 それとも、これも世界が世界故の特徴だからだろうか。

 そうインが考察していると、何の警戒心もなくウデムシが歩み寄ってくる。


 アンが何かを話すほどの存在。


 何をしてくるのだろうと、いつでもミミに指示を出せるよう身構えるインであったが、


「えっと……?」


 次の瞬間に映ったのは、深々と頭を下げるウデムシだった。

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