クリスマスは二人きり

石油王

第1話

私は一人娘を持つシングルマザー。娘はもう高校二年生で、絶賛反抗期中だ。日々の鬱憤を私に当たり散らして夜な夜な、非行を繰り返していた。

私は毎度のこと娘の鬱憤を優しく受け止め、生活費と娘の学費を賄うため夜の仕事に明け暮れる。

そんな生活を送っていたある聖夜の日——。雪がしんしんと降り積もる中、仕事から家に帰る途中で事故に遭った。場所は最寄り駅のホーム。急な眩暈に襲われ、ホームから線路に転落。タイミング悪く電車が来て、そのままドンッ、だった。

私は救急車に運ばれ、すぐに手当てを受けた。手当てを受けている間は意識不明の重体。怪我の損傷は酷く、事切れるのも時間の問題だった。でも、医者たちの懸命な手術の結果、ギリギリの所で三途の川を渡らずに済んだ。

意識を取り戻したのは事故があってから約二ヶ月後。娘に手を握られた状態で目を覚ました——。


■■■


私はあの事故で両足を失った。病室で布団をめくった時は酷く驚き、絶望した。

意識を取り戻してから三ヶ月のリハビリ期間を経て、ようやく退院することができた。こうやって奇跡の生還を果たした私だが、ここからが地獄の始まりだった——。


「ママはベッドに横になってて」

「いや、でも——」

「大人しくて。私が全部するから‼」


当然、退院できたからといっていつもの生活に戻るわけがない。私は我が家に帰る否や、大きなベッドで寝たきり。娘の助けがないと何もできない体に成り果てていた。


「私にも何か手伝えることがないかな」

「ない。ママはベッドで寝てて。下手に動かれると逆に困る」

「ゴ、ゴメン……」


わざわざ私のために高校を退学した娘は一日中、付きっきりで私の介護をしてくれる。朝から晩まで私のために一人でご飯を作り、買い物をし、掃除をし、入浴の手伝いも全て完璧にこなす。私が吞気にベッドで寝ている間、娘は家と外を何回も出入りして走り回る。

それが申し訳なくて私は何度も何度もベッドから起き上がろうとするが、娘にキツく止められる。


「ママはまだ退院したばっか。いきなり、家事するとか絶対にムリ。体壊すよ——」


足も仕事も希望も失い、なけなしの金でひたすら介護される毎日。徐々に娘の顔に疲労が見え始め、心がホントに痛かった。


「こんな生活、苦しくない? 辛くない——?」


介護で走り回る娘を度々引き留め、彼女の今の心情を探る。でも娘は毎回「いちいちうるさい」と言って、反抗期らしく強気に振る舞う。私の前では一切、弱音を吐こうとしない。あんなに文句だらけだった娘が私のせいで学校も友達も失ったはずなのに、一つも不満を漏らさない。娘なりの気遣いなのだろうが、私にとってその気遣いは却って不安と恐怖を煽るものだった——。


■■■


事故からもうすぐ一年。クリスマスまであと一週間——。

相変わらず、私はベッドで寝たきりで、娘は献身的に私の介護を続ける。本当はお金を払ってヘルパーさんを頼みたいところだが残念ながら我が家の財布はほとんど空っぽだ。

なんとなく娘の体がやせ細って見えるのは気のせいだろうか。目の下に隈ができ、顔がやつれている。


「休みたい時は休んでいいんだよ?」

「ウチのことは心配しなくても大丈夫。どうせ、休んだところでやることないし、つまんないし——」

「ホントに? 無理してない?」

「別に無理してないって。しつこい‼」


私への介護は娘にとって最早、生活の一部と化している。常に体を動かさないと落ち着かないらしく、私をそのまま放置することは許されないみたいだ。心なしか娘の表情や言動から使命感を感じる。自分のやりたいことを我慢して、生産性のない私に全ての時間を費やしている。

娘には早く、私なんか忘れて希望のある人生を歩んで欲しい。早く死に損ないの私を見捨てて明るい未来へ羽ばたいて行って欲しい。


「じゃあ、今から買い物行ってくるわー」

「いってらっしゃい」


正午過ぎ。肉じゃがを作る材料が足りないらしく、近くのスーパーに買いに行くようだ。娘はそそくさとコートを羽織り、エコバックを携える。


「ちょっとでも尿意感じたら我慢せず、すぐにトイレ行くようにしてよ。この前みたいに漏らされたら、後処理が大変だから」

「フフッ。気を付けるね」


いつも外に出かける前はこうやって母親のように色々言ってくる。私の忠告をどこ吹く風と聞き流し、友達とヤンチャしてた頃の娘が懐かしい。いつから立場が逆転したんだろうと私はつい、笑ってしまう。

機嫌悪そうに顔を顰めた娘は私に背を向けてドアノブに手をかける。


「あ、ちょっと待って‼」

「なに?」

「出かける前にあれ取って」


私は慌てて娘を呼び止め、遠くを指差す。私が寝ている部屋と台所は吹き抜けになっていて、指差す先には果物ナイフが置かれてある。


「ナイフ、何に使うの?」

「これ、皮剥きたくて」

「あーね」


娘はベッド横の机に並べられたリンゴを一瞥して、果物ナイフを取りに行く。そして無愛想に私へ手渡す。ついでに皿も持って来てくれた。


「指切らないように気を付けてよ」

「器用だから大丈夫よ」

「フン」


反抗的な目つきで睨んだあと、部屋の扉を雑に閉める。私への態度は事故前とほとんど変わってなくて逆に安心する。心のない罵詈雑言は無くなったが、私への嫌悪感は未だ健在だ。


「さてと——」


ガチャリと玄関の鍵を閉める音。娘が外に出たのを耳で確認して、果物ナイフを握り締める。


「ご丁寧に皿も用意してくれたことだし、ホントに食べようかな」


私は果物ナイフを使わず、そのままリンゴに齧りつく。勢い良く嚙み過ぎて歯が折れそうになるが構わず、皮ごと食べ尽くす。

これが“最後の晩餐”だと思うと不思議と食欲が湧くものだ。口元についた汁をティッシュで拭き取り、芯だけになったリンゴを皿の上に置く。こんな野蛮にリンゴを食べたのは初めてだ。


「最後は娘の作ってくれた料理を食べたかったけど、これは甘えね」


意図せずに目から涙が一粒、二粒と零れる。涙は頬を伝い、真っ白な布団を濡らす。


「ゴメンなさい」


誰にか分からないが小さく謝罪し、果物ナイフを首筋に押し当てる。

娘のためとはいえ、自殺を選ぼうとするなんて我ながら驚きだ。死ぬのが怖いはずなのに娘の幸せを考えると、簡単に死を受け入れてしまう。親子というものは不思議だ。大の大人でも我が子のことを想うと冷静な判断が出来なくなる。本当なら死ぬ以外にいくらでも娘を楽にさせる方法があるはずなのに、頭がそこまで回らない。


「バイバイ。元気でね――」


ここには居ない娘に別れを告げる。果物ナイフを持つ手に力が入り、首筋からは僅かに血が伝う。チクリと痛みが走った刹那、死に対しての恐怖が脳裏を掠める。覚悟を決めたはずなのに、私は躊躇ってしまった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」


呼吸が荒くなり、視界が霞む。心が死を覚悟していても体が拒否反応を起こす。果物ナイフを持つ手が異常な程に震え、上手く首筋に定まらない。


「——あっ、そうだそうだ。ママに言い忘れてたことがあった」


再び、玄関の鍵が開いたことに気付けなかった。出掛けたはずの娘の声が扉の向こうから聞こえる。

娘の声で正気を取り戻した私は急いで手に持っていた果物ナイフを布団の中に隠そうとするが、少し反応が遅かった。


「クリスマスケーキの、こと、なん、だけど……」


あの時の事故と同じくタイミングが本当に最悪だった。部屋に入ってきた娘は私の首筋と血が付着した果物ナイフを交互に見て、呆然と立ち尽くす。


「何してんの、ママ……」


肩からぶら下げていたエコバックを床に落とし、青く染まる瞳が大きく開く。

私は頭の中で都合の良い言い訳を必死に考えるが中々、言葉が出て来ない。酷く動揺する娘の顔をただ見詰めるしかなかった。


「その首、どうしたの?」

「——」

「ナイフでリンゴの皮、剝くんじゃなかったの?」

「——」


私は娘から視線を落とし、だんまりを決め込む。一番見られたくない所を見られ、居た堪れない気持ちで一杯になる。


「娘の恩を仇で返す気?」


娘はそう言って、私からナイフを取り上げる。彼女は首筋を僅かに触り、怪我の具合を見る。そして——、


“——パン‼”


頬を思いっ切り平手打ちされた。部屋中に乾いた音が響く。


「昔からママのそういうとこ、大っ嫌い‼」


娘はそう吐き捨て、涙目になって部屋を出る。当然のことながら私は娘を怒らせてしまった。

血が出ていないのに首筋の痛みより頬の痛みの方が強烈だった。心が籠っている分、冷たくて無機質な刃物なんかより熱を帯びた娘の手の方がよっぽど殺傷能力がある。まるで目に見えない傷口を抉られたような感覚に襲われた——。



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